記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

お山の保育園 【7月30日 追記あります】

2005-07-29 | 合研とその思い出
 合研に限らず、保育関係の学習会で、参加者の連れてきたお子さん(学童も含む)を保育するのは珍しいことではありません。おりがみも、保育要員として千葉や湯河原の保育大学で、まったく知らない初対面のお子さんたちとすごした経験があります。

 今でこそ色々なコンサートやイベントで「保育あります」が当たり前のようになっていますが、30年以上前からこうした取り組みが出来ていたのはさすが保育関係者の集会ではないか、と自画自賛。

 さて、1990年のアルバムをめくると、あったあった。きんちょーの面持ちのうえちゃん





保育の受付を待っているところです。町営保育所をお借りしての臨時保育所ですが、設備面はおりがみの職場より数段立派でしたから「これなら預けても安心だなあ」とホクホクしました。心置きなく、分科会に出かけることができました。当時としては懸案の長時間、延長保育時間の問題について話し合う分科会に出席しました。


 今でこそ11時間半以上の保育時間が当たり前のようになっています。この時代はその兆しが徐々に各地で広がっていったころでした。(うちのえんは既に朝7時から夜7時までが開所時間でしたが、公立保育園では7時半から夕方6時半でした)
保育時間を長くすることがどのような影響をもたらすのか、予算や人的な手当てをしないままの闇雲な時間延長に走るのはどうなのか、本当に真剣な内容でした。

 さて、分科会が終わった夕方湯田中の町をひた走って、保育所にたどり着くと、うえちゃんは保母さんと一緒にブランコに揺られていました。

「ありがとうございました。どうでしたか?」
いつも保護者から言われる台詞を自分が言ってる不思議。
「お昼寝もしっかり出来ましたし、ご飯もよく食べていましたよ、オムツも使わないで済みましたから、ね、うえちゃんおトイレでできたんだよねー」」
「はあ、どうも、お世話になりました(気が抜けた)」
「おかあちゃーん、うえねー、しゅいかたびたよ(スイカ食べたよ)」
「おいしかった?」
「うん、おかやり(おかわり)したよ、ぽっとん便所(トイレが汲み取り式だったらしい)だったよ」


ここは安心できる場所、と、察知したのでしょう。うえちゃんの表情は見違えるようになりました。

温泉街をうきうきとお散歩して宿まで帰りました。「明日もお山の保育園に行こうね」というと「うん、おかあちゃんはおべんきょう」「はい」



三日目の午前中も保育所にお願いして分科会に出ました。

長時間保育は、大人の都合で推進するのではなく、そこに預けられる子どもの育ちにとってどうなのかを先ず念頭においてよりよいものを目指してゆきましょう。と確かめ合ったうえで、今、切実に長時間保育を必要としている子どもを置き去りにすることの無いように、当面の受け皿としての認可外施設の役割が改めて注目されたように感じました。





20代のわたし・・・馬力があったなあ・・。






「おやまのほいくえん、たのしかった、またいきたいなー」



うえちゃんもおりがみもちょっぴりおおきくなれたかな?という第22回合研の思い出です。


【追記 7月30日 】
 この集会の少し前に、兵庫県の県立高校で、校門にはさまれて女子生徒が圧死するという痛ましい事件がありました。朝、遅刻の生徒指導をしていたときのことと報道されていました。集会の記念講演の中で、講師の先生が、「学校の門が子どもを死なせてしまうような哀しいことは、二度と起こしてはならない」と話されていました。
生徒が門を強行に通り抜けようとしたときに、ガラガラと門を閉めた教師の心はどんなありようだったのでしょう?うえちゃんが高校生になった今、高校を取り巻く状況は当時からよくなっているのでしょうか・・。

 

 

 


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