野に撃沈

多摩地区在住の中年日帰り放浪者。ペンタックスK10Dをバッグに野山と路地を彷徨中。現在 野に撃沈2 に引越しました。

イランイランの木

2006-09-29 | 変わった植物
 前から変な名前の木だと思っていた。一番初めに気に留めたのは、新宿御苑だったか神代植物公園の温室だったか忘れたが、ちょうどイランとイラクが戦争(’80年から’88年)を始めていたときだった。

 ネット情報によるとイランイランというのはマレー語(一部フィリピンのタガログ語説あり)で「花の中の花」という意味らしい。香料の木として有名であのシャネルの5番の香水にも使われているという。花は見栄えがしないが、香しい芳香があった。

箱根湿生花園

2006-09-27 | 植物園
 5年前から行き始めて年に1~2回は行くから,今まで7,8回は行ったに違いない。いつもは新宿の小田急ハルク前から高速バスに乗っていくのだが、今回は他に回りたい所があり車で行くことにした。朝早く自宅を出て高い高速に乗らずひたすら下の庶民道を走ったら3時間半かかってようやく着いた。110キロの道のりだからこんなものか。
 
 入園料700円を払ってはいる。普段はバス券とセットの入園券ではいるのでちょっと割高に感じる。ここ湿生花園は何時行ってもたくさんの花が手入れの良い状態で見られる。野に自生する山野草と比べて栄養が良いのか、同じ花でも見栄えがするように思える。またそのせいかどうか分からないが花の咲く時季も野のものと微妙にずれるようだ。

 園内は3ヘクタールとそんなに広くはない。8つにわけられた区画が木道でつなげられていて、低地から高山まで湿地帯の植物を中心に1700種ほどの花や樹木が植栽されている。ゆっくり廻っても40分ほどのコースだが、私は三時間近くかけて廻る。

 写真のキバナアキギリは今時分山地では普通に見られる花であるが、なかなか被写体になるようにきれいに咲いた個体には出会えない。花も小さく疎らで、もともとそんなに強烈に惹き付ける花ではないので写真に撮っても栄えない。が、楚々とした風情があり、秋に咲く野の花らしくて私のお気に入りの花の一つである。。

 他に出会えた花;サワギキョウ、アケボノソウ、ミヤコアザミ、ミズギク、キバナアキギリ、イワシャジン、アキギリ、アキチョウジ、リンドウ、マツムシソウ、ハギ数種、ミズカンナ、ナンテンハギ、キセワタ、イヌゴマ、サワシロギク、テンニンソウ、アサマフウロ、ツチアケビ、ツリバナの実(赤字は嬉しくも初見の花)

古代米

2006-09-21 | 変わった植物
 古代米とは言っても赤米ではなく、黒米の方。中国では古くから慶事の際の料理として或いは病人用の回復食として重宝されてきた。日本でも静岡では薬膳料理として使われてきたそうな。紫黒色の色素はアントシアニンによるもので、栄養価も高くポりフェノールやミネラル類も多く含んでいる、大層な優れものである。

こんなサイトがあった。古代米の炊き方

 にも拘らず現代では常食になりえていない。一体どういう訳だろう。以前一度食べた事があるだけなのではっきりしたことは言えないのだが、玄米と似たような事情がそこにはあるのかと思う。白米と違って味がありすぎて主食として飽きが来てしまう。おかずの味と合わない時がある。しっかりと噛む必要がある等々。

 思えば同じことが人間にも言える。立派すぎる人間はどうにも付き合いにくい。言行ともに優れていて、人間的魅力もありそうなのだが付き合っていると気疲れしてしまい、敬遠したくなる。そういった人とは仕事上なら仕方がないが、オフの時には出来るだけ距離をおきたい。

 普段の暮らしの中では気兼ねすることなく伸び伸びと生きてゆきたい。だから己の信条を声高に言い、相手に同調を迫る人間が苦手である。政治や宗教がからむと途端に豹変し、敵味方を峻別しなければ気がすまない人がいる。群れをつくりそれに属することに喜びを見出す人がいる。一回限りの人生をそんなことに費やしたくはない。私は自分の生き方位は自分で決めたい、ただそれだけだ。

3D花

2006-09-18 | 野の花
 カリガネソウという。山地に今時分生える。クマツヅラ科という珍しい科に属し、数少ない仲間にダンギクがある。背丈は1mにもなり大きいのだが、花は小さい。和名の雁草は奇妙な花の形からきているのだろうが、別名ホカケソウとも言われる、納得の名である。

 上手い具合に見事に一対に並んだのがあったので撮ってみた。が、タイトルのように立体視できるわけではないので悪しからず。間違い探しにも使えそうだ。

古社と老樹

2006-09-14 | 登山
 東京神奈川山梨の三県境にある三国山と生藤山(しょうとうざん)に登ろうというのが当初の目的だった。甲州街道を相模湖の先、藤野で右折して曲がりくねった山道に入った。カーナビと地図を見比べて現在地を確認するのだが、段々と分からなくなり暫し迷走の果てに辿り着いたのが、バス停のある井戸という地所だった。この先は道路工事で行けない。
 
 雨の中、登山靴にはき替えて歩き始めた。サイカチの木の処で鳥居をくぐると急傾斜の参道が始まった。息を切らし登っていくと左手に社務所が見えてきて、その先には日本武尊をまつる軍刀利神社へと至る石段があった。処が、学の浅い私にはこれが読めない。そのうちルビの振っている看板や立て札があるだろうと高をくくっていたのだが、山の頂上にある元社まで行ってもなかった。(後にネットで調べてグンダリと読むことが知れた。)




本社の裏手から未舗装の山道を10分ほど登ると奥の院が見えてきた。こじんまりとした社(やしろ)の石段の脇には大桂の老木があリ、その下を小沢が流れていた。沢にかかる赤い橋がやけにまぶしかった。

 年ふりし桂の大木はふてぶてしいほど存在感があり、自分以外の全てのものを睨(ね)めつけていた。雨にぬれた樹肌はてかり、今なお衰えることの無い生命力を静かに滾らせていた。近づくほどその磁場は強大になり、私は自身を無力な卑小なもののように思えてならなかった。


 奥の院から山道を尾根まで登り、3時間余かかって三県境の山となる三国山、生藤山そして熊倉山と廻り疲れ果てて再びこの地に戻ってきた。雨は小雨ながら依然として降り続けている。大桂は私の存在など意に介することなく、数百年の間そうであったように威風堂々としてただ在った。時の創り上げた存在として否時そのものの体現として。私は雨足が次第に強まる中、暫し茫然として見入っていた。