昭和29年(1954)私は25才になりまた。
懸案の夜間大學の卒業論文も通り、無事に大學も卒業しました。
信用金庫に勤務しながらですが、勤務も今年で5年目になります。
《夜間の学校通学9年間》
昼間は仕事をしながら、中学に始まり「夜間の学校」に通ったのは大學まで「通算で9年間」です。
その内訳を書きますと次のとおりです。
A.昭和21年終戦の翌年・15才の時中学2年生で一年遅れて。
唯一区内で戦火に遭わずに焼け残っていた「旧制中学3年夜間部に編入」する。
(終戦の年の昭和20年は、中学校の焼失で修学出来ずに一年浪人した)
B。昭和22年に学校の制度が変わり「新制商業制度」になり、そのまま「新制商業高校夜間部1年生」に進学する。
(夜間部の高校生は卒業までは4年間です。)
(学校の所在地も教室も先生もそのままです。)
C.結局、高校を卒業するのに中学の3年生を含めて「5年間」かかったのです。
(落第や停学したわけではありませんからね。)
D.この後に、商業高校の卒業を期に信用金庫に就職し、仕事をしながら同時に「夜間大學」に進学しました。
さらに4年間夜間大學に通学することになったのでした。
E.合計9年間。昼間の仕事をしながら「夜間に通学」した訳です。
F.誰にも言えませんでしたが。「困ったことは」10年近くの「夜の食事が何時も午後10時」頃なので。
「慢性消化不良で胃腸病」だったことです。
G.もう一つの「困り事」は、夜間の「若者の遊び事」に参加できなかったことです。
たとえば、当時の若者は「ダンス・パチンコ・マージャン・競馬。などなど」
私は、横目で見ていても、金も暇もないので参加できずでした。
G.また。さらに愚痴は幾つかありますが、ここのところは私の胸に秘めておくことにします。
一番困ることは、これ等の遊び事の話に今でもついていけないことです。
80才を間近にした今でも、「マージャン」と「ダンス」「競馬」をやった事がありません。
くそ真面目も、社会から阻害され、仲間に入れてもらえずに苦労しましたよ。
《新支店長のやり方 その5》
信用金庫の仕事に戻ります。
A。出納事務のやり方。「ここで、書いていますのは、私が教えられた方法です。」
B.お札勘定の仕方には、「縦読み」と「横読み」が有る事は前項で書きましたが。
ここではもう少し詳しく書いてみます。
C.《お札の{縦読み」》
「左手の形」
・お札の表面を前に、左手の薬指と中指の間に、お札の束を立てます。
・薬指と小指は小さく丸め、薬指はやや丸めます。
・薬指を背にして、お札の中ほどを外にして押し曲げます。
・次は、お札の上部を、親指と人指し指で押さえ。
D.「右手の形」
・左手の形が出来たら、右手の出番です。
・右手で使うのは、親指・人指し指・中指、の3本です。
・親指の指頭に少し水をつけて。
(通常海綿でやります)
(海綿が無い時には、雑巾かテッシュなどを濡らしてやって下さい)
(お札は、色々な人の手を経由してきてますから、大変に汚れていますからね。)
(代わりに唾を付けて、数えるのは賛成できません。)
・一番上のお札を一枚だけ、人指し指を枕に1.5センチほど、親指で右横にずらします。
・今度は、中指の出番で、一番上の表面のお札の裏から中指が自分の顔の方に弾きます。
・この際に、手前に捲り、口の中で声を出さずに、数を数えていきます。
E.「左手の協力」
・この際には、左ての親指が協力します。
・表面のお札を、一枚右手の親指が右にずらすときに、左手の親指が協力して、お札の表面を右に送ってやります。
F.「書いて見ると難しい」
・書いてみると、「実に難しい」です。
・自分でもビックリしました。
・しかしこれも、馴れです。
・数多くやると、なんのことなく手や指が、黙っても動くようになるものです。
・職人上がりで、手と指が太かった私でも何とかできましたからね。
・一束のお札の勘定は最低でも、二回は数えるわけですから。
G.「縦よみのもう一つの仕事」
・縦読みをする時のもう一つの仕事は、お札の中に「偽札がまぎれていないか。」
・縦読みをしている中で「紙幣の紙質が違うものに気がつくことがあります。」
・ 「紙幣の印刷色がおかしいものもあります。」
・こんな時には、おかしい紙幣だけを抜き出して、再点検します。
さらに
・「金額種類の違う、お札が混ざっていないか。」
・以上の二点をチェックしながら数えることです。
・たまに、千円札の束に、五百円札が混ざっていることがありましたので。
《お札の「横読み」》
・お札の横読みは、縦読みよりさらに難しいです。
・横読みには、二種類の扇の開き方、やり方があります。
・そらに数え方に、4枚ずつ数えるのと。5枚ずつ数えるのとあります。
・横読みの札束は、新しい札束で練習して下さい。
・古い札束では、扇に開くのがスムースに行きません。
