ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

新国立劇場で「こうもり」を観る

2023年12月10日 | オペラ・バレエ

新国立劇場でオペレッタ、ヨハン・シュトラウスⅡ世作曲の「こうもり」を観た。14時開演、17時15分終演。今日は、4階D席、6,600円。最近は夜の公演がキツくなってきたのでなるべく昼の公演を観に行っている。今日はS席のみ当日販売があったそうだが、最後は満席になったようだ。観ていると幅広い年令層が来ているように見えた。

【指 揮】パトリック・ハーン(墺、28)
【演 出】ハインツ・ツェドニク(墺、83)
【美術・衣裳】オラフ・ツォンベック
【振 付】マリア・ルイーズ・ヤスカ
【照 明】立田雄士
【舞台監督】髙橋尚史

指揮者のハーンは調べてみると何と28才、本当なのかと驚く。ピアニストでもあり、作曲家でもある。この若さで既にコンセルトヘボウ管弦楽団、ミュンヘンフィル、ロンドンフィルなど名だたる楽団の指揮をしている。指揮者コンクールで優勝したなどの受賞歴があるわけでもないのに、どうして有名楽団との共演ができたのか、日本ではとても考えられない。オペラも既に指揮している。カーテンコールの時にステージに上がってきたが、確かに若そうだ、すごいことだ。

逆に演出のツェドニクは83才、新国立劇場の解説では、ウィーン宮廷の名テノール歌手でウィーン気質を熟知したエレガントで洒脱な仕掛けがふんだんに用意された正統的な演出とのこと。2006年にこの「こうもり」の演出で演出家として世界デビューを果たし、09年、11年、15年、18年、20年に再演、今回が6度目の再演となるそうだ。もしかしたら、私も新国立で過去に1回、ツェドニクのこうもりを観ているかもしれない。

演出以外ではアール・デコ調の華やかな美術・衣裳も大きな見どころで、金色に輝く幾何学模様や官能的なラインの衣裳など、クリムトを彷彿させるデザインとなっていると劇場は解説している。

【アイゼンシュタイン】ジョナサン・マクガヴァン(英、※)
【ロザリンデ】エレオノーレ・マルグエッレ(独、45、※)
【フランク】畠山茂(ヘンリー・ワディントンの代役)
【オルロフスキー公爵】タマラ・グーラ(米、※)
【アルフレード】伊藤達人
【ファルケ博士】トーマス・タツル(墺、※)
【アデーレ】シェシュティン・アヴェモ(スウェーデン、50、※)
【ブリント弁護士】青地英幸
【フロッシュ】ホルスト・ラムネク(墺、※)
【イーダ】伊藤 晴

(※)新国立初登場

【合唱指揮】三澤洋史
【合 唱】新国立劇場合唱団
【バレエ】東京シティ・バレエ団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

ロザリンデ役のエレオノーレ・マルグエッレについては新国立劇場のホームページにインタビュー記事が出ていたので読んで見ると、

「自分はハイデルベルク生まれで、高校卒業後にマンハイムの劇場で実習を受け、すっかり劇場に魅せられた。演劇かオペラか、2つの道がありましたが、演劇だとその言語の国に限られるけれど、音楽なら世界に出ていけると考え、オペラを選んだのです。歌手になった最初はコロラトゥーラ・ソプラノの声で歌いましたが、30歳で息子を産んでからはドラマティックなコロラトゥーラ・ソプラノになり、その後リリック・ドラマティック・ソプラノの役の方向に進みました。新国立劇場で歌うロザリンデ役にはすべてが含まれています。中音域の良い声も必要で、チャルダッシュもあるし、低音から高音まであり、大好きな役です」と述べている。

さて、今日の公演を観た感想を述べてみたい

  • 歌手陣はいずれも声量豊かで4階席の私にもよく聞える声で歌っていた、ロザリンデ役のマルグエッレは美人で高音もよく出て、チャルダッシュもうまく歌って素晴らしかった。アイゼンシュタイン役のマクガヴァンも音声豊かでアイゼンシュタインの性格をうまく演じておかしいくらいだった、今日の演技賞をあげたい。アデーレ役のアヴェモも大変よかった、役柄にピッタリの演技だったと思うし歌もうまかった、もう準主役級でしょう。刑務所長役のピンチヒッター畠山は刑務所長のイメージピッタリのコスチュームで笑えた。
  • パトリック・ハーン指揮の東京フィルの演奏もよかった、ハーンの指示だと思うが、今日の演奏ではところどころトランペットが旋律をリードするような吹き方をしていたのが興味深かった。また、場面が盛り上がる「雷鳴と電光」などの演奏の時も思いっきり大きな音を出すのではなく、抑制の効いた上品な演奏はさすがだと思った、ウィーン風の上品さというものを意識しているのだろうと思った
  • ツェドニクの演出は私が好きなオットー・シェンクの演出に似ていて好感が持てた。特に第2幕の「雷鳴と電光」の時の演出などはお祭り騒ぎの中にも華やかさがあり、ウィーンの社交場のダンスホールのようなイメージの舞台設定になっていたのが大変印象的で素晴らしいと思った。
  • この演目で私が好きな第2幕のワルツとかポルカで陽気に騒ぐところだが、今日はまず最初にシュトラウスの「ハンガリー万歳」が演奏され、そのあと「乾杯の歌」に続いて有名なポルカの「雷鳴と電光」が演奏された。私は「こうもり」でこの「ハンガリー万歳」というのは初めて聞いたが良い曲だった。
  • 私は自分の中で1986年のカルロス・クライバー指揮、オットー・シェンク演出版が一番好きで、これと比較して今日の演奏はどうかと判断することにしているが、今日の公演はほぼこの基準に達していたと思った。それだけ素晴らしかった。

本当に楽しいオペレッタだった。帰りにホワイエで、終演後のレストランの予約は満席となりました、と張り出してあったのを見た。楽しいオペラのあとで国立劇場のレストランで夕食とはきっと最高の年末の夜になるでしょう。また、今日は休み時間に12月下旬の演劇公演「東京ローズ」のチケット買って帰った。


