変温動物のほんとうはあったかはーと

冷たくないよ、ちょっと心が暖かくなる話を書きます。

かわいそうな一円玉

2007-10-19 15:37:09 | Weblog
久しぶりに歩くことを思いついた。

海岸まで行ってみる。少しずつ近づくその海がきらきらと輝いて見えてきた。弘法大師が杖をついて生まれたという島が沖に浮かぶ。夕刻には、その後ろの島の山に夕日が沈む。オレンジ色に輝いてくるとますます美しくなる。

もう10年位前だろうか、映画の舞台にもなった風光明媚な海岸だ。映画の完成を記念して、その海岸を背景に草ぼうぼうの所をきれいに草刈をして、鑑賞会が催された。娘と二人乗りをして、自転車で見に来たことをおもいだす。主役を演じた若い女優さんは、今では、名前をいえばすぐ分かるまでに成長している。

その際にしっかりとすばらしい光景を映像に残しておいてもらってよかった。

今では、すっかりその様子は変わってしまっている。波をよける為のブロックが、沖に一列に並んでいる。そのブロックがあることで、海岸線が崩れてしまっている。陸のほうは、訳の分からない無駄としか言いようのない公園が作られた。町の財政が困難で市と合併をしたのに、こんな無駄をまだまだし続けている。なんだか気分が悪くなった。

海岸を砂に足をとられながら、歩いていると、一円玉が落ちているのをみつけた。色が変わってしまって、かわいそうだった。拾ってしっかりとポケットに入れた。

そして、今朝、洗濯をしていたら、水槽の底に沈んでいるその一円玉を見つけた。

ウォーキングから帰ってきたら、すっかりとそんな悪くなった気分とかわいそうな一円玉のことを忘れていたのだ。

時間が過ぎてゆくというものは、そうなのかもしれない。だから、お金のために人のためにといって手をつけなくてもいい土地の開発をしていけるのだ。そして、美しかった光景も開発の為と諦められるのだろう。

ある作家がこう書いていたことを思い出した。

「忘却という人間の能力は、恩寵と劫罰を併せ持つ諸刃の刃(やいば)のようなもの」