野に撃沈

多摩地区在住の中年日帰り放浪者。ペンタックスK10Dをバッグに野山と路地を彷徨中。現在 野に撃沈2 に引越しました。

桜山公園

2007-11-28 | 野の花
 冬桜咲く桜山公園に行ってきた。埼玉県と境を接する群馬県藤岡市にある桜山公園は、春と冬の年二回花実が出来ることで有名。ぐるりと土産物屋で囲まれた大駐車場に着いたのは午前10時半をまわった頃、既に駐車場は一杯になりかけていた。駐車料金500円が公園の入場料のようになっていて入り口で徴収された。

 駐車場から少し登った所が日本庭園になっている。


 合計7000本といわれる冬桜の木。細い枝に粉雪を撒き散らしたようで繊細で
美しい。


 春に咲くソメイヨシノのような派手さはないものの、澄み切った冬空に映えてそれなりに美しい。


 一つ一つの花びらが白く透き通っている。





 同じ時期に紅葉も見られる。



 山の頂上付近には紅白の寒椿や山茶花が植えてある。


 冬桜と紅葉の対比を狙うのだがなかなか上手くは撮れない。


 
 これは欲張って紅葉と冬桜と山茶花と撮ったもの。




 頂上付近は幾重にも鉢巻状に散策路がつくられている。



 この日は天気が良かったものの北風が強く、山の北西側の斜面は凍えるほど寒かった。反対側の暖かい方の南斜面では地元のおばさんたちによる茶店がひらかれ、みそおでんや甘酒が売られていた。



 春と勘違いしそうな暖かい陽ざしを浴びて咲いていたアザミの花。


 空の色も違う。




 この木の紅葉は一際鮮やかだった。


 芝生広場の向こうには奥武蔵の山々がみえる。


 ぐるっと一周してまた寒い方の斜面に戻ってきた。




 お昼近くの日本庭園付近は見物客でごった返していた。


 山にいたのは一時間少しなのに、入り口から長く駐車待ちの車の列が続いているのには驚いた。


 今年は紅葉と冬桜の時期が少しずれているようだ。紅葉には少し遅く、冬桜にはまだまだ蕾が多く少し早かったようだ。冬桜の見頃は12月初めぐらいだろうか。


 帰りは秩父の長瀞に寄った。おまけの一枚。



新しき村を訪れてー私的感想

2007-11-24 | 散歩
 八王子と高崎を結ぶ不便極まりない八高線。その毛呂駅から晩秋の奥武蔵を歩いた。乱雑に造成されたゴルフ場の合間を縫って山道を廻り、鎌北湖のそばを通り新しき村を訪ねた。

 八高線の踏み切りの所に標識があった。



 入口脇の木製の柱にはかすれかけた文字で「この道より我を活かす道なしこの道を歩く」とある。



 道の反対側にも石碑が置かれてあるが、書かれてある文字は判然としない。


 
 古びた紙ビラに村の由来が書かれている。



 村人なのだろうか、老婆が二人買い物袋を手に自転車を押して門を入って行く。両脇には茶畑が広がっている。



 門柱には「この門を入るものは自己と他人の 生命を尊重しなければならない」とある。周囲にはのどかな田園風景と無音の世界、擦り切れた観念だけがどこか所在無げだ。



 破屋がある、人は住んでいるのだろうか。赤い消火栓の箱さび付いたトタン屋根がアンバランスだ。





 使われなくなって久しい井戸と手洗い場。



 新しき村生活館。洒落た椅子が置かれている。



 建物の前に張り紙が張ってあり「新しき村の精神」とある。日付は1998年、村創立80周年と記されていた。



 生活館の隣には演芸の舞台場のような建物があった、額には「之楽不如」と。



 ここでは村の生産物の直売が行われている。以前来た時には平日でも開いていたが現在では土日のみとなっているようだ。



 三角屋根の建物。



 村外会員の宿泊施設「白雲荘」。新しき村には村で生活する村内会員と村の外で生活しながら村を支える村外会員(会費年6000円)とがある。



 新しき村公会堂。村民の食堂となっている。村外の人は利用できないようだ。



 真向かいには「新しき村美術館」がある。以前来た時は入れたのだが、この日は4時半をまわっていたからなのか閉じていた。



 すぐ近くには実篤の「美は どこにも」と書かれた自然石の碑がある。



 鶏舎へといたる坂道。道の傍らには割られたばかりの薪が積んであった。向こうから軽トラに乗った30代ぐらいの若者がやってきて公会堂の前に停まった。



 使われていない鶏舎が多い。



 村にある建物はその殆ど全てが古びているが、その中にもどこかシックな品格が感じられる。



 弔いの施設なのだろうか。
 


 空を見上げると、柿の実に茜日が射し始めていた。



 村の電信柱にも明かりがついた。その脇で世界中の4つの人種の肌色から考案されたという村旗が、熱を失い風を受けることなくうな垂れている。



 水田にはすっかり日が落ちたようだ。スローガンと観念を化石のように内蔵した新しき村の杜が色と明りを失い、大きな墓場のように立ち現れてくる。



 新しき村の杜も闇色に塗りつぶされてしまった。夜気を含んだ風が冷たい。実現することなく終わった夢。時の墓場。村の杜の上を通る高圧線が、妙に威圧的に落ちかかる日を浴びて輝いていた。