喜歌劇 『こうもり』(新制作)を観に行く

2023年11月28日 | オペラ・バレエ

東京芸術劇場で開催された「喜歌劇こうもり(新制作)」を観に行った。今日は3階席の一番前、7,000円。14時開演、17時半頃終演。チケットは完売だそうだ。幅広い年令層が来ていた、女性が多かったように見えた。

この題名だが、登場人物のファルケ博士が友人のアイゼンシュタインから仮面舞踏会に誘われ、こうもりの衣装を着けたまま帰宅したことから「こうもり博士」というあだ名をつけられ、それの仕返しをするために仕組んだパーティーの余興が題材となっているため「こうもり」という題名がつけられた。

このオペレッタは大好きだ。やっぱり、オペラは悲劇より喜劇の方が好きだし、オペレッタの愉快な音楽が好きなので「こうもり」は何回も見ている。音楽が実に素晴らしい。

指揮:阪 哲朗
台本・演出:野村萬斎(オペラ初演出)

アイゼンシュタイン:福井 敬
ロザリンデ:森谷真理
フランク:山下浩司
オルロフスキー公爵:藤木大地
アルフレード:与儀 巧
ファルケ:大西宇宙
アデーレ:幸田浩子
ブリント博士:晴 雅彦
フロッシュ:桂 米團治
イーダ:佐藤寛子

合唱:二期会合唱団
管弦楽:ザ・オペラ・バンド

このオペレッタ公演は、今年度の全国共同制作オペラ。これは文化庁の助成を得て、全国の劇場や芸術団体などが共同で新演出オペラを制作するプロジェクトで、平成21年にスタートした。これまで野田秀樹の「フィガロの結婚」、森山開次の「ドン・ジョバンニ」などが上演された。

オペラ演出初挑戦の萬斎は、世阿弥の「珍しきが花」という言葉を引用し、それなりに珍しいものにしようと思っている、日本ならではの発想、能・狂言のならではの発想を活かしたい、と語っている。そして、今までなじみのない方にもとにかく親しんで頂くことが目的で、日本に舞台を置き換えて身近に感じてもらえるよう仕掛けをしたと語っている。具体的には、

  • 第1幕が質屋の店の裏のちゃぶ台をめぐる茶番劇、第2幕は鹿鳴館を舞台にした夜会、第3幕は牢屋での大団円とした。
  • アイゼンシュタインを質屋の親父、オルロフスキーは公家、牢屋はコミックの「はいからさんが通る」のイメージにした、衣装もアイゼンシュタインとロザリンデ、オルロフスキーは着物を着て出てくる
  • 舞台は変則の能舞台とし、橋がかりを三本付け、畳を敷いたり、模様替えをしながら見せる
  • フロッシュ役の桂米團治が活動写真の弁士のような進行役をする、第3幕ではそれをファルケ役の大西宇宙がやる
  • 歌と歌の間のセリフを日本語でやる

こうもりの初演は1874年、その前年はウィーンの株価が大暴落し、大恐慌になった。庶民の暮らしが苦しくなる中で、ままならないことは忘れて、忘れることは幸せだと能天気に歌い、すべてはシャンパンのせいとお酒を称える合唱で大団円を迎える。

そもそもオペレッタは庶民目線で上流階級に対する風刺を生命とする芝居だ。オッフェンバックの「天国と地獄」はフランスにおける風刺オペレッタの代表。「こうもり」も揶揄のスピリットが満ちている。ウィーンの金持ちたちの倦怠感に満ちた生活、シャンパンを飲んで懲りずに浮気などを繰り返すいい加減さをワルツやポルカで嗤うものだ。

今の日本人はこうまで陽気になれないだろう。だいたい悲観論が好きだし、ものごとのプラス面よりマイナス面を強調するし、能天気なバカ騒ぎは「不真面目だ」と文句を言う。冗談が通じないのだ、社会全体に寛容の精神がなくなってきているのは怖いことだ。

観劇した感想を記載したい

  • 出演メンバーの豪華さに驚かされた。日本のオペラ界の実力者が多く出演している、こんな舞台滅多に観れるものではないでしょう。
  • 指揮者の阪哲朗の指揮、オーケストラのコントロールが素晴らしいと思った。音楽が楽しく盛り上がるところでも大音響を目一杯出したりせず、歌声やセリフがちゃんと聞えるようにうまく抑制しつつ大きめの音を出していたように聞えた。3階席の一番前の私の席から阪氏の指揮する姿がよく見え、余計にそんなことが感じられた。
  • 歌手陣について、本日のMVPはロザリンデをやった森谷真理に与えたい。和服姿でよろめくアイゼンシュタイン婦人ロザリンデを実にうまく、かつ、日本語のセリフも工夫して演じていた。この人は女優でもやっていけるのではないかと思った。
  • 次にアデーレ役の幸田浩子を称えたい。各幕で彼女のメインの出番がちゃんと用意されているが、実にうまく歌って演じていた。彼女の舞台を見るのは初めてだけど実力があると思った。ただ、アデーレは彼女のような美人が演じるのはどうかなとも思った。もっとひと癖ある個性派女性歌手が演じるものではないだろうか。
  • アイゼンシュタイン役の福井敬もよかった、アイゼンシュタインになった姿からは素顔が全くイメージできず面白かったし、懲りない亭主のアタフタぶりをよく演じていたし、歌唱力も十分であった。
  • 萬斎の演出は全体的には楽しめたが、桂米團治に活動写真の弁士のような進行役をやらせるのは、ちょっとやりすぎのようにも感じた。
  • 第2幕の最後の方でバレエとかポルカ(雷鳴と電光)などが演じられることもあるが、今日はいずれも演じられず省略されたのではないか。私はこの部分(雷鳴と電光のバカ騒ぎ)が2幕では一番好きなだけに残念だった(私が持っているCD、DVDでは「雷鳴と電光」が演じられているものがある)
  • 運営面では演奏終了後の写真撮影禁止が残念であった。また、3階席の一番前は手すりが視界の邪魔をして見にくかった。この劇場に限らず、だいたい2階席以上の一番前の席は手すりが視界の邪魔になるが、演奏開始後は引っ込むとか何か設計上の工夫ができないものなのか(ちなみに歌舞伎座は一番前の座席でも手すりはないから結構怖い)。

