ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

藝大オペラ定期公演「コシ・ファン・トゥッテ」再考

2023年10月13日 | オペラ・バレエ

先日投稿した藝大オペラ定期公演「コシ・ファン・トゥッテ」の末尾に次の通り書いた。

「通常は浮気をするのは殿様など男性陣と決まっているが、このオペラでは女性の方が浮気してそれがバレて男性がそれを許す、というものだ。フィガロの結婚でも召使いのスザンナに手を出すのは伯爵で、それを最後に許すのは伯爵夫人だ。こんなストーリーは当時のご婦人達から非難の声は上がらなかったのだろうか。」

公演鑑賞後に、一度読んだことがあった三宅新三著「モーツアルトとオペラの政治学」(青弓社)の第5章「コシ・ファン・トッテ」にこのことに関連した考察が記載されていることに気付き、読み直してみた。そして、氏による詳細な考察から学んだところを書いてみたい。

  • 貴族封建社会では家の継承と繁栄にふさわしい結婚がなされ、愛と結婚は分離していたが、市民社会(ブルジョア社会)では愛と結婚の一致がみられ、お互いの誠実さや貞操概念が規範とされるようになった。
  • その点でこのオペラはウイーンの貴族たちには好意的に受け止められたとしても不思議ではないが、19世紀になると、このオペラの道徳的ないかがわしさに批判が起こった。すなわち、女性の貞節を嘲笑するようなこのオペラの主題は市民社会では到底許容できない。19世紀になりベートーベンやワーグナーも批判した。
  • 2組のカップルは貴族社会のしきたりで選ばれたのかもしれない、例えば、オペラの声の高さと配役で言えば、テノールの婚約者にはソプラノ、バリトンの婚約者にはメゾ・ソプラノがふさわしいが、実際には逆になっているので、それを暗示しているのかもしれない。
  • しかし、あらかじめ定められた相手を受け入れる点では貴族社会的だが、結婚を通して新たに夫婦の愛を構築しようとしている点では既に市民社会的である。その意味で彼ら4人は時代の過渡期を生きる人々でもある。
  • このオペラでは人間の情熱や本能(エロス)の力が、理性よりもいかに強大であるかを教えている。幕切れで本来礼賛されるべきは理性ではなく、混沌たるエロスであり、全員による最後の歌は理性への皮肉にしか聞えない。
  • モーツアルトやダ・ポンテはどちらの愛も非難しているわけではなく、また、どちらの愛が正しいとも言ってない。R・シュトラウスは繊細な皮肉、滑稽かつ莊重な、パロディー的かつ感傷的な様式をこのオペラに見た。

オペラ作品一つ理解するにも簡単ではないことがわかった。


藝大オペラ定期公演「コシ・ファン・トゥッテ」を観る

2023年10月09日 | オペラ・バレエ

上野の東京芸術大学「奏楽堂」で開催された藝大オペラ定期公演「コシ・ファン・トゥッテ」を観に行った。東京文化会館の公演予定表で見つけ、以前一回見学した奏楽堂(こちら参照)で開催するというので興味を持ったし、若い学生達の公演などで応援したいと思った。

奏楽堂を見学したとき、歴史的建造物ととして保存しているだけだと思っていたら、今でも公演で使用していると知り驚いた。今回、まさに実際に公演で使用している場に行けるというのは意義のあることだと思った。

ところが当日奏楽堂に行ってみると案内板が立っており、本日の藝大定期公演はこの場所ではなく、藝大音楽部の中のホールです、と地図とともに案内が出ていたのでびっくりした。おかしいなと思って地図を頼りに公演会場の藝大音楽部を探したがなからか見つからず周囲を10分くらい歩き回り、漸く藝大美術館前の大学入口から中に入ると、そこに立派な同じ名前のホールが見つかった。

あとでチケットをよく見ると、藝大奏楽堂(大学構内)と書いてある。この大学構内という意味が、こういう意味だったのかと理解したが、当日は焦った。

この会場に入ってみると、なかなか立派なホールであった。結構大きなホールで、8割くらいは埋まっていた。藝大生のコンサートということで来ている人は関係者が多いのだろう。大学内なので飲み物は自販機のみでお酒などもない。座席は広く、膝の前のスペースも少し余裕があった。ただ、写真撮影は一切禁止であったのは残念だ。今日はS席、6,000円。正面前から10番目くらいの席だった。

大学のHPによれば、この定期公演は、「大学院オペラ専攻の学生が主要キャストを、合唱を学部声楽科3年生が務めます。第一線で活躍する指導陣によりオペラ専攻で総力をあげて本番に臨んでおります。本公演の大道具・衣裳・照明等は専門業者に協力をいただき、学生の公演としては高水準のものを維持しております。その背景には、藝大フレンズをはじめとする助成ならびにご協賛・ご寄付による支えがあり、そうした多くの方々のご厚意なくしては実現できないものとなっております。」と説明されている。

指揮者や演出家はプロだし、藝大フィルもプロ・オーケストラ、その他いろんな費用がかかるので、歌手は学生でも料金は取るのだろう。本来は寄付を求めるべきだろうが、それだと6,000円も金を払わない客が多いというのが日本の悲しい現実なのだろう。