国立天文台

2007-11-20 | 野の花
 三鷹にある国立天文台に行ってきた。ここは年末年始をのぞく毎日常時無料公開されているが、駐車場はないのでJR武蔵境や京王線の調布駅からバスで行くしかない。

バス停の前がすぐ門となっている。


 入口すぐ脇に受付があり、ノートに名前と日時を記入し胸に貼る訪問者用のシールを貰って入場。年配の管理人が丁寧に歩き方を教えてくれた。


 入ってすぐは管理棟となっていて見学者は立ち入ることは出来ない。


 その前にあった日時計のようなもの。


 管理棟を左に折れて100mほど歩くと第一赤道儀室がある。1921年に建設され、2002年には登録有形文化財に指定された。1939年から60年間に渡って太陽観測に使われてきたとある。

 中に入って見学も出来る。

 この小径は太陽系ウォーキングと名づけられ太陽系の距離を140億分の1に縮めたもの。小径に沿ってそれぞれの惑星の140億分の1の模型が展示されている。




 太陽系ウォーキングの小径を途中から左に歩いていくと、林の中に古びたレンガの背の高い塔が見えてくる。1930年建設の太陽分光写真儀室、愛称「アインシュタイン塔」だ。高さ18.6m、地上5階地下1階のこの建物は塔全体が望遠鏡の筒の役割を果たしていて「塔望遠鏡」とも言われている。


 紅葉し始めたポプラの葉の中で今は役目を終え、厳かな佇まいを見せている。


 再び太陽系の小径に引き返し進むと、突き当たりに大きな建物の天文台歴史館(大赤道儀室)がある。地上19.5m、ドーム直径は15mの建物は内部が二階となっている。


 入口脇には65cmの屈折望遠鏡の操作盤があり、その隣には明治8年製(天文台最古)の望遠鏡が展示されている。


 中央には巨大に65cm屈折望遠鏡がおかれていて、その周りを様々なパネルや道具類が展示されていて楽しめる。

 パソコンを使った天文台の歴史や活動の紹介ビデオはとてもおもしろく、時間を忘れて見入ってしまったほどだった。

 休憩所の脇には現在の活動を中心とした展示室もあった。展示室から更に奥に入って行くとスクラッチタイルの壁の旧図書館の建物があった。ここは中には入れなかった。


 建物の周囲には古びた桜の大樹が植わっていて、ちょうどツタウルシが真っ赤に紅葉をしていた。


 レプソルド子午儀室。惑星や小惑星の赤径観測がここで行われていた。




 天体の精密位置観測をしていたゴーチェ子午環装置の置かれた半円形ドーム上の建物。こういう味のある建物は暫く見ていても飽きが来ない。




 一番奥の突き当たりは芝生の広場となっていてその中に自動光電子午環のある大きな建物が建っている。



 建物の内部に入ることも出来る。


 同じ道を引き返した。運動場のようなものがある。芝生越しに見えるのは50cmの公開望遠鏡。ここでは月二回定例観望会が開かれている。
 

 入り口近くの管理棟まで戻った。楽しみにしていたコスモス会館のラーメンを食べようと急いだのだが、間一髪間に合わなかった。食堂が開いているのは11時半から1時までの短い間のみと分かってはいたのだが、ついついビデオに夢中になって時間を忘れてしまった。残念だがこの次の機会にせざるをえない。ともあれ出勤前の寄り道2時間、大いに楽しませてもらった。次は絶対ラーメンをたべるぞ!

晩秋の笠取山山麓を歩く

2007-11-17 | 登山
 4ヶ月ぶり(6月14日に記事があります)に笠取山に登ってきた。いつものように一の瀬高原作場平口からの登山である。一の瀬高原はちょうど紅葉が真っ盛りを迎えていた。



 晴れ渡り空気が澄み切っていて気持ちが良い。カラマツは登山口付近からもう殆ど葉を残していない。


 撮る花が無いので登りのペースがいつもより速い。一時間と少しで笠取小屋まで来た。


 この小屋から笠取山までの山麓一帯の草原が私の大のお気に入りの場所である。見晴らしのよいなだらかな傾斜に特徴のある枯れた木が散在する。小さな分水嶺があり、雁峠があり、富士の見える丘がある。幾度も私はここで陽光を浴び、またある時は降りしきる雨の中を歩き、そして吹き過ぎる風を楽しんだ。