懸案の夜間大學の卒業論文も通り、無事に大學も卒業しました。
信用金庫に勤務しながらですが、勤務も今年で5年目になります。
《夜間の学校通学9年間》
昼間は仕事をしながら、中学に始まり「夜間の学校」に通ったのは大學まで「通算で9年間」です。
その内訳を書きますと次のとおりです。
A.昭和21年終戦の翌年・15才の時中学2年生で一年遅れて。
唯一区内で戦火に遭わずに焼け残っていた「旧制中学3年夜間部に編入」する。
(終戦の年の昭和20年は、中学校の焼失で修学出来ずに一年浪人した)
B。昭和22年に学校の制度が変わり「新制商業制度」になり、そのまま「新制商業高校夜間部1年生」に進学する。
(夜間部の高校生は卒業までは4年間です。)
(学校の所在地も教室も先生もそのままです。)
C.結局、高校を卒業するのに中学の3年生を含めて「5年間」かかったのです。
(落第や停学したわけではありませんからね。)
D.この後に、商業高校の卒業を期に信用金庫に就職し、仕事をしながら同時に「夜間大學」に進学しました。
さらに4年間夜間大學に通学することになったのでした。
E.合計9年間。昼間の仕事をしながら「夜間に通学」した訳です。
F.誰にも言えませんでしたが。「困ったことは」10年近くの「夜の食事が何時も午後10時」頃なので。
「慢性消化不良で胃腸病」だったことです。
G.もう一つの「困り事」は、夜間の「若者の遊び事」に参加できなかったことです。
たとえば、当時の若者は「ダンス・パチンコ・マージャン・競馬。などなど」
私は、横目で見ていても、金も暇もないので参加できずでした。
G.また。さらに愚痴は幾つかありますが、ここのところは私の胸に秘めておくことにします。
一番困ることは、これ等の遊び事の話に今でもついていけないことです。
80才を間近にした今でも、「マージャン」と「ダンス」「競馬」をやった事がありません。
くそ真面目も、社会から阻害され、仲間に入れてもらえずに苦労しましたよ。
《新支店長のやり方 その5》
信用金庫の仕事に戻ります。
A。出納事務のやり方。「ここで、書いていますのは、私が教えられた方法です。」
B.お札勘定の仕方には、「縦読み」と「横読み」が有る事は前項で書きましたが。
ここではもう少し詳しく書いてみます。
C.《お札の{縦読み」》
「左手の形」
・お札の表面を前に、左手の薬指と中指の間に、お札の束を立てます。
・薬指と小指は小さく丸め、薬指はやや丸めます。
・薬指を背にして、お札の中ほどを外にして押し曲げます。
・次は、お札の上部を、親指と人指し指で押さえ。
D.「右手の形」
・左手の形が出来たら、右手の出番です。
・右手で使うのは、親指・人指し指・中指、の3本です。
・親指の指頭に少し水をつけて。
(通常海綿でやります)
(海綿が無い時には、雑巾かテッシュなどを濡らしてやって下さい)
(お札は、色々な人の手を経由してきてますから、大変に汚れていますからね。)
(代わりに唾を付けて、数えるのは賛成できません。)
・一番上のお札を一枚だけ、人指し指を枕に1.5センチほど、親指で右横にずらします。
・今度は、中指の出番で、一番上の表面のお札の裏から中指が自分の顔の方に弾きます。
・この際に、手前に捲り、口の中で声を出さずに、数を数えていきます。
E.「左手の協力」
・この際には、左ての親指が協力します。
・表面のお札を、一枚右手の親指が右にずらすときに、左手の親指が協力して、お札の表面を右に送ってやります。
F.「書いて見ると難しい」
・書いてみると、「実に難しい」です。
・自分でもビックリしました。
・しかしこれも、馴れです。
・数多くやると、なんのことなく手や指が、黙っても動くようになるものです。
・職人上がりで、手と指が太かった私でも何とかできましたからね。
・一束のお札の勘定は最低でも、二回は数えるわけですから。
G.「縦よみのもう一つの仕事」
・縦読みをする時のもう一つの仕事は、お札の中に「偽札がまぎれていないか。」
・縦読みをしている中で「紙幣の紙質が違うものに気がつくことがあります。」
・ 「紙幣の印刷色がおかしいものもあります。」
・こんな時には、おかしい紙幣だけを抜き出して、再点検します。
さらに
・「金額種類の違う、お札が混ざっていないか。」
・以上の二点をチェックしながら数えることです。
・たまに、千円札の束に、五百円札が混ざっていることがありましたので。
《お札の「横読み」》
・お札の横読みは、縦読みよりさらに難しいです。
・横読みには、二種類の扇の開き方、やり方があります。
・そらに数え方に、4枚ずつ数えるのと。5枚ずつ数えるのとあります。
・横読みの札束は、新しい札束で練習して下さい。
・古い札束では、扇に開くのがスムースに行きません。