十分堪能しました。素晴らしかった。

私の中では、何と言っても1986年バイエルン国立歌劇場ライブ、カルロス・クライバー指揮のDVD「こうもり」が何から何まで最高の「こうもり」だ。歌手、舞台、演出、オーケストラ、指揮者などすべてが良い。この時のオットー・シェンクの演出は今でもウィーン国立歌劇場で上演されている、その公演をウィーン歌劇場の無料ストリーミングサービスで観た感想を当ブログの記念すべき初投稿で記載した、興味のある方はこちら参照。今日の公演はそれに匹敵するものだった。


(つい先日行ったばかりのバイエルン国立歌劇場での公演だ)

年末はベートーベンの第九もあるが、「こうもり」の方が好きだ。また、バッハの「クリスマス・オラトリオ」が好みだ。「こうもり」は12月にも新国立劇場で上演があるのがうれしい。チケットを買ってあるので楽しみだ。ただ、「クリスマス・オラトリオ」がほとんど演奏されないのは残念だ。「くるみ割り人形」も良いけど、「クリスマス・オラトリオ」をやってくれないか。多分、出演者が第九などより少ないのでビジネス的にあまり収入が稼げない、という面もあるのだろうと想像する。

ウィーンでは大晦日は国立歌劇場で「こうもり」、新年は楽友協会で「ニューイヤーコンサート」というのがお決まりだという。ウィーン国立歌劇場のホームページで確認してみたら、今年の大晦日もオットー・シェンク演出の「こうもり」が上演されることになっていた。楽しいオペレッタを観て行く年を忘れようということでしょう。

 


2020ザルツブルク音楽祭「コジ・ファン・トゥッテ」を観る

2023年11月10日 | オペラ・バレエ

少し前にテレビで放映されていた2020年開催のザルツブルク音楽際でのモーツアルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」を録画しておいたので観た。つい最近、ザルツブルクに旅行に行ってきたばかりなので、早速、ザルツブルク音楽際の模様を観たくなったのだ。

2020年はコロナが急に広まった年で、確か、バイロイト音楽祭は開催中止したが、ザルツブルク音楽祭は規模を縮小して開催した年であった。この決断はすごかった。

この「コジ・ファン・トゥッテ」は、上演時間を休憩無しの2時間20分と区切られて演奏された。休み無しのぶっ通しの演技は歌手やオーケストラもつらいし、観ている方もたいへんだが、中止になるよりは良いと皆我慢したのだろう。また、このオペラは登場人物が少ないのも演目として選ばれた理由かもしれない。

[演出]
 クリストフ・ロイ(独、60)
[出演]
 フィオルディリージ:エルザ・ドライジグ(仏、32、ソプラノ)
 ドラベッラ:マリアンヌ・クレバッサ(仏、36、メゾソプラノ)
 グリエルモ:アンドレ・シュエン(伊、39、バリトン)
 フェルランド:ボグダン・ヴォルコフ(キエフ、33、テノール)
 デスピーナ:リア・デサンドル(仏、33)
 ドン・アルフォンソ:ヨハネス・マルティン・クレンツレ(独)
[指揮]
 ヨアナ・マルヴィッツ(独、37)
[オーケストラ
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

2020年8月2日:祝祭大劇場, ザルツブルク

演出家のロイは、直ぐ見破られそうな簡素な変装をあえて施し、「変装とは見た目のリアリズムではなく、観客と登場人物の心理上の手続である」、と説明していることが番組で示された。

なるほど婚約者の貞操を試すためにアルバニア人に変装して互いの相手に別人としてアプローチするわけだが、2人の男性の変装は誰が観ても本人だとバレる変装だ。また、姉妹の召使いデスピーナが2人の男性の変装に気付かないと言うのもおかしい。ただ、デスピーナが医者や公証人に変装した姿はかなり奇抜なものになっており、気がつかないことも有り得るかな、と思わせる。

また、この2つのカップルであるが、歌手の音域による本来の婚約者の組み合わせは、

  • バリトン(グリエルモ)とメゾソプラノ(ドラベッラ)
  • テノール(フェルランド)とソプラノ(フィオルディリージ)

となるが実際は、

  • バリトン(グリエルモ)とソプラノ(フィオルディリージ)
  • テノール(フェルランド)とメゾ・ソプラノ(ドラベッラ)

が婚約者となっている。それが変装したアルバニア貴族のアタックにより本来の組み合わせになり、最後にまた元に戻るストーリーになっている。

これは意味深である。老哲学者の話に乗ってしまって、姉妹が婚約した相手男性と別の、姉は妹の、妹は姉の、変装した婚約者に言い寄られて、なびいてしまう。なぜなら、このオペラは女とはそんなものだ、と言うことにしているが、元々この2つのカップルは相思相愛のカップルではなかったからこそ、本来自分にふさわしい相手が出てきたので、そちらのアタックに陥落したとも言えるからだ。それをこの歌手の音域の組み合わせで暗示していると言うわけだ。

フィオルディリージを演じたエルザ・ドライジグは貞操を象徴するイタリア語で「ユリの花」という名の令嬢だが、そのイメージにピッタリの歌手だったし、姉と比べて男性に積極的なのは妹で、姉より先に陥落した妹のドラベッラを演じたマリアンヌ・クレバッサも、その役柄にピッタリの演技をしていた。2人とも美人で歌唱力もあり、将来が楽しみな歌手だ。

さて、指揮者のヨアナ・マルヴィッツ(女性)だが、ウィキで調べてみると、今回の指揮がザルツブルクデビューであり、ザルツブルク音楽祭でオペラ作品を指揮した史上3人目の女性指揮者である。彼女は、2006年からハイデルベルク劇場管弦楽団の指揮スタッフとして働いていたが、勤務の 3 か月目に新作『蝶々夫人』の初日の夜に、6 時間前の予告でプロの指揮者としてデビューを果たした、とある。

ピンチヒッターでデビューしてその後一気にスターダムを駆け上がるというのはトスカニーニがそうだったし、確か、バースタインもそうだった。さらに彼女はニュルンベルク州立劇場の2018-2019シーズンから有効となる新GMDとして、5年間の契約を結んだとある。先日旅行してきたニュルンベルクに縁があったとは驚きだ。