「コシ・ファン・トゥッテ」はモーツアルト作曲、初演は1790年1月26日、ウィーンのブルク劇場、原作はダ・ポンテの書き下ろし「コジ・ファン・トゥッテ、または恋人たちの学校」で、これを元に同じダ・ポンテが台本を作った。

ブルグ劇場は一度訪問したことがある、場所はウィーン国立歌劇場の直ぐそば。現在は演劇公演が行われる場所となっており、演目はすべてドイツ語ばかりだったので観るのを諦め、英語の見学ツアーに参加したのは良い思い出だ。

指揮:佐藤 宏充、演出:今井 伸昭

【キャスト】                  
フィオルディリージ   梅澤 奈穂     
ドラベッラ       倉林 かのん    
フェッランド      新海 康仁     
グリエルモ       植田 雅朗     
デスピーナ       八木 麻友子    
ドン・アルフォンソ   田中 夕也     
 
合 唱:東京藝術大学音楽学部声楽科3年生
管弦楽:藝大フィルハーモニア管弦楽団

今日の公演では、出演者は皆頑張って良い演技をしていたと感じた。声量も豊かだし、歌い方もうまかった。歌手で一番印象に残ったのはデスピーナ役の八木麻友子だった。もちろん、藝大フィルの演奏も良かった。

歌手以外で今日の公演で印象に残ったのは舞台演出や照明であった。舞台の幕が下りたり上がったりするのではなく、パーティションのような2メートル四方位のパネルが2つ、舞台を塞いだり開いたりして幕の代わりをしていたのが面白かったし、第2幕での照明のキレイな効果が舞台に色取りを添えて良かった。

この物語は、二組の婚約中のカップルがいて、その共通の友人である老哲学者がカップルの武家貴族の男性二人に「この世に女の貞操は存在しない」と言い、そうではないことを証明するために男性が変装してお互いの婚約者に求婚したら、なんと女性達は最後に元の婚約者を忘れて結婚を承諾してしまった、と言うおふざけの物語だ。

ここで面白いのは、通常は浮気をするのは殿様など男性陣と決まっているが、このオペラでは女性の方が浮気してそれがバレて男性がそれを許す、というものだ。フィガロの結婚でも召使いのスザンナに手を出すのは伯爵で、それを最後に許すのは伯爵夫人だ。こんなストーリーは当時のご婦人達から非難の声は上がらなかったのだろうか。また、このオペラを観に来た今日の女性陣達もどう思ってみたのだろうか聞いたみたいところだ。

学生達は引き続き頑張って、成長していってほしい。


東京フィル定期演奏会 歌劇「オテロ(演奏会形式)」を観る

2023年08月02日 | オペラ・バレエ

東京フィルハーモニー交響楽団の第989回定期演奏会でオペラ『オテロ』(演奏会形式)を観た。場所はサントリーホール。A席8,500円。2階正面の後ろの方だ。9割以上の入りか、平日夜の都心であるので老若男女まんべんなく来ていた感じがした。

オテロはベルディの最後から2番目の作品で、1887年にスカラ座で初演された、ヴェルディ73才の時だった。前作のアイーダから16年のブランクがあった。きっかけは詩人で台本作者のボーイドの台本に感動したからであった。

オテロの台本は天才詩人のボーイトと協働してつくった。シモン・ボッカネグラの改作で一度協働作業した経験からお互いの信頼関係ができていた、その後、オテロを着手した。この二人の協働作業は、モーツァルトとダ・ポンテ、R.シュトラウスとホーフマンスタールと並んで、オペラ史における「天恵」とも言えるものだそうだ。

オテロ(テノール):グレゴリー・クンデ(米)
デズデーモナ(ソプラノ):小林厚子
イアーゴ(バリトン):ダリボール・イェニス(スロバキア)
ロドヴィーコ(バス):相沢創、ヴェネティアの使節
カッシオ(テノール):フランチェスコ・マルシーリア(伊)
エミーリア(メゾ・ソプラノ):中島郁子
ロデリーゴ(テノール):村上敏明、ヴェネティアの紳士
モンターノ(バス):青山貴、キプロス島のオテロの前任者
伝令(バス):タン・ジュンボ

指揮:チョン・ミョンフン
東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団
台本:詩人アッリーゴ・ボーイト

東京フィルのHPにはこの演目のパンフレットや公演の楽曲解説、関係者のインタビュー動画が見れるようになっている、大変有難い。公演前に予習ができる。その動画で出演者の方が言っていたのは演奏会形式の難しさだ。通常のオペラでは歌手の前にオーケストラピットがあるが、オーケストラが後ろにいると音が大きすぎで、歌手の立ち位置によっては普段ピットの中では聞こえない特定の楽器の音だけが大きく聞こえてくるなどの難しさがあるとのこと。確かに、今日聴いてみて、オーケストラが同じステージの歌手の後ろで大音響で演奏している場面は相当な歌唱力が無いと声が霞んでしまうだろうと感じた。

