野に撃沈

多摩地区在住の中年日帰り放浪者。ペンタックスK10Dをバッグに野山と路地を彷徨中。現在 野に撃沈2 に引越しました。

古社と老樹

2006-09-14 | 登山
 東京神奈川山梨の三県境にある三国山と生藤山(しょうとうざん)に登ろうというのが当初の目的だった。甲州街道を相模湖の先、藤野で右折して曲がりくねった山道に入った。カーナビと地図を見比べて現在地を確認するのだが、段々と分からなくなり暫し迷走の果てに辿り着いたのが、バス停のある井戸という地所だった。この先は道路工事で行けない。
 
 雨の中、登山靴にはき替えて歩き始めた。サイカチの木の処で鳥居をくぐると急傾斜の参道が始まった。息を切らし登っていくと左手に社務所が見えてきて、その先には日本武尊をまつる軍刀利神社へと至る石段があった。処が、学の浅い私にはこれが読めない。そのうちルビの振っている看板や立て札があるだろうと高をくくっていたのだが、山の頂上にある元社まで行ってもなかった。(後にネットで調べてグンダリと読むことが知れた。)




本社の裏手から未舗装の山道を10分ほど登ると奥の院が見えてきた。こじんまりとした社(やしろ)の石段の脇には大桂の老木があリ、その下を小沢が流れていた。沢にかかる赤い橋がやけにまぶしかった。

 年ふりし桂の大木はふてぶてしいほど存在感があり、自分以外の全てのものを睨(ね)めつけていた。雨にぬれた樹肌はてかり、今なお衰えることの無い生命力を静かに滾らせていた。近づくほどその磁場は強大になり、私は自身を無力な卑小なもののように思えてならなかった。


 奥の院から山道を尾根まで登り、3時間余かかって三県境の山となる三国山、生藤山そして熊倉山と廻り疲れ果てて再びこの地に戻ってきた。雨は小雨ながら依然として降り続けている。大桂は私の存在など意に介することなく、数百年の間そうであったように威風堂々としてただ在った。時の創り上げた存在として否時そのものの体現として。私は雨足が次第に強まる中、暫し茫然として見入っていた。