 今日は今までで最高の天気だ。


 これはトウゲブキの枯れ花だろうか。


 ここの草原の見所は何といっても立ち枯れた木。




 自然と生命との合作。






 煌めく陽光が眩しい。


 船のマストのようなこの木も健在だ。




 遠く富士も望めた。


 ナナカマドの赤い実も蒼い空に映えている。


 笠取山の頂が見えてきた。頂上に2,3人の人が見える。


 この丘を越えれば分水嶺。


 やっと分水嶺に辿り着いた。






この分水嶺の丘から眺める富士はとりわけ素晴らしい。


 いったん下った窪地に赤錆びた機械が放置されてある。


 ここからは笠取山の頂上まで急な登りが始まる。


 息が上がり膝ががたついてきた所で小休止。随分登ってきたものだ。


 分水嶺の碑も眼下に小さく見える。


 頂付近の立ち枯れた木がみえてきた。頂上はもうすぐだ。




 やっと頂上。いつもながら頬を撫でて行く風が心地よい。


<本日であった人>4人グループ一組、3人連れが2組、夫婦連れが2組、単独3人以上






赤沢宿ー時の陥穽

2007-11-14 | 旅行
 赤沢宿の存在を知ったのは、山梨県早川町の雨畑温泉に1泊の旅行を予定していて、ついでに付近の観光地を捜していた時だった。

 山梨の南西に位置する赤沢宿は、かって日蓮宗の総本山身延山と山岳信仰の山七面山を結ぶ宿場町として栄えた。詳しいことは赤沢wiki

 身延山観光をした後に、R52を上沢で左折し南アルプス林道(37号線)に入った。赤沢宿へは10kmほど行った南アルプスプラザの前でもう一度左折するはずだった。が、入り口を見落とし行き過ぎたようで七面山の登山口の方に入ってしまった。引き返してトンネル手前の道を入り直して、赤沢宿に辿り着いたのはやや暗くなりかけた頃だった。(尚以下の写真は道順どおりではありません)



 道の脇には石碑が幾つか無造作に置かれてあリ、其処に菊の花が手向けられている。長い年月を経たせいなのか碑銘は読みとれない。


 
 赤沢宿は日本を横断するフォッサマグナの渓谷に位置し、切り立った山の中腹にある。斜面にへばりつくようにたっている家並みの間を狭く曲がりくねった道が通っている。


 元旅館だったのだろうか、造作がどことなく垢抜けている。


 明治の全盛期には四十戸足らずのに九軒もの旅館があったという。それが2000年には三軒となり、今営業しているのは「江戸屋」の一軒のみ(冒頭の写真)となった。廃業した旅館のなごりが随所で見られる。




 木札には何と「大正十年十月吉日」と記されている。90数年来、は停まったままだ。


 山あいの集落とは思えないほど、中央を通る道は石畳でしっかりと作られている。国選定の重要伝統的建造物群保存地区(官僚臭ぷんぷんの長い名だ)ということで補助がなされているのだろうか。


 トタン屋根と真新しい薪ストーブの煙突。見ているだけで懐かしさがこみあげる。


 消火栓の口が開けられたまま放置されていた。はここでもいきなりその歩みをとめたかのように思える。



 使われてないのだろうか、何も貼られていない掲示板。


 洗い場の水だけが小さく音を立てて流れている。その音で少しほっとする自分がいる。人が住んでいるのかさえ疑わしく思えてくるほど、人気はなく辺りは静まり返っている。山あいの集落にありがちなよそ者にほえる犬の声も全く聞こえない。


 今は余り見かけなくなった路上の公衆電話。傍の歌碑は若山牧水のものらしい。



 つぎはぎだらけの屋根が妙に洒落て見える。屋根の向こうに見えるのは信仰の山七面山。頂は更に高く視界の遥か上だ。


 転がっている石碑は置き去りにされたそのものに他ならない。 

 今では姿を消して久しい、木の電信柱。


 小半時歩いていても一人の人にも出会わない。ある日住民がいっせいにいなくなりそれ以来、が停まったかのようだ。軒先に掲げられた木の札に公民館とある。ここでやっと村人と会い、軽く無言の会釈を交わした。




 蕎麦屋があった。「そば処 武蔵屋」とあり巡礼そばを食べさせてくれるらしい。
が営業は15時まで、既に終わっていた。




 妙福寺とある。立派な建物だ。


 畑で野良仕事をしている老夫婦を見かけた。山の端に落ちていこうとしている陽ざしを浴び、ゆっくりとした所作で二人会話を交わすことなく静かに何かを植えている。立ち姿が神々しく言葉をかけることは出来なかった。石垣の菊の花だけが艶かしかった。


 晩秋の陽は落ちるのが早い。あっという間に山の向こうに隠れてしまった。やがて緩やかに風も立ち始めた。


 闇は地から湧いてくるというが本当にその通りだ。辺りはすっかり暗くなっているのに空や山はまだ明るい。吹き始めた山風とともに、白昼のさなか歩みを止めていたもゆるゆると過去に向かい動き出した。




 闇は次第に濃さをまし、屋根や樹木へと上り始めたようだ。日が落ちてからはこの世ならぬ者たちが支配する時間なのだろう。そろそろと妖しき者の気配が漂ってきている。今夜は山の反対側の雨畑温泉に泊まる予定だ。時の陥穽に落ちる前に帰りを急ぐことにしよう。