東京フィルの解説だと、オテロは既存のオペラの形式、開幕の合唱・アリア・二重奏・アンサンブルなど、を採用しなかった、オペラが自然に展開して行くことを重視したため、楽曲がない、従ってワーグナーのオペラと同様に音楽がドラマと一緒に途切れずに進行して行くので、観客が拍手するところもない。確かにそうだった。また、歌唱の美しさにだけ頼ることをせず、言葉と密接に結びついた音楽表現を採用したので歌はいつも朗唱風になった、ドラマと音楽の融合だ。

あと、動画の中でコントラバス首席奏者の片岡夢児氏がヴェルディの音楽の特徴を聞かれ、一般的にイタリア人は陽気な性格と思われているが、実はそうでもない、暗いところもあると感じていると述べ、ヴェルディの音楽も実は同じだと述べていたのを聞いて、我が意を得たりと思った。イタリア人については私も全く同じ感想を持っていた、それは音楽を通じてではなく、イタリア映画を観てそう感じたのだ。例えば、古い映画だが、「自転車泥棒」とか「道」とか「鉄道員」などだ。実にもの悲しく、哀愁に充ちた世界が描かれている。

さて、今日の公演を観た感想をいくつか述べてみよう

  • この公演の演出であるが、案内を見ると舞台監督蒲倉潤氏、舞台監督助手の3名の名前が書いてある。彼らが演出を考えたのだろうか、この演出は大変よかった。シーンに応じた照明の工夫や、合唱隊の配置、舞台セット(第4幕のデスデモナが死ぬ長椅子)、トランペットが舞台後方のパイプオルガンの演奏をする場所から高らかに独奏することなどだ。観客に飽きさせない工夫が凝らされていると感じた。
  • ただ、男性歌手が着ている服装が全員黒のコスチュームであることが気になった。これは演奏会形式では当然のやり方なのかもしれないが、そのやり方を変えても良いのではないか。舞台演出も一昔前の演奏会形式とはかなり違ってきているように思うので男性歌手の服装も新しいやり方に挑戦してほしい。いまのやり方では、男性歌手たちが舞台で目立たないからだ。
  • 主人公のオテロはムーア人であり、肌の色は黒い。今日のオテロのグレゴリー・クンデは白人のままで出演し、一方、イアーゴのダリボール・イェニスはスロバキア人で多分白人であろうが、黒っぽい化粧をして出演していたように見えた。本来、逆ではないかと思ったがどうであろうか。
  • 17世紀にムーア人という有色人種を主人公にした戯曲を書いたシェークスピアもすごい、この物語は人種問題が主題ではないが、イアーゴのオセロに対する憎悪は人種問題があることは確かだ、だからこのドラマは「ベニスにあるムーア人の悲劇なのだ」(「シェイクスピアを楽しむ」阿刀田高著)と言う説明は当たっていると思う。
  • 実は「オテロ」はそんなに好きなオペラではなかったが、今日の演奏会形式の舞台を見ることによって通常のオペラより演奏が良く聞こえ、演出や歌手の熱演もあり、結構良いオペラだなと感じることができた。
  • 歌手・合唱団・指揮者・オーケストラは全員、全力を出していたと感じた。それを感じてカーテンコールの拍手も大きかった。
  • 運営面ではカーテンコール時の写真撮影がダメだったのが残念である。先日の日本フィルの演奏会形式のオペラではOKだったので、これは楽団の方針か出演歌手などとの契約上の問題なのか。いまやMETでもROHでも撮影OKではないのか、ファン重視の考え方でやってもらいたいし、契約上の問題なら交渉で変えてもらいたい、もう楽団にはそのくらいの交渉力はあるでしょう。

今夜は楽しめました。


パリ・シャンゼリゼ劇場 喜歌劇「ペリコール」を観る

2023年07月22日 | オペラ・バレエ

BS放送でシャンゼリゼ劇場、オフェンバック作曲、喜歌劇「ペリコール」を観た。初めて観るオペレッタだ。

「ペリコール」はウィキによれば、全3幕のオペレッタで1868年にパリのヴァリエテ座で2幕版にて初演され、1874年に改訂版が3幕版として同劇場で上演された。オッフェンバックの最も人気のあるオペレッタのなかのひとつ。以前観た「天国と地獄」(こちらを参照)は1858年の作品。

オッフェンバック 作曲
演出・衣装:ロラン・ペリー(仏、61)

<出演>

ペリコール(流しの歌うたい):マリナ・ヴィオティ
ピキーヨ(流しの歌うたい):スタニスラス・ド・バルベラク
ドン・アンドレス・ド・リベイラ(ペルー副王):ロラン・ナウリ
ミゲル・ド・パナテッラス伯爵:ロドルフ・ブリアン
ドン・ペドロ・デ・イノヨサ(リマ総督):リオネル・ロト

合唱:ボルドー国立歌劇場合唱団
管弦楽:レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
指揮:マルク・ミンコフスキ(60、仏)
収録:2022年11月23・24日 シャンゼリゼ劇場(パリ)

