古代米とは言っても赤米ではなく、黒米の方。中国では古くから慶事の際の料理として或いは病人用の回復食として重宝されてきた。日本でも静岡では薬膳料理として使われてきたそうな。紫黒色の色素はアントシアニンによるもので、栄養価も高くポりフェノールやミネラル類も多く含んでいる、大層な優れものである。
こんなサイトがあった。古代米の炊き方
にも拘らず現代では常食になりえていない。一体どういう訳だろう。以前一度食べた事があるだけなのではっきりしたことは言えないのだが、玄米と似たような事情がそこにはあるのかと思う。白米と違って味がありすぎて主食として飽きが来てしまう。おかずの味と合わない時がある。しっかりと噛む必要がある等々。
思えば同じことが人間にも言える。立派すぎる人間はどうにも付き合いにくい。言行ともに優れていて、人間的魅力もありそうなのだが付き合っていると気疲れしてしまい、敬遠したくなる。そういった人とは仕事上なら仕方がないが、オフの時には出来るだけ距離をおきたい。
普段の暮らしの中では気兼ねすることなく伸び伸びと生きてゆきたい。だから己の信条を声高に言い、相手に同調を迫る人間が苦手である。政治や宗教がからむと途端に豹変し、敵味方を峻別しなければ気がすまない人がいる。群れをつくりそれに属することに喜びを見出す人がいる。一回限りの人生をそんなことに費やしたくはない。私は自分の生き方位は自分で決めたい、ただそれだけだ。
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にも拘らず現代では常食になりえていない。一体どういう訳だろう。以前一度食べた事があるだけなのではっきりしたことは言えないのだが、玄米と似たような事情がそこにはあるのかと思う。白米と違って味がありすぎて主食として飽きが来てしまう。おかずの味と合わない時がある。しっかりと噛む必要がある等々。
思えば同じことが人間にも言える。立派すぎる人間はどうにも付き合いにくい。言行ともに優れていて、人間的魅力もありそうなのだが付き合っていると気疲れしてしまい、敬遠したくなる。そういった人とは仕事上なら仕方がないが、オフの時には出来るだけ距離をおきたい。
普段の暮らしの中では気兼ねすることなく伸び伸びと生きてゆきたい。だから己の信条を声高に言い、相手に同調を迫る人間が苦手である。政治や宗教がからむと途端に豹変し、敵味方を峻別しなければ気がすまない人がいる。群れをつくりそれに属することに喜びを見出す人がいる。一回限りの人生をそんなことに費やしたくはない。私は自分の生き方位は自分で決めたい、ただそれだけだ。