若干単調さがあるオペラだが、楽しめました。


バイエルン国立歌劇場でバレエ「チャイコフスキー序曲」を観る

2023年11月01日 | オペラ・バレエ

ミュンヘン旅行中にミュンヘン市内にあるバイエルン国立歌劇場(Bayerische Staatsoper)でバレエを観劇した。費用は1人63ユーロ。日本でこの歌劇場のサイトから直接チケットを購入した。

現地滞在中に観られるプログラムを事前にネットで確認したところ、オペラは嫁さんが観ても楽しめるものがなく、バレエを観ることにした。バレエはセリフがないので誰でも楽しめるメリットがある。8時開演と海外のオペラの開演時間は日本より1時間遅い。

今夜の演目は「チャイコフスキー序曲」という聞いたことのない演目だ、3部構成のバレエ。

振付:アレクセイ・ラトマンスキー
音楽:チャイコフスキー

バイエルン国立バレエ団のアンサンブル
バイエルン州立管弦楽団

演奏時間は以下の通り案内されている。

午後8時~午後8時30分:エレジーとハムレット
(30分休憩)
午後9時~午後9時25分:テンペスト
(20分休憩)
午後9時45分~午後10時20分:ロミオとジュリエット

歌劇場のホームページで調べると独語の作品解説はあるが、Googleで翻訳した日本語はイマイチなのだが、それを抜粋して説明すると、

「アレクセイ・ラトマンスキー(振付)は、抽象的なバレエのために、人生のさまざまな段階でコンサートで演奏するために作曲したチャイコフスキーの序曲を選びました。内容に関しては、すべての音楽作品はウィリアム シェイクスピアの戯曲「ハムレット」、「テンペスト」、「ロミオとジュリエット」に基づいています。ラトマンスキーのチャイコフスキー序曲では、序曲の後に序曲が続き、すべての始まりの後には新たな始まりが続くことを意味します。チャイコフスキーがバレエの夜に聴くオーケストラ作品の総称として選んだ「幻想序曲」は、その輝かしい性格により、それ自体をファンタジー、つまり古典音楽の役割についてのファンタジーであるとみなすバレエの理想的なテンプレートとなっています。」となっている。

上に示した時間割を見ると、どうもシェイクスピアの3つの作品についてチャイコフスキーが作曲した幻想序曲があり、それに弦楽セレナーデ第3楽章エレジーを加えて、それらを元に3部構成でバレエの振付けをした作品と思われる。そして、出演者は1幕ごとに全員交替するようなので人数が多くなるため、ここでは記載省略する。

我々の席は平土間(Parkett)の後ろの方の列の舞台に向かって中央やや右寄りのところ、ステージはよく見えるところ。実際に観劇して、気付いた点などを書いてみよう。

  • 座席に入る通路は左右にしかなく、中央を通る通路がなかった。だから真ん中あたりに座っている人は中に入るのに一苦労だ。
  • 左右の通路から中の方の座席に入る人が来ると、既に座っている人は全員立ち上がって通してあげている。これがこちらの礼儀なのだろうが、素晴らしいと思った。自分より内側の人が全員揃うまで座ろうとしない人もいた。
  • 今までの経験だと座席中央にある通路を進んで行くとオーケストラピットの前まで行けて、ピットの内側が見られるが、ここはそれができなかった。真ん中の通路がそもそも無いからだし、左右の座席横の通路からはピットの前に入る余裕がなかった。ピットの前には人が通る余裕がほとんど無かった。
  • 座席の前のスペースは比較的余裕があったので座っているとき楽だった。
  • 2階席以上はすべてバルコニー席になっている。今まで見た海外の歌劇場ではある程度の広さで隣との仕切りがあり、個室のようになっていると思うが、ここは個室はない。2階席以上は馬蹄型になって全部仕切りが無くつながっていた。この方が圧迫感が無く良いような気がする。
  • 開演直前にアナウンスで「携帯は電源を切れ、場内は写真・ビデオの撮影は禁止」とアナウンスしていたのは日本と同じだ。ただ、1回だけだった。
  • 私は右の座席側の通路を使ってオーケストラピットの直前まで行って写真を撮って、そこから振り返って室内全体の写真を撮ったら、係員からダメだと言われた。が、場内では皆、写真を撮っていた。私も座席に戻っていっぱい写真を撮った。このくらいは良いだろう。
  • 演奏終了後のカーテンコール時の写真撮影は認めてないようだ、が、撮っている人が若干いた。私はこれはやらなかった。

また、当日の服装だが、

  • 劇場のホームページのドレスコードを事前に確認したところ、次の通り書いてある。「イブニングドレスやネクタイなしではオペラに行けないのですか?ナンセンス。快適にお過ごしいただきたいと考えています。多くの訪問者にとって、これは特別な夜のためにドレスアップすることを意味します。しかし、正式なドレスコードはありません。ジーンズや居心地の良いジャンプスーツだけでなく、珍しい服装も歓迎します」
  • よって、私は観光する時と同じカジュアルな服装にした。靴もスニーカーにした。嫁さんも同様。これはドレスコードの確認と今までの経験でも、これで大丈夫との心証を得ていたからだ。実際、同じような服装の人は多くいた。一方で、キレイなドレスなどを着ている女性やフォーマルウェアを着ている男性も多くいた。私も最初のうちはわざわざ紺系の背広とネクタイ、革靴を持ってきていたが、荷物が多くなり面倒なので今回はもうやめにした。

休憩時間だが、

  • ホワイエが非常にゴージャスなため、皆さん、そこに出てきて写真を撮っている人が多かった
  • 飲み物の売場と飲む場所が部屋になっていて、2つはあったと思うが、大混雑していた。ホワイエに出てきて飲んでいる人も多くいた。

さて、今回観劇してみて、この劇場は非常に上品で、かつ、豪華で素晴らしい劇場だと思った。やはり来るときは正装して着飾って観劇すべき劇場であろう。これだけの施設を維持するのも大変だろうが、ガイドツアーの時に、運営費の3分の1はチケット収入、残りは公的支援、スポンサーからの支援などで成り立っていると言っていたように聞えた(英語力自信なし)。

