昭和22年4月 新制高校Ⅰ年生になりました。(まだ、昼間は親父の仕事の手伝い(土方)だ。)
なぜ中学生だったのに、高校生になったのか。なぜなれたのか。
この話は、「焦土の東京で 12-13-15 15才で初めての仕事」の中の文掌で書きましたので、読み返してご覧下さい。
そうは言っても一々大変、簡単に書きますと「教育制度の改正」で、6-3-3ということに昭和22年から変更になったのだそうです。
小学校6年、中学校3年、新制高校3年(ただし、夜間部は4年)という学校側の説明でした。
私としては、戦争で中断されていた勉強が中学3年生の一年間で埋められるものでなく、当然に多くの学友が私も含め「新制高校」を希望し高校に進学した。
それでも、10名ほどの人が「中学の卒業免状」を貰って学校を去った。
(卒業生の中にいた30才近かった生徒も卒業していった。)
この後の新学期に10名程の新規入学生が入り、生徒数は前の30人とほぼ同数で「新制高校1年生」が始まる。
「中学の卒業免状を出すから、中学で卒業してもいいよ。」と言う学校側の話だが。夜間高校の生徒が急には集まらず「君等は無試験で新制高校に進学してよい。」と言うことらしい。
昭和22年 終戦から2年目です。まだ多くの家族が田舎に疎開したままですから、生徒が集まらないのも仕方ありません。
新規の学校の名称は「都立・○○商業高校」夜間部ということになった。
商業高校ということは、「職業高校だよ。」普通高校と違う科目が加わるという。
学校の科目割をもう一度並べますと次のとおりです。○印は新設科目
担当
大橋 校長
折田 先生 数学 クラスの担任
関 先生 図工
中村 先生 忘れた 思いだせない。
小倉 先生 英語
小倉 先生 国語 名前は同じだが別人
和田 先生 忘れた 思いだせない。
?? 先生 音楽 女の先生だが名前が出てこない。
?? 先生○簿記 ○は商業高校になったので科目が追加。
?? 先生○ソロバン
?? 先生○習字
木村 先生 事務
蓮池 先生 事務
以上だが、授業科目に3科目追加された。
学校は、「新制高校4年間の間に資格を取れ。」の命令。
簿記 商工会議所の検定試験で、最低3級。
ソロバン 商工会議所の検定試験で、最低3級。
私としては、昼間は土方仕事で簿記の補修やソロバンの練習をするような環境でない。
《嬉しいこと》
4月に高校1年生で学校に。
親が「学生服」を買ってくれるという。
学校の指定用品店に行くと、同じ学校の生徒が既にいて注文している。
私の番が来て呼ばれる。
「学生服」の試着。
肩幅が合うと、袖が長くて手首の下まで来てしまう。
服の背丈も長くなりバランスが取れない。
店の人は、既成品なので、肩幅に合うものはこれしかないという。
ズボンをこの型で履くと裾が長すぎて引きずる。
母親が仕方ないか、家で直してあげるから、と言うので買って帰ることに。
学生服のボタンは、学校指定の金ボタンだ。
「学生帽」
いがくり頭に「学生帽」を乗せて母親が具合をみる。
帽子は、私に会うサイズが見つかる。
帽子の正面に金の校章が輝いている。
「運動靴」
今まで、運動靴を履いたことがない。
昼間は「地下足袋」だからね。
「運動靴」の横幅が合わない。仕方なく少し大きめの靴で間に合わせることにした。
今まで夜間中学校に通うのには、私服で素足に下駄履きだったから。
《晴れ姿》
ピカピカの一年生。
母親に手直ししてもらった「学生服」を着て「学生帽」を被り始めての登校だ。
金ぴかの「学校の徽章」が帽子にも学生服にも輝いている。この格好では、悪い事やいたずらは出来ないなと思う。
反面、立派な学生に急になった思いが交錯する。
この格好では、自分でも「昼間の土方姿」が想像出来ない立派な姿だ。
《馬子にも衣装だ》
(どんな人間でも、身なりを整えれば立派にみえるしいうたとえ。)
当時の職人の正装を、我が家の親父の姿で言うと次のとおり。
「裸に越中ふんどし、紺の股引を履き、どんぶりの腹掛け、上に印半纏。」
「帽子はハンチング、黒足袋に鼻緒の草履。」
こんな、姿で正月などには、お客さに年賀廻りをする。