舞台は18世紀後半のペルーの首都リマ。流しの歌芸人のカップル、ペリコールとピキーヨ、実入りが少ない二人は空腹に苦しむ。そこにお忍びでやって来た総督が美貌のペリコールに目をつけ女官にしようと画策。空腹に悩むペリコールは贅沢な暮らしに目が眩み、やむなくピキーヨに別れの手紙を書くと総督についていってしまう、ペリコールから手紙を受け取ったピキーヨは絶望のあまり首を吊ろうとするが・・・

この作品では権威や社会全体に対して、痛烈なユーモアが描かれている、オッフェンバックの作品に共通する当時の為政者の不品行や、世相風俗を痛烈に諷刺するこのオペレッタは、諷刺される側のナポレオン三世も大いに楽しんだと伝えられているそうだ。

テレビでは、この作品は躍動的な音楽とポップな演出でオッフェンバックの数々のオペレッタをリバイバルしてきた名コンビ、マルク・ミンコフスキとロラン・ペリーの最新作との解説があったが、演出はカラフルで、内容的にも退屈しなかった。ミンコフスキは2018年から日本のオーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督に就任し、現在は桂冠指揮者になっているようだ。

 

 


映画「METオペラ魔笛」を観る

2023年07月15日 | オペラ・バレエ

近くの映画館でMETオペラ・ライブビューイング本年度最終回の「魔笛」を観てきた。3,700円。今日は平日、初日で、40人くらいは来ていたか。多い方だろう。女性陣が多かった。

指揮:ナタリー・シュトゥッツマン
演出:サイモン・マクバーニー

出演:
エリン・モーリー(パミーナ、ソプラノ)
ローレンス・ブラウンリー(タミーノ、テノール)
トーマス・オーリマンス(パパゲーノ、バリトン)
キャスリン・ルイック(夜の女王、ソプラノ)
スティーヴン・ミリング(ザラストロ、バス)

上映時間:3時間28分(休憩1回)
MET上演日:2023年6月3日

鑑賞した感想を述べれば、とにかく素晴らしかったの一言だ。元々、「魔笛」は素晴らしいオペラだが、今回は演出、色彩、歌手、指揮者・オーケストラなどすべてよかった。その上で、具体的に感じたことを書いてみたい。

  • 演出のサイモン・マクバーニー(65、英)は「既成概念を覆すような驚きを舞台で表現する演劇界の鬼才」とあるが、今までに見たこともないような斬新な演出だった。
  • 例えば、オーケストラピットの両脇の観客が見えるところに、一方では、ヴィジュアル・アーティストのB・ヘイグマンが舞台のスクリーンに映し出す影絵、黒板と文字、その他の映像の制作をやり、もう片方には効果音アーティストのR・サリヴァンがいろんな音(水の音、酒瓶がぶつかる音、鳥が飛ぶ音など)を出す。
  • パパゲーノが出てきたときに、しばしば黒い服を着た人たち(多分合唱団のメンバー)が鳥を模してA4サイズくらいの白い紙を二つ折りにして片手で持ってパタパタさせる演出はまるで歌舞伎で役者の周りを蝶が飛ぶときの演出と似ていたし、観客席には2つの通路が歌舞伎の花道のように使われ歌手たちが何回かその通路を使って舞台に上がったり降りたりしていた、また、オーケストラピットの観客側にピットを囲むように通路ができていてそこを歌手が歌いながら通る場面があったが、いずれも他では観たことがない演出である。もし、歌舞伎からヒントを得ていたとしたらうれしいが。
  • サイモン・マクバーニーはインタビューで、このオペラが初演されていた頃の演出をイメージしたと言っていた。その一つはオーケストラピットが通常よりも上げ底になっており舞台との一体感が強い設定になっていることだ。指揮者のナタリー・シュトゥッツマンもこれは非常に緊張を強いられると言っていた。
  • 魔笛ほどフルート等の独奏者が活躍するオペラも少ないだろう、フルート奏者のS・モリスは歌手に導かれて舞台に上がり独奏していたし、グロッケンシュピール奏者のB・ワゴーンも舞台上で演奏しており非常によかった。
  • パミーナ役のエリン・モーリーは先日見た「ばらの騎士」(こちら参照)でゾフィーを演じていたあの彼女だ。今回は主役級の役であり、その歌唱力、美貌、スタイルの良さを十分に発揮していた。こんな三拍子そろったパミーナ役は初めて観た。薄幸の主人公、例えば椿姫のヴィオレッタやラ・ボエームのミミなどは彼女がピッタリの役ではなかろうか。
  • パパゲーノ役のトーマス・オーリマンスはインタビューで、ピアノも弾けることを話していたが、第2幕の最後に近いところで通常はB・ワゴーンがグロッケン・シュピールを弾くところオーリマンスが自ら弾いていた、これは本当に彼が弾いていたのだろう、うまいもんだ。ワゴーンも感心しているように見えたのでこれはアドリブか?
  • 夜の女王のキャスリン・ルイックはカーテン・コールで盛大な拍手を受けていた。今まで見た女王の中ではかなり変った出で立ちであったが、歌唱力は素晴らしかった。
  • もう1人、これは良いと思ったのがザラストロ役のスティーヴン・ミリング(58、デンマーク)だ、体格もザラストロらしいし、何より低音のバスの音量が素晴らしかった。これだけのバス歌手はあまりいないのではないか。
  • 最初から幕は開いたまま、最後も閉じなかった、たまにこういうやり方もあるか。