東京の新国立劇場も上品な感じがして好きだが、ゴージャスさと言う点からはこの劇場に負けるだろう。ここは何か別世界に来たと感じる素晴らしさがある。

たっぷりと楽しめました。

 

 

 


藝大オペラ定期公演「コシ・ファン・トゥッテ」再考

2023年10月13日 | オペラ・バレエ

先日投稿した藝大オペラ定期公演「コシ・ファン・トゥッテ」の末尾に次の通り書いた。

「通常は浮気をするのは殿様など男性陣と決まっているが、このオペラでは女性の方が浮気してそれがバレて男性がそれを許す、というものだ。フィガロの結婚でも召使いのスザンナに手を出すのは伯爵で、それを最後に許すのは伯爵夫人だ。こんなストーリーは当時のご婦人達から非難の声は上がらなかったのだろうか。」

公演鑑賞後に、一度読んだことがあった三宅新三著「モーツアルトとオペラの政治学」(青弓社)の第5章「コシ・ファン・トッテ」にこのことに関連した考察が記載されていることに気付き、読み直してみた。そして、氏による詳細な考察から学んだところを書いてみたい。

  • 貴族封建社会では家の継承と繁栄にふさわしい結婚がなされ、愛と結婚は分離していたが、市民社会(ブルジョア社会)では愛と結婚の一致がみられ、お互いの誠実さや貞操概念が規範とされるようになった。
  • その点でこのオペラはウイーンの貴族たちには好意的に受け止められたとしても不思議ではないが、19世紀になると、このオペラの道徳的ないかがわしさに批判が起こった。すなわち、女性の貞節を嘲笑するようなこのオペラの主題は市民社会では到底許容できない。19世紀になりベートーベンやワーグナーも批判した。
  • 2組のカップルは貴族社会のしきたりで選ばれたのかもしれない、例えば、オペラの声の高さと配役で言えば、テノールの婚約者にはソプラノ、バリトンの婚約者にはメゾ・ソプラノがふさわしいが、実際には逆になっているので、それを暗示しているのかもしれない。
  • しかし、あらかじめ定められた相手を受け入れる点では貴族社会的だが、結婚を通して新たに夫婦の愛を構築しようとしている点では既に市民社会的である。その意味で彼ら4人は時代の過渡期を生きる人々でもある。
  • このオペラでは人間の情熱や本能(エロス)の力が、理性よりもいかに強大であるかを教えている。幕切れで本来礼賛されるべきは理性ではなく、混沌たるエロスであり、全員による最後の歌は理性への皮肉にしか聞えない。
  • モーツアルトやダ・ポンテはどちらの愛も非難しているわけではなく、また、どちらの愛が正しいとも言ってない。R・シュトラウスは繊細な皮肉、滑稽かつ莊重な、パロディー的かつ感傷的な様式をこのオペラに見た。

オペラ作品一つ理解するにも簡単ではないことがわかった。


藝大オペラ定期公演「コシ・ファン・トゥッテ」を観る

2023年10月09日 | オペラ・バレエ

上野の東京芸術大学「奏楽堂」で開催された藝大オペラ定期公演「コシ・ファン・トゥッテ」を観に行った。東京文化会館の公演予定表で見つけ、以前一回見学した奏楽堂(こちら参照)で開催するというので興味を持ったし、若い学生達の公演などで応援したいと思った。

奏楽堂を見学したとき、歴史的建造物ととして保存しているだけだと思っていたら、今でも公演で使用していると知り驚いた。今回、まさに実際に公演で使用している場に行けるというのは意義のあることだと思った。

ところが当日奏楽堂に行ってみると案内板が立っており、本日の藝大定期公演はこの場所ではなく、藝大音楽部の中のホールです、と地図とともに案内が出ていたのでびっくりした。おかしいなと思って地図を頼りに公演会場の藝大音楽部を探したがなからか見つからず周囲を10分くらい歩き回り、漸く藝大美術館前の大学入口から中に入ると、そこに立派な同じ名前のホールが見つかった。

あとでチケットをよく見ると、藝大奏楽堂(大学構内)と書いてある。この大学構内という意味が、こういう意味だったのかと理解したが、当日は焦った。

この会場に入ってみると、なかなか立派なホールであった。結構大きなホールで、8割くらいは埋まっていた。藝大生のコンサートということで来ている人は関係者が多いのだろう。大学内なので飲み物は自販機のみでお酒などもない。座席は広く、膝の前のスペースも少し余裕があった。ただ、写真撮影は一切禁止であったのは残念だ。今日はS席、6,000円。正面前から10番目くらいの席だった。

大学のHPによれば、この定期公演は、「大学院オペラ専攻の学生が主要キャストを、合唱を学部声楽科3年生が務めます。第一線で活躍する指導陣によりオペラ専攻で総力をあげて本番に臨んでおります。本公演の大道具・衣裳・照明等は専門業者に協力をいただき、学生の公演としては高水準のものを維持しております。その背景には、藝大フレンズをはじめとする助成ならびにご協賛・ご寄付による支えがあり、そうした多くの方々のご厚意なくしては実現できないものとなっております。」と説明されている。

指揮者や演出家はプロだし、藝大フィルもプロ・オーケストラ、その他いろんな費用がかかるので、歌手は学生でも料金は取るのだろう。本来は寄付を求めるべきだろうが、それだと6,000円も金を払わない客が多いというのが日本の悲しい現実なのだろう。

「コシ・ファン・トゥッテ」はモーツアルト作曲、初演は1790年1月26日、ウィーンのブルク劇場、原作はダ・ポンテの書き下ろし「コジ・ファン・トゥッテ、または恋人たちの学校」で、これを元に同じダ・ポンテが台本を作った。

ブルグ劇場は一度訪問したことがある、場所はウィーン国立歌劇場の直ぐそば。現在は演劇公演が行われる場所となっており、演目はすべてドイツ語ばかりだったので観るのを諦め、英語の見学ツアーに参加したのは良い思い出だ。

指揮:佐藤 宏充、演出:今井 伸昭

【キャスト】                  
フィオルディリージ   梅澤 奈穂     
ドラベッラ       倉林 かのん    
フェッランド      新海 康仁     
グリエルモ       植田 雅朗     
デスピーナ       八木 麻友子    
ドン・アルフォンソ   田中 夕也     
 