次回は、学校での話しを少しします。
なぜ中学生だったのに、高校生になったのか。なぜなれたのか。
この話は、「焦土の東京で 12-13-15 15才で初めての仕事」の中の文掌で書きましたので、読み返してご覧下さい。
そうは言っても一々大変、簡単に書きますと「教育制度の改正」で、6-3-3ということに昭和22年から変更になったのだそうです。
小学校6年、中学校3年、新制高校3年(ただし、夜間部は4年)という学校側の説明でした。
私としては、戦争で中断されていた勉強が中学3年生の一年間で埋められるものでなく、当然に多くの学友が私も含め「新制高校」を希望し高校に進学した。
それでも、10名ほどの人が「中学の卒業免状」を貰って学校を去った。
(卒業生の中にいた30才近かった生徒も卒業していった。)
この後の新学期に10名程の新規入学生が入り、生徒数は前の30人とほぼ同数で「新制高校1年生」が始まる。
「中学の卒業免状を出すから、中学で卒業してもいいよ。」と言う学校側の話だが。夜間高校の生徒が急には集まらず「君等は無試験で新制高校に進学してよい。」と言うことらしい。
昭和22年 終戦から2年目です。まだ多くの家族が田舎に疎開したままですから、生徒が集まらないのも仕方ありません。
新規の学校の名称は「都立・○○商業高校」夜間部ということになった。
商業高校ということは、「職業高校だよ。」普通高校と違う科目が加わるという。
学校の科目割をもう一度並べますと次のとおりです。○印は新設科目
担当
大橋 校長
折田 先生 数学 クラスの担任
関 先生 図工
中村 先生 忘れた 思いだせない。
小倉 先生 英語
小倉 先生 国語 名前は同じだが別人
和田 先生 忘れた 思いだせない。
?? 先生 音楽 女の先生だが名前が出てこない。
?? 先生○簿記 ○は商業高校になったので科目が追加。
?? 先生○ソロバン
?? 先生○習字
木村 先生 事務
蓮池 先生 事務
以上だが、授業科目に3科目追加された。
学校は、「新制高校4年間の間に資格を取れ。」の命令。
簿記 商工会議所の検定試験で、最低3級。
ソロバン 商工会議所の検定試験で、最低3級。
私としては、昼間は土方仕事で簿記の補修やソロバンの練習をするような環境でない。
《嬉しいこと》
4月に高校1年生で学校に。
親が「学生服」を買ってくれるという。
学校の指定用品店に行くと、同じ学校の生徒が既にいて注文している。
私の番が来て呼ばれる。
「学生服」の試着。
肩幅が合うと、袖が長くて手首の下まで来てしまう。
服の背丈も長くなりバランスが取れない。
店の人は、既成品なので、肩幅に合うものはこれしかないという。
ズボンをこの型で履くと裾が長すぎて引きずる。
母親が仕方ないか、家で直してあげるから、と言うので買って帰ることに。
学生服のボタンは、学校指定の金ボタンだ。
「学生帽」
いがくり頭に「学生帽」を乗せて母親が具合をみる。
帽子は、私に会うサイズが見つかる。
帽子の正面に金の校章が輝いている。
「運動靴」
今まで、運動靴を履いたことがない。
昼間は「地下足袋」だからね。
「運動靴」の横幅が合わない。仕方なく少し大きめの靴で間に合わせることにした。
今まで夜間中学校に通うのには、私服で素足に下駄履きだったから。
《晴れ姿》
ピカピカの一年生。
母親に手直ししてもらった「学生服」を着て「学生帽」を被り始めての登校だ。
金ぴかの「学校の徽章」が帽子にも学生服にも輝いている。この格好では、悪い事やいたずらは出来ないなと思う。
反面、立派な学生に急になった思いが交錯する。
この格好では、自分でも「昼間の土方姿」が想像出来ない立派な姿だ。
《馬子にも衣装だ》
(どんな人間でも、身なりを整えれば立派にみえるしいうたとえ。)
当時の職人の正装を、我が家の親父の姿で言うと次のとおり。
「裸に越中ふんどし、紺の股引を履き、どんぶりの腹掛け、上に印半纏。」
「帽子はハンチング、黒足袋に鼻緒の草履。」
こんな、姿で正月などには、お客さに年賀廻りをする。
次回は、学校での話しを少しします。
ここが考えるスタートだと思う。