さて、素晴らしいオペラであったが、若干の気づき事項を書いておこう

  • 私の中で理想の魔笛の演奏は、宇野功芳先生推薦のカール・ベーム指揮、ベルリン・フィルの1964年録音の「魔笛」(POCG-3846/7)だ、この演奏に比べると他の演奏はすべてテンポが速い、と言うよりベームの演奏が遅いと言った方が良いかもしれないが。大部分のパートは気になるほどの差ではないが、第1幕、第2幕のフィナーレの演奏が顕著な差である。なぜ、ここまで早く演奏しなければいけないのかわからない。歌手もオーケストラも大変だし、一番盛り上がるところはじっくりと演奏してもらいたい。
  • 3人の童子であるが、その出で立ちが、あばら骨が見え、毛が白髪のボサボサで、まるで飢餓寸前の児童といった感じのコスチュームで気味悪かったが、この狙いが読めなかった。

4時間近くの大作だが全く退屈しなかった。オペラファン、モーツアルトファンであれば見逃せない映画だろう。


林美智子の『フィガロ』を観に行く

2023年07月11日 | オペラ・バレエ

読者の皆様の中に、今回の九州北部、山口県などにおける集中豪雨で被災された方がいらっしゃったとしたら、心よりお見舞い申し上げます。テレビの画面の土石流、川の氾濫のすごさに驚くばかりです。これ以上の被害がないこと、また、速やかに復旧されることを願っています。

先週の土曜日は、メゾソプラノ林美智子のセルフプロデュースによるモーツァルト作曲、ロレンツォ・ダ・ポンテ台本による傑作オペラ三部作『コジ・ファン・トゥッテ』、『ドン・ジョヴァンニ』、『フィガロの結婚』のうちの最後の『フィガロの結婚』を観に行ってきた。



アンサンブルのみで構成された、とびきり愉しいモーツァルトの世界を楽しめるというのが売り物だ。全アリアカット、重唱(イタリア語/字幕付)と台詞(日本語)だけで、モーツァルトのアンサンブル・オペラの醍醐味が味わえるという。先月、ドン・ジョバンニを観てよかったので、今回のフィガロも観ようと思った。

場所は第一生命ホールで、今日はS席、6,000円。当日券はなく、完売だそうだ。767席の室内楽用のホールだが、伴奏がピアノだけなので、ちょうどよい広さだ。

出演は

アルマヴィーヴァ伯爵:後藤春馬(バス・バリトン)
伯爵夫人:腰越満美(ソプラノ)
フィガロ:加耒徹(バリトン)
スザンナ:鵜木絵里(ソプラノ)
ケルビーノ/バルバリーナ:林美智子(メゾソプラノ)
バルトロ:池田直樹(バス・バリトン)
マルチェリーナ:竹本節子(メゾソプラノ)
ドン・バジリオ/ドン・クルツィオ:高橋淳(テノール)
アントニオ:志村文彦(バス・バリトン)
ピアノ:河原忠之

日本語台詞台本・構成・演出:林美智子

前回観たドン・ジョバンニの時(こちらを参照)の学習効果があって、戸惑うことなく観られた。出演者は皆頑張って演じていた、歌も演技もうまかった。ピアノの河原忠之もピアノを離れて演技に加わったりしてよかった。河原さんはNHKのクラシック倶楽部に出演していたときのインタビューなどを見ると真面目そうな人だと思ったが、このシリーズでは地で行っているのか、ひょうきんなところを出していたのがよかったと思う。このチーム一丸となって厳しくも楽しく訓練を積んで来たことが想像される。このような良いチームができるのも林美智子さんの腕であろう。

私はオペラはやはり悲劇ではなく、このシリーズのような喜劇やハッピーエンドが好きだ、この点映画の好みとは違うが。今後も新しい企画で新作をどんどん披露してほしい。例えば、セビリアの理髪師やメリー・ウィドウなどはどうか。是非見たい。


「日本フィル 第752回定期演奏会 道化師」に行く

2023年07月10日 | オペラ・バレエ

サントリーホールの「日本フィルハーモニー交響楽団 第752回定期演奏会」に行ってきた。2階奥のA席、6,500円。演目はレオンカヴァッロ:オペラ『道化師』演奏会形式)。今日は8割くらいの埋まり具合か。金曜日の夜なので会社帰りの若い人女性たちも結構来ていた。

ちょっと前に録画しておいた道化師を見たばかりだったが(こちらを参照)、その時は今日のチケットが道化師だったことはすっかり忘れていた。偶然、予習をすることになったのは幸いだった。

このオペラはヴェリズモ・オペラといわれ、写実的・現実的オペラと訳される。その意味は、神話を題材にしたようなオペラではなく、その作曲家が生きていた時代に起きた、起こりうる事件やドラマを題材にしたオペラという意味。1892年ミラノで25才の若きトスカニーニの指揮で初演、35才だったレオンカヴァッロは一夜にして時の人になった。

