野に撃沈

多摩地区在住の中年日帰り放浪者。ペンタックスK10Dをバッグに野山と路地を彷徨中。現在 野に撃沈2 に引越しました。

彼岸過ぎて此岸

2006-08-30 | 日々雑感
 狂おしいまでに暑かった今年の夏も、彼岸を過ぎて朝夕はいくらか過ごしやすくなった。今年の夏のスペシャルワークも今日で最終回。肉体的には年々辛くなっているが今年も何とか乗り切れたようだ。人間嫌いの私が、人を扱う仕事につくなんて、ましてやそれを数十年に渡って続けることになるなんて思っても見なかった。
 
 水が低きに流れるように、私は単に安きについてきただけだ。恥ずかしいが志などこれっぽっちもなかった。自分より一回りも二回りも若い、屈託のない若者の命に付き合っていくのが段々と辛くなってきた。そろそろ潮時か。

 人は「知命」というが、逆に私はこの年になってものの価値や考え方に随分揺れ惑乱が生じてきた。元々さほどの価値観を構築しえていた訳でもない。むしろ流されて生きてきたといって良いので、それも当然の成り行きか。

 ならばいっそこのまま流れる所まで行ってしまえ。今生きている此岸に悟りなど持ち込むな。揺らぎ揺らいで、流れ流れて行き着くところまで行ってしまおう。

 心の触れ合った、今は彼岸に住む者たちよ、今しばらくはこの緩々の生を続けてしまいそうだ。そちらに着く迄までにはもう少し時が掛かりそうだ。

北陸山行⑤―頂上にある神社

2006-08-21 | 登山
  山が好きな私だが、基本的に単独行であり混雑を嫌うので日本アルプスの著名な山には一部を除いて殆ど登ったことがなかった。学生時代に友人に誘われて登った八ヶ岳の赤岳(2899M)や数年前に登った白馬岳(2932M)がこれまで登った高峰といえる山だった。
 
 今回は黒部アルペンルートを通っていくということで、ひょっとして時間と天候が許せたら立山に登れるかも知れない。初めての3000M峰を体験できるかもしれないと内心楽しみにしていた。

 立山の頂上には雄山神社がある。小さな社や祠が頂上にある山は他にも日本各地到る所にあるだろう。確かにそうなのだが、そこでお金を払わなければ頂に登れないというふざけた山には幸運なことに今まで出合ったことがなかった。

 ところが、麓から2時間かけて登った立山(雄山)の頂上にはそれがあった。拝観料500円を払わないと雄山の頂上には登れないのだ。ただで登れる一等三角点のある地点は標高が2991Mとあり。3000Mには僅か9Mだが足りない。500円払って鳥居をくぐり神社に登ってお祓いを受けると3003Mとなる。尤もこの先、往復1時間足らず歩けば立山最高峰の大汝山(3015M)に登れるのだが、あいにくその時間が私にはない。

 うーん、私は暫し悩んで結局やめることにした。幸いなことに私はまだまだ足も丈夫なのだから、初めて3000M峰に登るなら、登山口からはなるべく自分の足以外の交通手段を使わないで登りたい。そう思ったのだ。

 それにしても解せない。私の前に3人連れの若い西洋人の登山者がいたが、彼らも受付の神職と押し問答の挙句登らず帰っていった。五百円を惜しむという事よりも、むしろ宗教上のこともあってお祓いを受けるという事を諒としなかったのだろうか。

 写真は頂上の休憩所から見た祠。左の柱のそばにある鳥居から先の頂上にはただでは行けない。私はこの祠にいつか天罰の雷が落ちることを秘かに願っている。

北陸山行④ーゆっくりと歩く

2006-08-19 | 登山
 テガタチドリ、ハクサンボウフウ。ヨツバシオガマ、オンタデが咲き乱れる大汝峰のお花畑を反対側に下り、西側の巻道を通って室堂まで引き返す。この道は古の加賀禅定道の一部となっている。大小の雪渓が見られ、百姓池などの池も散在するなだらかな楽しい道だ。

 室堂からは展望コースを下ることに決めた。まだ11時なのに今夜の宿泊予定の南竜山荘までは僅か1時間半の下りで着いてしまう。時間に余裕があるので、ゆっくりゆっくり下る。