合 唱:東京藝術大学音楽学部声楽科3年生
管弦楽:藝大フィルハーモニア管弦楽団

今日の公演では、出演者は皆頑張って良い演技をしていたと感じた。声量も豊かだし、歌い方もうまかった。歌手で一番印象に残ったのはデスピーナ役の八木麻友子だった。もちろん、藝大フィルの演奏も良かった。

歌手以外で今日の公演で印象に残ったのは舞台演出や照明であった。舞台の幕が下りたり上がったりするのではなく、パーティションのような2メートル四方位のパネルが2つ、舞台を塞いだり開いたりして幕の代わりをしていたのが面白かったし、第2幕での照明のキレイな効果が舞台に色取りを添えて良かった。

この物語は、二組の婚約中のカップルがいて、その共通の友人である老哲学者がカップルの武家貴族の男性二人に「この世に女の貞操は存在しない」と言い、そうではないことを証明するために男性が変装してお互いの婚約者に求婚したら、なんと女性達は最後に元の婚約者を忘れて結婚を承諾してしまった、と言うおふざけの物語だ。

ここで面白いのは、通常は浮気をするのは殿様など男性陣と決まっているが、このオペラでは女性の方が浮気してそれがバレて男性がそれを許す、というものだ。フィガロの結婚でも召使いのスザンナに手を出すのは伯爵で、それを最後に許すのは伯爵夫人だ。こんなストーリーは当時のご婦人達から非難の声は上がらなかったのだろうか。また、このオペラを観に来た今日の女性陣達もどう思ってみたのだろうか聞いたみたいところだ。

学生達は引き続き頑張って、成長していってほしい。


東京フィル定期演奏会 歌劇「オテロ(演奏会形式)」を観る

2023年08月02日 | オペラ・バレエ

東京フィルハーモニー交響楽団の第989回定期演奏会でオペラ『オテロ』(演奏会形式)を観た。場所はサントリーホール。A席8,500円。2階正面の後ろの方だ。9割以上の入りか、平日夜の都心であるので老若男女まんべんなく来ていた感じがした。

オテロはベルディの最後から2番目の作品で、1887年にスカラ座で初演された、ヴェルディ73才の時だった。前作のアイーダから16年のブランクがあった。きっかけは詩人で台本作者のボーイドの台本に感動したからであった。

オテロの台本は天才詩人のボーイトと協働してつくった。シモン・ボッカネグラの改作で一度協働作業した経験からお互いの信頼関係ができていた、その後、オテロを着手した。この二人の協働作業は、モーツァルトとダ・ポンテ、R.シュトラウスとホーフマンスタールと並んで、オペラ史における「天恵」とも言えるものだそうだ。

オテロ(テノール):グレゴリー・クンデ(米)
デズデーモナ(ソプラノ):小林厚子
イアーゴ(バリトン):ダリボール・イェニス(スロバキア)
ロドヴィーコ(バス):相沢創、ヴェネティアの使節
カッシオ(テノール):フランチェスコ・マルシーリア(伊)
エミーリア(メゾ・ソプラノ):中島郁子
ロデリーゴ(テノール):村上敏明、ヴェネティアの紳士
モンターノ(バス):青山貴、キプロス島のオテロの前任者
伝令(バス):タン・ジュンボ

指揮:チョン・ミョンフン
東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
台本:詩人アッリーゴ・ボーイト

東京フィルのHPにはこの演目のパンフレットや公演の楽曲解説、関係者のインタビュー動画が見れるようになっている、大変有難い。公演前に予習ができる。その動画で出演者の方が言っていたのは演奏会形式の難しさだ。通常のオペラでは歌手の前にオーケストラピットがあるが、オーケストラが後ろにいると音が大きすぎで、歌手の立ち位置によっては普段ピットの中では聞こえない特定の楽器の音だけが大きく聞こえてくるなどの難しさがあるとのこと。確かに、今日聴いてみて、オーケストラが同じステージの歌手の後ろで大音響で演奏している場面は相当な歌唱力が無いと声が霞んでしまうだろうと感じた。

東京フィルの解説だと、オテロは既存のオペラの形式、開幕の合唱・アリア・二重奏・アンサンブルなど、を採用しなかった、オペラが自然に展開して行くことを重視したため、楽曲がない、従ってワーグナーのオペラと同様に音楽がドラマと一緒に途切れずに進行して行くので、観客が拍手するところもない。確かにそうだった。また、歌唱の美しさにだけ頼ることをせず、言葉と密接に結びついた音楽表現を採用したので歌はいつも朗唱風になった、ドラマと音楽の融合だ。

あと、動画の中でコントラバス首席奏者の片岡夢児氏がヴェルディの音楽の特徴を聞かれ、一般的にイタリア人は陽気な性格と思われているが、実はそうでもない、暗いところもあると感じていると述べ、ヴェルディの音楽も実は同じだと述べていたのを聞いて、我が意を得たりと思った。イタリア人については私も全く同じ感想を持っていた、それは音楽を通じてではなく、イタリア映画を観てそう感じたのだ。例えば、古い映画だが、「自転車泥棒」とか「道」とか「鉄道員」などだ。実にもの悲しく、哀愁に充ちた世界が描かれている。