出演は以下のとおり

カニオ:笛田博昭(旅芸人一座の座長、道化師)
シルヴィオ:池内響(ネッダの愛人)
ネッダ:竹多倫子(カニオの妻)
ベッペ:小堀勇介(一座の色男)
トニオ:上江隼人(一座の狂言回し、ネッダに気がある)

指揮:広上淳一
合唱:東京音楽大学、杉並児童合唱団
日本フィルハーモニー交響楽団

歌手も楽団も合唱団も指揮者も一生懸命やっていたのは伝わってきた。歌手の皆さんは知らない人ばかりだが、良い演技と歌を披露していたのでカーテンコール時の拍手も大きかったし、歌手たちもやりきったという表情をしていた。

この演目の最後に、カニオがネッダとシルヴィオを刺し殺し、「悲劇は終わりました」という台詞を言って終わりになるが、その台詞を誰が言うかという謎解きがコンサート・プログラムに書いてあった。先日見たザルツブルグの道化師では確かトニオが言ったが、ネットで調べられる道化師の解説ではカニオが言うとなっている。コンサート・プログラムでは、初演の時はトニオが言ったが、その後、レオンカヴァッロが関与した再演ではカニオが言うことに変更され、楽譜も2バージョンあるとのこと。さて、本公演ではどうなったか・・・

運営面に付いてコメントをしたい

  • 日本フィルのホームページを事前に確認してみると、本日のコンサートのプログラムが無料公開されている。これは大変有難いことだ。ホールでも紙のプログラムは配布された。自宅にいてゆっくり予習できるのは大きなメリットだ。また、動画で本日の演目の解説(5分)が見られるのも有難い。このような取組みはたの楽団でもやってほしい、有料でもよい。
  • また、日本フィルは過去の公演動画をアーカイブとして1,000円で公開しているのも有難い。知らなかった。また、ホームページを見ると日本語の他に英語でも見られるようになっており、いろいろ経営努力をしていることわかる。他の交響楽団のことは知らないが、いろいろ努力してファンを増やそうとしている意欲が伝わる。
  • 今日の公演は写真・動画撮影は禁止だが、カーテンコール時には写真のみ撮影可能と公演直前に放送していた、これは有難く評価できるが、張り出しには撮影禁止としか書いてなかったのは不親切ではないか、館内放送も楽団員の楽器の練習の音で聞き取りにくい、カーテンコールの最初の方では写真を撮る人がほとんどいなかったのは事前の説明が不足しているからだと思う。字幕の装置を使って写真撮影可能と表示してはどうか。

さて、公演は7時からだったので少し早めに行って、前回来たときと同様、ホールの前のアークヒルズにあるThe City Bakeryでハニーレーズンスコーン388円を買って、アーケード下の椅子に腰かけて軽めの夕食とした。おいしかったし結構大きいのでシニアの質素な夕食にはちょうどよかった。

お疲れ様でした。


歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」を再び観る

2023年07月05日 | オペラ・バレエ

だいぶ前だが、テレビで放送していた2015年ザルツブルク復活祭音楽祭でのオペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」「道化師」を録画してあり、それをまた観たくなった。

この2つのオペラは別々の演目だが、一つ一つが1時間程度の短いオペラだから一緒に演じられることが多い。今回は指揮者にクリスティアン・ティーレマン、テノールにヨナス・カウフマンという豪華メンバーだ。場所もザルツブルグと素晴らしい舞台。

カヴァレリア・ルスティカーナ(「田舎の騎士道」といった意味:ウィキより)は、カウフマン演じる兵役帰りのトゥリッドゥが許嫁のサントゥッツァがいるにもかかわらず、元カノで人妻になっているローラと愛し合い、それを知ったサントゥッツァが翻意を促すが聞かないため、思い詰めてローラの夫に浮気をばらした結果、その夫がトゥリッドゥを刺し殺す、という悲劇。

また、道化師は旅役者のカニオが妻のネッダが浮気をしていることを知り、相手は誰だと詰め寄るがネッダから無視される、これから演じる劇でまさに同じような妻の浮気を追求する役を演じている間に劇と現実とが区別できなくなり、舞台上でネッダを刺し殺す、それに驚いた浮気相手の青年が舞台に助けに上がってくるとその青年も殺し、悲鳴を上げる観客の前で「悲劇は終わりました」と言う。

観た感想を述べよう。

  • 他のプロダクションでのこの両演目を観たことはないが、今回は、両方で男性の主役を演じるカウフマン。カヴァレリア・ルスティカーナでは自分が浮気をする本人だが、道化師では妻に浮気をされる男を演じる、全く逆の立場になるのが面白い。
  • カウフマンは歌唱力、演技力ともたいしたものだ。カヴァレリア・ルスティカーナでは、「このヤロー」と思わせるし、道化師では同情したくなるような真に迫った演技をしていた。
  • このプロダクションはなんと言っても舞台演出が素晴らしかった。フィリップ・シュテルツルという演出家は知らない人だが、舞台を6つに区分して、そこで同時並行的に劇が進行していくスタイルだ。役者が演じている場合もあるが、映像が映される場合もある。区分されているが、実際にはつながっている舞台の場合もある。とにかく観ていて飽きない。美術も照明もカラフルで好きだ。
  • 歌手ではなんと言ってもサントゥッツァ役のリュドミラ・モナスティルスカがよかった。彼女の熱演が光った。調べてみると彼女はウクライナ人だ。2020年4月にロシアのネトレプコがプーチン支持を理由にMETを降板させられた後、ネトレプコに変ってトゥーランドットを歌った歌手だ。本公演はウクライナ侵略前だが、カーテンコールでは一番大きな拍手とブラボーがあったように思えた。
  • カヴァレリア・ルスティカーナでトゥリッドゥを刺し殺すアルフィオを演じたのはアンブロージョ・マエストリだ。彼は先日観たファルスタッフでタイトル・ロールを演じていた彼だ(こちらを参照)。ファルスタッフ以外で初めて彼の演技を観たが、うまく演じていたと思う。