 歩みを遅くすればするほど、周囲を過ぎて行く風景の解像度は増す。今まで見えなかった小さな花々や、その陰に見え隠れしている虫たちの動きが次第にたち現れてくる。遠くで鳴き交わすホシガラスの微かな声も風に乗って聞こえ始める。周りの高山植物からは芳しい香りが匂いたち、芯の強そうな茎や分厚い葉からは夏の強い陽射しに負けない草いきれまで感じられてくる。世界は生命に満ちている。小さな頼りない私を包み込む屈託のない命の群れ。五感が極限まで増幅されやがて弾けて、いつの間にか私は境界をなくしていた。

北陸山行③ーコマクサ

2006-08-17 | 登山
 日本には白山より以西に2,700mもの高峰を持つ山脈は存在しない。高きが故に尊いわけでは無論ないが、全て2000m以下の山である。その地理的配置から白山を西限とする高山の花が幾つかある。高山植物の女王といわれるコマクサもその一つで、お隣の立山にはあるのだがここ白山にはない。

 とずーっと思っていた、昨日の観察ツアーでガイドの話を聞くまでは。その話によると最近、何処かの誰かが大汝峰の頂上付近にコマクサの株を植え、今ではすっかり根付き元気に花を咲かせているという。

 これは一目見なくてはと思い、中宮道お花松原への予定を変更して大汝峰に登ることにした。室堂から西側のコースをとって、1時間余りで中宮道と大汝峰登山口との分岐に着いた。ここまで来ると登山者の姿は殆ど見えなくなる。 登山口からは20分ほどの登りで頂上にあっさりと着いた。ガレキで蔽われているが思ったより平らだ。その一角に小さな大汝神社があった。防風のため石積みされた壁に囲まれ、入り口を屈曲させてある。



 コマクサを求めて頂上付近を探し回った。カンカン照りの中10分ほど探したが見つからない。諦めかけたその時、5,6m前方に小石で輪状に小さく囲ったものが見えた。近づいてみるとその中に確かにコマクサが植えられていた。やや時期は終わりかけてはいるがまだ綺麗なピンク色を保って風に揺れている。

 一体どのような人が植えたのだろうか。その胸中にはどんな思いがあったのだろうか。私には知るすべもないが、しかしこれを自然の植生を改変する傲慢な行為と難ずる気持ちは全くない。時にはこんな遊び心もあっても良いのではないだろうか。自然だって充分気まぐれなのだから。

 数年後再びこの頂を踏み、一帯に伸びやかに広がって咲くコマクサを見る事ができるだろうか。

北陸山行②ーご来光

2006-08-15 | 登山
 隣の年配二人組がざわざわし始めたところで眼が覚めた。時計を見るとまだ三時半を過ぎたばかり。久しぶりのカイコ寝の山小屋泊まりだったのでよく寝付けなかった。睡眠不足で頭に靄がかかったようだ。暫くぼーっとしていると遠くでドンドンという小太鼓の音がする。夜明けの1時間前に鳴らされる、御来光登山を誘う太鼓だ。音に釣られて部屋の殆どの者が起き出した。私も寒さ対策のカッパを着込み、ポケットにペットボトルを無理やり押し込んで外へ出た。

 頂上で余り待たないようにと時間を見計らって出たのだが、それでもまだ早かったようだ。頂上に着いてもなお日の出の時刻5時05分まで二十分余りある。岩陰に座り風除けをしながら待つ。遥か遠くに北アルプスの稜線がくっきりと浮かび上がっている。次第次第に東の空が色を帯びてきた。
 
 不意に頭上から大声がした。岩の上に立った白装束の神職が、白山信仰の由来や遠く展望される北アルプスの山名等の話をし出した。これも御来光登山の式次第の一つなのだろうか。時折、吹きすぐ風が強くなり声が途切れがちになる。一瞬、アッという誰かの声がした。と同時に、双六岳の辺りから一筋の微小な光が放射された。

 何とも言い様のないどよめきが広がった。神職は更に何事かを話し続けているが、もう誰も聞いてはいない。次第に増す光の中で、私も夢中でシャッターを押し続けた。

 日はすっかり上がり、何かしら気の抜けたような空気が登山者たちに広がった。その時、まだ大岩の上にいた白装束の男が不意に万歳三唱の音頭をとり始めた。「平和日本万歳」と何度か連呼する。毎年3万人を越える自死者を出し続けている、いわば精神的内戦状態のこの国に平和などあるのだろうか。私は声にならぬ思いを胸にそっと場を離れた。西の空には注目されることの無かった十四夜の月が寂しげに沈もうとしていた。