さて、今日の公演を観た感想をいくつか述べてみよう

  • この公演の演出であるが、案内を見ると舞台監督蒲倉潤氏、舞台監督助手の3名の名前が書いてある。彼らが演出を考えたのだろうか、この演出は大変よかった。シーンに応じた照明の工夫や、合唱隊の配置、舞台セット(第4幕のデスデモナが死ぬ長椅子)、トランペットが舞台後方のパイプオルガンの演奏をする場所から高らかに独奏することなどだ。観客に飽きさせない工夫が凝らされていると感じた。
  • ただ、男性歌手が着ている服装が全員黒のコスチュームであることが気になった。これは演奏会形式では当然のやり方なのかもしれないが、そのやり方を変えても良いのではないか。舞台演出も一昔前の演奏会形式とはかなり違ってきているように思うので男性歌手の服装も新しいやり方に挑戦してほしい。いまのやり方では、男性歌手たちが舞台で目立たないからだ。
  • 主人公のオテロはムーア人であり、肌の色は黒い。今日のオテロのグレゴリー・クンデは白人のままで出演し、一方、イアーゴのダリボール・イェニスはスロバキア人で多分白人であろうが、黒っぽい化粧をして出演していたように見えた。本来、逆ではないかと思ったがどうであろうか。
  • 17世紀にムーア人という有色人種を主人公にした戯曲を書いたシェークスピアもすごい、この物語は人種問題が主題ではないが、イアーゴのオセロに対する憎悪は人種問題があることは確かだ、だからこのドラマは「ベニスにあるムーア人の悲劇なのだ」(「シェイクスピアを楽しむ」阿刀田高著)と言う説明は当たっていると思う。
  • 実は「オテロ」はそんなに好きなオペラではなかったが、今日の演奏会形式の舞台を見ることによって通常のオペラより演奏が良く聞こえ、演出や歌手の熱演もあり、結構良いオペラだなと感じることができた。
  • 歌手・合唱団・指揮者・オーケストラは全員、全力を出していたと感じた。それを感じてカーテンコールの拍手も大きかった。
  • 運営面ではカーテンコール時の写真撮影がダメだったのが残念である。先日の日本フィルの演奏会形式のオペラではOKだったので、これは楽団の方針か出演歌手などとの契約上の問題なのか。いまやMETでもROHでも撮影OKではないのか、ファン重視の考え方でやってもらいたいし、契約上の問題なら交渉で変えてもらいたい、もう楽団にはそのくらいの交渉力はあるでしょう。

今夜は楽しめました。


パリ・シャンゼリゼ劇場 喜歌劇「ペリコール」を観る

2023年07月22日 | オペラ・バレエ

BS放送でシャンゼリゼ劇場、オフェンバック作曲、喜歌劇「ペリコール」を観た。初めて観るオペレッタだ。

「ペリコール」はウィキによれば、全3幕のオペレッタで1868年にパリのヴァリエテ座で2幕版にて初演され、1874年に改訂版が3幕版として同劇場で上演された。オッフェンバックの最も人気のあるオペレッタのなかのひとつ。以前観た「天国と地獄」(こちらを参照)は1858年の作品。

オッフェンバック 作曲
演出・衣装:ロラン・ペリー(仏、61)

<出演>

ペリコール(流しの歌うたい):マリナ・ヴィオティ
ピキーヨ(流しの歌うたい):スタニスラス・ド・バルベラク
ドン・アンドレス・ド・リベイラ(ペルー副王):ロラン・ナウリ
ミゲル・ド・パナテッラス伯爵:ロドルフ・ブリアン
ドン・ペドロ・デ・イノヨサ(リマ総督):リオネル・ロト

合唱:ボルドー国立歌劇場合唱団
管弦楽:レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
指揮:マルク・ミンコフスキ(60、仏)
収録:2022年11月23・24日 シャンゼリゼ劇場(パリ)

舞台は18世紀後半のペルーの首都リマ。流しの歌芸人のカップル、ペリコールとピキーヨ、実入りが少ない二人は空腹に苦しむ。そこにお忍びでやって来た総督が美貌のペリコールに目をつけ女官にしようと画策。空腹に悩むペリコールは贅沢な暮らしに目が眩み、やむなくピキーヨに別れの手紙を書くと総督についていってしまう、ペリコールから手紙を受け取ったピキーヨは絶望のあまり首を吊ろうとするが・・・

この作品では権威や社会全体に対して、痛烈なユーモアが描かれている、オッフェンバックの作品に共通する当時の為政者の不品行や、世相風俗を痛烈に諷刺するこのオペレッタは、諷刺される側のナポレオン三世も大いに楽しんだと伝えられているそうだ。

テレビでは、この作品は躍動的な音楽とポップな演出でオッフェンバックの数々のオペレッタをリバイバルしてきた名コンビ、マルク・ミンコフスキとロラン・ペリーの最新作との解説があったが、演出はカラフルで、内容的にも退屈しなかった。ミンコフスキは2018年から日本のオーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督に就任し、現在は桂冠指揮者になっているようだ。

 

 


映画「METオペラ魔笛」を観る

2023年07月15日 | オペラ・バレエ

近くの映画館でMETオペラ・ライブビューイング本年度最終回の「魔笛」を観てきた。3,700円。今日は平日、初日で、40人くらいは来ていたか。多い方だろう。女性陣が多かった。

指揮:ナタリー・シュトゥッツマン
演出:サイモン・マクバーニー

出演:
エリン・モーリー(パミーナ、ソプラノ)
ローレンス・ブラウンリー(タミーノ、テノール)
トーマス・オーリマンス(パパゲーノ、バリトン)
キャスリン・ルイック(夜の女王、ソプラノ)
スティーヴン・ミリング(ザラストロ、バス)

上映時間:3時間28分(休憩1回)
MET上演日:2023年6月3日

鑑賞した感想を述べれば、とにかく素晴らしかったの一言だ。元々、「魔笛」は素晴らしいオペラだが、今回は演出、色彩、歌手、指揮者・オーケストラなどすべてよかった。その上で、具体的に感じたことを書いてみたい。

