悲しいときー目の前のこどもがブロックで「てっぽう」を作って私のあたまにバーン・・と撃ったときー。
ええ、そうですとも。あたしゃ戦争は大嫌い。
東京大空襲のとき、13、4歳だった両親は燃え盛る焼夷弾の中を逃げ、命からがら生き延びたのです。
その両親から生まれた私が、戦争好きな子に育つわけない。
長じて、きゅうじょうのすきなほいくし
と名のるからには
この本を紹介しとかにゃなるめぇと・・・。
金の星社刊「けんちゃんとトシせんせい」こういうホンです。
作者高木敏子さんは「ガラスのうさぎ」という作品で有名なオバチャンであります。
「ははぁーん」と思う人はいわゆる子ども向けの戦争を描いた本をよく読んでる人でしょう・・。
「ゲンのいた谷」がチビおりがみにとっての最初の「戦争とこども」を描いた本でした。
「けんちゃん・・」は保育士おりがみになって、また母親おりがみにとってのもっとも重要な「戦争とこども」本であると言えます。
題名に出て来る「トシ先生」は高木さんではなく、実在した福地トシさんという保母さんです。
わたしはこの名を保育士になりたての20代後半にある本で知っていました。
もう絶版になっているですが、「年齢別保育講座」
保育を学ぶお人なら「一応読んで置けよ、保育指針よか大事なコトが書いてあるぜよ」と言う本です。
記述内容には「時代遅れ」「今はこういう風にしない」という物もあると思いますが、
保育の基本がしっかりと書かれている点では
ペランペランで色ばっかり綺麗なイマドキの保育雑誌などにはない、「骨太」な専門書です。
これの、どの年齢別のにも、冒頭に必ず
「けんちゃんとトシせんせい」の題材となった「疎開保育園児けんちゃん」とその担任のトシ先生の実話が載っているのです。
面白いでしょ?
どの年齢のこどもの担任になろうと、保育士はこどもの福祉を己の仕事にかけて守れ・・という意味があるんだな。
と、おりがみは理解してました。
トシ先生のような悲しみのない世の中を、こどもたちに手渡したいと切に願うものです。
エピソードが、絵本となって出版されたのは1994年の事。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【あらすじ】
長引く太平洋戦争。小学生(当時は国民学校)ばかりでなく、保育所にも疎開の命令が下ったであります。
その背景に、トシ先生の勤務していた保育所が所謂官製のモデル園で、当局の思惑通り、戦意を高揚させるための一定の役割を期待されたのでは・・と察するのでありますが。それは絵本の本筋では無いので・・・。
かくして、幼いけんちゃんたちは、若い保母先生たちと、東京を遠く離れたお寺で「疎開ッ子」生活を送ることになります。「遊ぶ事」が生きることのすべての幼児が、親元を離れ集団生活を余儀なくされたのです。
お出かけとワクワクしていたのも束の間。
しらみが湧き、お風呂も満足に入れない。
食べ物は貧しく、遊ぶものも無い。
小学生は「勉強」やら「勤労奉仕」という活動がありましたが、幼児が何ができると言うのでしょう。
それでもけんちゃんは担任のトシ先生の愛情に包まれて、いつかおかあさんや家族と一緒に暮らせる日が来るのを願っていました。
やがて、東京の空が真っ赤に染まります。東京大空襲です。
様子を見に、元気者の若い保母が単身東京へ。
帰りついた彼女は、多くの園児の家庭が戦災で全滅した事を報告します。
一家全滅を幼児に伝えるのは、担任の役目でした。
トシ先生から話を聞いて、けんちゃんは外へ飛び出し、空に向かって叫びます。
「おおーーーい、日本のへいたいさーん。はやくせんそうやめてくれーーーーーー」
あらすじここまで
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしはトシ先生のような役目だけは絶対にやりたくない。
また、どの子にもけんちゃんのような悲しい経験をさせてはならないと、思うものです。
で、冒頭のかなしいときー・・ですが。
蜂の巣状に撃たれた気分になったおりがみは、「てっぽう」の持ち主にこう呟くわけです。
「○○チャンの頭、今度は先生に撃たしてくれる??」
大抵のおこは「いや」といいます。
「そう、センセも実はすっごく嫌だったよ・・ほんとに痛いような気持になった。」
大抵のおこはバツの悪そうな表情になるのです。
でも、幼児は忘れるのも仕事です。
またバキューン!!と楽しげに撃ってますわ・・・。(⊃Д`)゜。・゜
ええ、そうですとも。あたしゃ戦争は大嫌い。
東京大空襲のとき、13、4歳だった両親は燃え盛る焼夷弾の中を逃げ、命からがら生き延びたのです。
その両親から生まれた私が、戦争好きな子に育つわけない。
長じて、きゅうじょうのすきなほいくし
と名のるからには
この本を紹介しとかにゃなるめぇと・・・。
金の星社刊「けんちゃんとトシせんせい」こういうホンです。
作者高木敏子さんは「ガラスのうさぎ」という作品で有名なオバチャンであります。
「ははぁーん」と思う人はいわゆる子ども向けの戦争を描いた本をよく読んでる人でしょう・・。
「ゲンのいた谷」がチビおりがみにとっての最初の「戦争とこども」を描いた本でした。
「けんちゃん・・」は保育士おりがみになって、また母親おりがみにとってのもっとも重要な「戦争とこども」本であると言えます。
題名に出て来る「トシ先生」は高木さんではなく、実在した福地トシさんという保母さんです。
わたしはこの名を保育士になりたての20代後半にある本で知っていました。
もう絶版になっているですが、「年齢別保育講座」
保育を学ぶお人なら「一応読んで置けよ、保育指針よか大事なコトが書いてあるぜよ」と言う本です。
記述内容には「時代遅れ」「今はこういう風にしない」という物もあると思いますが、
保育の基本がしっかりと書かれている点では
ペランペランで色ばっかり綺麗なイマドキの保育雑誌などにはない、「骨太」な専門書です。
これの、どの年齢別のにも、冒頭に必ず
「けんちゃんとトシせんせい」の題材となった「疎開保育園児けんちゃん」とその担任のトシ先生の実話が載っているのです。
面白いでしょ?