マスカーニ 歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》(全1幕)
サントゥッツァ:リュドミラ・モナスティルスカ(Ms)
トゥリッドゥ:ヨナス・カウフマン(T)
ルチア(トゥリッドゥの母):ステファニア・トツィスカ(A)
アルフィオ:アンブロージョ・マエストリ(Br)
ローラ(アルフィオの妻):アンナリーザ・ストロッパ(Ms)

レオンカヴァルロ 歌劇《道化師》(全2幕)
ネッダ/コロンビーナ:マリア・アグレスタ(S)
カニオ/道化師:ヨナス・カウフマン(T)
トニオ/タデオ:ディミトリ・プラタニアス(Br)
ペッペ/アルレッキーノ:タンセル・アクセイベク(T)
シルヴィオ:アレッシオ・アルドゥイーニ(Br)

ドレスデン国立歌劇場合唱団
ザルツブルク・バッハ合唱団
ザルツブルク音楽祭および劇場児童合唱団
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
指揮者:クリスティアン・ティーレマン
演出:フィリップ・シュテルツル
(2015年3月26、28日、4月6日 ザルツブルク祝祭大劇場)


映画「METドン・ジョバンニ」を観る

2023年07月04日 | オペラ・バレエ

METライブビューイングで「ドン・ジョバンニ」を観た。3,700円、今シーズンもあと2作を残すのみとなったが、それがドン・ジョバンニと魔笛というモーツアルトの3大オペラの中の2つとあっては是非見に行かなければいけない。土曜だったので座席は3分の1くらい埋まっていたか。やはりシニアと女性が多かった。今年5月20日に上演されたものが7月に日本で見れるのだからありがたい。

指揮:ナタリー・シュトゥッツマン(仏、58)
演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ(64、ベルギー)
出演:
ドンジョバンニ:ペーター・マッテイ(58、スエーデン) 
レポレッロ:アダム・プラヘトカ 
ドンナ・アンナ:フェデリカ・ロンバルディ(34、伊) 
ドンナ・エルヴィーラ:アナ・マリア・マルティネス(52、プエルトリコ)
ツエリーナ:イン・ファン(中国) 
ドン・オッターヴィオ:ベン・ブリス 

指揮者のナタリー・シュトゥッツマンは元歌手で、両親もオペラ歌手だったが、本人は指揮者になった理由として歌手は1人で歌うが、指揮者は50人の歌手やオーケストラなどを統率するのが魅力と答えていた。本作がMETデビューで次作の魔笛でも指揮をとる。彼女の指揮する本作のオーケストラはいい演奏をしていた。

タイトル・ロールのペーター・マッテイは初めて聴く歌手だが、背が高く、モーツアルト歌いらしい。見た印象が誰かに似ているなと思い、しばらくして、映画「ショーシャンクの空」のティム・ロビンスだと思いついた。見た感じでは悪役や好色というイメージではないな、と感じたがどうであろうか。

今回、一番いいなと思ったのはドンナ・アンナを歌ったフェデリカ・ロンバルディだ。初めて見る歌手だが美人で歌唱力もあり、セクシーだ。MET初出演だそうだが、今後、どんどん活躍するのではないか。こんな三拍子そろった歌手はやらせてみたい役がいっぱいある。

ツエリーナをやったイン・ファンは昨年テレビで放映していたパリ・ガルニエ宮での「フィガロの結婚」にスザンナ役で出ていたのを見て、いい演技しているなと感心したが、今回のツエリーナ役でも実にうまくこなしていた。

そのほかの歌手も皆いい演技と歌を披露してくれたと感じた。歌唱力は当然として、役柄とそれぞれの歌手のイメージがピッタリ一致しているところが素晴らしい。

さて、このオペラの演出・照明であるが、解説では舞台がほとんどの時間、暗くなっていることが特徴だと言っていた。確かにそうだ。ドン・ジョバンニといえばなんと言ってもテレビでたまに放送されるフルトヴェングラー指揮の1954年のザルツブルク音楽祭での演奏が好きだ。自分の中ではこの演奏がドン・ジョバンニの基準となって、これと比較してどうか、という視点でしか見れなくなっている。この1954年の演出は非常にオーソドックなもので気に入っているが、それと今回の演出を比べると、最後に騎士長の石像(亡霊)が出てきてドン・ジョバンニを地獄に落とすところが物足りないような気がした。