  • 演出のサイモン・マクバーニー(65、英)は「既成概念を覆すような驚きを舞台で表現する演劇界の鬼才」とあるが、今までに見たこともないような斬新な演出だった。
  • 例えば、オーケストラピットの両脇の観客が見えるところに、一方では、ヴィジュアル・アーティストのB・ヘイグマンが舞台のスクリーンに映し出す影絵、黒板と文字、その他の映像の制作をやり、もう片方には効果音アーティストのR・サリヴァンがいろんな音(水の音、酒瓶がぶつかる音、鳥が飛ぶ音など)を出す。
  • パパゲーノが出てきたときに、しばしば黒い服を着た人たち(多分合唱団のメンバー)が鳥を模してA4サイズくらいの白い紙を二つ折りにして片手で持ってパタパタさせる演出はまるで歌舞伎で役者の周りを蝶が飛ぶときの演出と似ていたし、観客席には2つの通路が歌舞伎の花道のように使われ歌手たちが何回かその通路を使って舞台に上がったり降りたりしていた、また、オーケストラピットの観客側にピットを囲むように通路ができていてそこを歌手が歌いながら通る場面があったが、いずれも他では観たことがない演出である。もし、歌舞伎からヒントを得ていたとしたらうれしいが。
  • サイモン・マクバーニーはインタビューで、このオペラが初演されていた頃の演出をイメージしたと言っていた。その一つはオーケストラピットが通常よりも上げ底になっており舞台との一体感が強い設定になっていることだ。指揮者のナタリー・シュトゥッツマンもこれは非常に緊張を強いられると言っていた。
  • 魔笛ほどフルート等の独奏者が活躍するオペラも少ないだろう、フルート奏者のS・モリスは歌手に導かれて舞台に上がり独奏していたし、グロッケンシュピール奏者のB・ワゴーンも舞台上で演奏しており非常によかった。
  • パミーナ役のエリン・モーリーは先日見た「ばらの騎士」(こちら参照)でゾフィーを演じていたあの彼女だ。今回は主役級の役であり、その歌唱力、美貌、スタイルの良さを十分に発揮していた。こんな三拍子そろったパミーナ役は初めて観た。薄幸の主人公、例えば椿姫のヴィオレッタやラ・ボエームのミミなどは彼女がピッタリの役ではなかろうか。
  • パパゲーノ役のトーマス・オーリマンスはインタビューで、ピアノも弾けることを話していたが、第2幕の最後に近いところで通常はB・ワゴーンがグロッケン・シュピールを弾くところオーリマンスが自ら弾いていた、これは本当に彼が弾いていたのだろう、うまいもんだ。ワゴーンも感心しているように見えたのでこれはアドリブか?
  • 夜の女王のキャスリン・ルイックはカーテン・コールで盛大な拍手を受けていた。今まで見た女王の中ではかなり変った出で立ちであったが、歌唱力は素晴らしかった。
  • もう1人、これは良いと思ったのがザラストロ役のスティーヴン・ミリング(58、デンマーク)だ、体格もザラストロらしいし、何より低音のバスの音量が素晴らしかった。これだけのバス歌手はあまりいないのではないか。
  • 最初から幕は開いたまま、最後も閉じなかった、たまにこういうやり方もあるか。

さて、素晴らしいオペラであったが、若干の気づき事項を書いておこう

  • 私の中で理想の魔笛の演奏は、宇野功芳先生推薦のカール・ベーム指揮、ベルリン・フィルの1964年録音の「魔笛」(POCG-3846/7)だ、この演奏に比べると他の演奏はすべてテンポが速い、と言うよりベームの演奏が遅いと言った方が良いかもしれないが。大部分のパートは気になるほどの差ではないが、第1幕、第2幕のフィナーレの演奏が顕著な差である。なぜ、ここまで早く演奏しなければいけないのかわからない。歌手もオーケストラも大変だし、一番盛り上がるところはじっくりと演奏してもらいたい。
  • 3人の童子であるが、その出で立ちが、あばら骨が見え、毛が白髪のボサボサで、まるで飢餓寸前の児童といった感じのコスチュームで気味悪かったが、この狙いが読めなかった。

4時間近くの大作だが全く退屈しなかった。オペラファン、モーツアルトファンであれば見逃せない映画だろう。


林美智子の『フィガロ』を観に行く

2023年07月11日 | オペラ・バレエ

読者の皆様の中に、今回の九州北部、山口県などにおける集中豪雨で被災された方がいらっしゃったとしたら、心よりお見舞い申し上げます。テレビの画面の土石流、川の氾濫のすごさに驚くばかりです。これ以上の被害がないこと、また、速やかに復旧されることを願っています。

先週の土曜日は、メゾソプラノ林美智子のセルフプロデュースによるモーツァルト作曲、ロレンツォ・ダ・ポンテ台本による傑作オペラ三部作『コジ・ファン・トゥッテ』、『ドン・ジョヴァンニ』、『フィガロの結婚』のうちの最後の『フィガロの結婚』を観に行ってきた。



アンサンブルのみで構成された、とびきり愉しいモーツァルトの世界を楽しめるというのが売り物だ。全アリアカット、重唱(イタリア語/字幕付)と台詞(日本語)だけで、モーツァルトのアンサンブル・オペラの醍醐味が味わえるという。先月、ドン・ジョバンニを観てよかったので、今回のフィガロも観ようと思った。

場所は第一生命ホールで、今日はS席、6,000円。当日券はなく、完売だそうだ。767席の室内楽用のホールだが、伴奏がピアノだけなので、ちょうどよい広さだ。

出演は

アルマヴィーヴァ伯爵:後藤春馬(バス・バリトン)
伯爵夫人:腰越満美(ソプラノ)
フィガロ:加耒徹(バリトン)
スザンナ:鵜木絵里(ソプラノ)
ケルビーノ/バルバリーナ:林美智子(メゾソプラノ)
バルトロ:池田直樹(バス・バリトン)
マルチェリーナ:竹本節子(メゾソプラノ)
ドン・バジリオ/ドン・クルツィオ:高橋淳(テノール)
アントニオ:志村文彦(バス・バリトン)
ピアノ:河原忠之

日本語台詞台本・構成・演出:林美智子

前回観たドン・ジョバンニの時(こちらを参照)の学習効果があって、戸惑うことなく観られた。出演者は皆頑張って演じていた、歌も演技もうまかった。ピアノの河原忠之もピアノを離れて演技に加わったりしてよかった。河原さんはNHKのクラシック倶楽部に出演していたときのインタビューなどを見ると真面目そうな人だと思ったが、このシリーズでは地で行っているのか、ひょうきんなところを出していたのがよかったと思う。このチーム一丸となって厳しくも楽しく訓練を積んで来たことが想像される。このような良いチームができるのも林美智子さんの腕であろう。

私はオペラはやはり悲劇ではなく、このシリーズのような喜劇やハッピーエンドが好きだ、この点映画の好みとは違うが。今後も新しい企画で新作をどんどん披露してほしい。例えば、セビリアの理髪師やメリー・ウィドウなどはどうか。是非見たい。