どの年齢のこどもの担任になろうと、保育士はこどもの福祉を己の仕事にかけて守れ・・という意味があるんだな。
と、おりがみは理解してました。
トシ先生のような悲しみのない世の中を、こどもたちに手渡したいと切に願うものです。
エピソードが、絵本となって出版されたのは1994年の事。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【あらすじ】
長引く太平洋戦争。小学生(当時は国民学校)ばかりでなく、保育所にも疎開の命令が下ったであります。
その背景に、トシ先生の勤務していた保育所が所謂官製のモデル園で、当局の思惑通り、戦意を高揚させるための一定の役割を期待されたのでは・・と察するのでありますが。それは絵本の本筋では無いので・・・。
かくして、幼いけんちゃんたちは、若い保母先生たちと、東京を遠く離れたお寺で「疎開ッ子」生活を送ることになります。「遊ぶ事」が生きることのすべての幼児が、親元を離れ集団生活を余儀なくされたのです。
お出かけとワクワクしていたのも束の間。
しらみが湧き、お風呂も満足に入れない。
食べ物は貧しく、遊ぶものも無い。
小学生は「勉強」やら「勤労奉仕」という活動がありましたが、幼児が何ができると言うのでしょう。
それでもけんちゃんは担任のトシ先生の愛情に包まれて、いつかおかあさんや家族と一緒に暮らせる日が来るのを願っていました。
やがて、東京の空が真っ赤に染まります。東京大空襲です。
様子を見に、元気者の若い保母が単身東京へ。
帰りついた彼女は、多くの園児の家庭が戦災で全滅した事を報告します。
一家全滅を幼児に伝えるのは、担任の役目でした。
トシ先生から話を聞いて、けんちゃんは外へ飛び出し、空に向かって叫びます。
「おおーーーい、日本のへいたいさーん。はやくせんそうやめてくれーーーーーー」
あらすじここまで
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わたしはトシ先生のような役目だけは絶対にやりたくない。
また、どの子にもけんちゃんのような悲しい経験をさせてはならないと、思うものです。
で、冒頭のかなしいときー・・ですが。
蜂の巣状に撃たれた気分になったおりがみは、「てっぽう」の持ち主にこう呟くわけです。
「○○チャンの頭、今度は先生に撃たしてくれる??」
大抵のおこは「いや」といいます。
「そう、センセも実はすっごく嫌だったよ・・ほんとに痛いような気持になった。」
大抵のおこはバツの悪そうな表情になるのです。
でも、幼児は忘れるのも仕事です。
またバキューン!!と楽しげに撃ってますわ・・・。(⊃Д`)゜。・゜
が、こういうことがあったことを伝えるのも、空襲を経験した親を持つ私たちの役目…ですよね
そういえば、もうスグ6月1日(ウチのオフクロが工場へ働きに行って日付が変わっても帰って来なかったので、家族は空襲で死んだと思っていた日)やわ
こどものころ母上に連れられ
所謂「子ども向け戦争映画(含ガラスのうさぎ)」をたくさん見せられて、すっかり苦手になってしまったそうです。
さもありなん。
これを20代の頃聞いたおりがみは
わが子たちには「小出し」に戦争についての映画や絵本等をチラ見せするように心がけておきました。
この春までやってた「芋たこなんきん」などはソフトでしたが、こどもと戦争について考える良いドラマだったと思います。
>空襲経験者の子として話す
もしも爆弾がおばーちゃんに当たってたら、私は生まれてないのよ・・みたいな話からでもオッケーかと・・。
終戦のころには教員養成所を出て小学校に就職しておりましたよ。
戦争といってもぜんぜん実感がない
ただ、軍事教練(いまでいう中学生の頃の年齢)で2km先にある的を狙って実弾を撃つ体験をしたそうです。女子だというのに・・・。
子どもに銃を持たせる時代が再びこないように行動しなきゃ。
当然、敵方からはこどもといえど攻撃の的にされる。
戦争しなきゃいいだけのことなのに・・大人はやめられないのよね。
>こどもに銃
いまの子ども向け番組や玩具は
こどもが平気で銃を持ち、撃てるような環境を作っているとしか思えません。もちろん、教育も。