上映時間:3時間43分(休憩1回)
MET上演日:2023年5月20日
言語:イタリア語


歌劇「ポントの王ミトリダーテ」を観る

2023年06月17日 | オペラ・バレエ

テレビで放映していた歌劇「ポントの王ミトリダーテ」(全3幕) を録画して観た。

これはモーツアルト作曲のオペラ・セリアである。オペラ・セリアとは神話や伝説を題材にしたオペラのこと。 

テレビの説明では「かつて黒海沿岸に実在したポントス王国に紀元前1-2世紀に在位した国王ミトリダデス6世は共和制ローマとたびたび交戦した。この国王を題材にして17世紀のフランスの劇作家ラシーヌが、王と2人の息子が1人の女性を同時に愛する、という虚構の設定に基づく悲劇「ミトリダート」を書いた。これがオペラの原作となった」とのこと。

この原作をベースに作曲したのは当時14才のモーツアルトである。14才でこの題材が理解できるか疑問だが、周りからの数々の妨害に関わらず完成させて上演に成功したという。そしてこの作品はモーツアルト親子の第1回目のイタリア遠征時に完成させたもの。当時のオペラの本場イタリアで成功した。イタリア語も堪能であったらしい、そうでないと歌詞に合った音楽などできず、当時作曲家よりも力の強かった歌手たちからダメだしを受けただろう。

初めて観るオペラだったが、感想を述べてみよう

  • 予習はしたが、初めてのオペラをいきなり理解することは無理だった、ただ、良いとも悪いとも思わなかった。シーファレ(王の次男)は女性のアンジェラ・ブラウアーという歌手が務めていたが、なぜ女性でないといけないのかわからなかった(これは作品に体する私の不勉強のためであろう)。あまり上演されることがないオペラだと思うが、今後も機会があれば観ていきたい。
  • 演奏時間は2時間半くらいで長い方ではないが、ところどころ同じせりふが繰り返され、冗長と感じるところがあった。

演出が日本人の宮城聰さん(1959年、東京生まれ)というのが驚いた、日本人がオペラの本場で重要な役割を担っているというのは誇らしいものだ。宮城さんのインタビューで、彼の考えが伝わってよかった。宮城さんの演出に関することでいくつか述べよう。

  • 宮城さんは、当初台本を見たとき、結末が絶望的なものに思えてどうしようかと考えたが、「戦いの後、復讐の連鎖にならなかった例もあるのではと思い、それは先の大戦後の日本だ、それは鎮魂という考え方があったからで、このオペラの結末に鎮魂を付け加えれば、お客さんに復讐の連鎖に入らないという希望を与えられる」と述べている。
  • そこでフィナーレを注目して観たが、王が戦いの後、死に追いやられ、残されたものたちが王の死を悼み、復讐を誓い突然幕が下りている。せりふを観ても、横暴なローマから自由を勝ち取るために戦うのだ、となっており、今のウクライナと同じように思える。宮城氏の鎮魂はどこに現れていたのだろうか、私には理解できなかった(多分理解不足だと思うが)。元々、このオペラは絶望的な終わり方ではないと思うが。戦いに敗れた王が最後に息子たちを許し、ローマへの復讐を誓うというもので希望がある。
  • このオペラの演出は、日本の歌舞伎(時代物)を意識したものとなっている、これはオペラセリアと歌舞伎に共通点があると考えてのことだ。王や息子たちが着ている鎧兜、持っている刀、背景の富士山や竹林、着物らしい服を着ている他の出演者、舞台上のテクニックなど、歌舞伎を十分意識した演出になっていた。日本人としては大変楽しめたが、現地の観客はどう感じただろうか。
  • さて、インタビューの最後で宮城さんは、「世界は力によって相手を黙らせるようになってきた、日本もその影響を受けて鎮魂によって復讐の連鎖を終わらせようという方向よりも、むしろ、面倒くさいからもっと力を付けようみたいなそういう方向になっていると思う。ワーってなっている時に「でもさあ」という人がちょっといる、それによって随分多くの人が立ち止まってくれるのでは、と思っている」と述べているのは感心しない。日本もその影響を受け・・・と思う、の部分は日本ではなく日本周辺の全体主義国家の言い間違えでしょうし、この部分は言わないでも良いことでしょう。

<出演>    

ミトリダーテ(ポント王):ペネ・パティ(27、サモア)
アスパージア(王の婚約者):アナ・マリア・ラービン(42)
シーファレ(王の次男):アンジェラ・ブラウアー(39、米、メゾ・ソプラノ)
ファルナーチェ(王の長男):ポール・アントワーヌ・ベノ・ジャン
イズメーネ(ファルナーチェの婚約者):サラ・アリスティドウ(キプロス、ソプラノ)
マルツイオ(ローマ護民官):サイ・ラティア
アルバーテ(ニンファイオンの領主):アドリアーナ・ビニャーニ・レスカ

音楽:モーツァルト    
演出:宮城 聰
管弦楽:レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル    
指揮:マルク・ミンコフスキ
収録:2022年12月9・11日 ベルリン国立歌劇場(ドイツ)