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おかえりのすけBOOK

bookbar4のメインキャラクター、おかえりのすけのページ

『まぎれ野へ』木村迪夫自作詩朗読

2004-10-09 | 
山形県牧野(まぎれ野)村で農業をいとなむ詩人・木村迪夫さんによる、自作詩朗読をおさめたCD+ブックレットが届きました。水牛レーベルの第六弾です。
山形生まれのわたしにとっては、こどものころに両親の知人友人が集まって話しているのを、聴くともなく廊下や隣の部屋で聴いていたときのことが蘇ってきて、なつかしかった。全14篇のうち、おそらく13番目の「妄言記」がもっとも難解な山形弁ではないかと思うが、もっとも口語調なので、いかにもこういうことを話していた近所のおじちゃんの顔が浮かび、けっこう酷なことを言ってるのになんでこんなに可笑しいんだろうと思い、そういえばこどもの頃につかっていた「ほだな」「こだえ」「んだがら」「昼間なんべなはぁ」……という言葉を、今わたしはどう共通語に置き換えてつかっているのか、そのことでもれた意味合いはどこに彷徨っているのかと思って、ブックレットに印刷された言葉をゆっくり追いながら、一個ずつ、考えてみる。「ほだな」は「そんな」という意味であろうが、もっとなにかにくにくしさがあるし、「こだえ」は「こんなに」だが、もっと驚きを含むような気がするし、なんとも複雑なことである。急に山形弁話せと言われても無理だけど、今ならぺらぺら出てきます。

なおこの作品にはもうひとつうれしいことがあります。くわしくは、八巻美恵さんがお書きになった10/1付の「水牛だより」をご覧ください。

日本ビジュアル詩展 in Paris

2004-09-20 | 
9/11-25、パリの Galerie Satellite にて、第六回日本ビジュアル詩展開催中。わたしは『水+|』(右写真)を出品、「水」と「|」(線)をつかって四つの漢字をしるし、それが循環するようすを和紙を折ってあらわしたものです。パリからもしやご覧のみなさま、もしやどうぞお立ち寄りを。

出品者:浜江順子 一色真理 岡島弘子 ヤリタミサコ 濱條智里 羽原粛朗 田名部ひろし 菊池肇 大園由美子 支倉隆子 武石剛 松本旻 四釜裕子 藤富保男 春日美香 森郁夫 新井隆人 伊藤元之 高橋昭八郎 和泉昇 近藤修一郎 伊武トーマ 水上旬 (順不同、敬称略)

Galerie Satellite

名づけられることを拒否しながら在るために

2004-08-11 | 
気づいたら今日は11日、明日で高橋昭八郎展が終わってしまう。
同展に合わせて刊行された『第一語の暗箱』(2004.7.29発行/限定900部/発行:高橋昭八郎/構成:金澤一志/制作協力:伊藤元之/編集・造本:高木伸哉+石田貴子 フリックスタジオ/印刷:光野英行 コンフォートシステムランナーズ なお書肆啓祐堂にある同書には、昭八郎さんのサイン入り、しかもカバーは、同展実行委員会有志による手折り!)から、昭八郎さんの言葉をここにひきましょう。

「……名づけられることを執拗に拒否しながら、なお、そこにひとつの形であろうとする存在、=ものの可変性と非連続的な連続性の波動をあらわにする空間の構造化作用=の装置であり、その生成と否定のダイナミクスとしての問いかけでもあった。

……新たな詩がめざすべき突破口は、何気なく周辺に見え隠れしながら、まだまだ手つかずのままにあるように思われる。 
高橋昭八郎」

レオン=ポオル・ファルグ

2004-08-08 | 
秋元幸人さんが『gui』で、「レオン=ポオル・ファルグの詩」という連載をはじめた。
「Leon-Paul Fargue。1876年にフランスはパリに生まれ、パリに生き、1947年にパリに逝ったこの詩人を、私は深く愛しつづけている。或る時は少年期の友アルフレッド・ジャリの影に隠れ……。不思議なのは、昔も今も翻訳事業花盛りの日本に在って、これだけ豊饒でマラルメにも近しく、右のヴァレリーやヴァレリー・ラルボオと同人誌を興すなどして鹿爪らしい文学史的な話題にも事欠かないこの詩人の著述が、ごく僅かしか紹介されてこなかったこと……。本邦では耳遠い名の詩人の作物を捉えなおすことから、私はその価値と意義とを愉快に確認したいと黨う……。」
ファルグのことは『アルフレッド・ジャリ』(水声社)のなかでちょっと読んだけど、詳しく知るのは私はこれがはじめて。山内義雄、淀野隆三両氏による邦訳とそのいきさつ、そしてその後の扱いをめぐりながらの論考で、今後も楽しみ。
サテイやラヴェルも、ファルグの詩に曲をつけていたそうです。ラヴェルの『(夜)蛾"Noctuelles" 』は「納屋の蛾は、ばたばたと飛び立ち、ほかの梁に止まって蝶ネクタイとなる」という一節からヒントを得たとか。

青柳いずみこ「音楽と文学── モーリス・ラヴェルとレーモン・ルーセルの場合 」


昭八郎作品はレザック66に合わない

2004-08-05 | 
『gui』72号、出ました。表紙はもちろん、高橋昭八郎です。
この作品でのシリーズは二回目。なんなんでしょう。
こどもが、春の小川に作った基地の入り口みたいな写真がいくつか並んでいて、とにかく天地がわかんなくなるような、製本屋泣かせ、つまり読者にも面倒を強いる作品であります。ところが72号についていえば、自虐的に泣いてしまったのが印刷屋さんで、しかし実作業を強いられたのはやはり製本屋さんとguiの有志でありました。
そんなわけでおもしろいから幻の同・昭八郎作品による71号と72号を並べて撮ってみたのが右です。

水色のレザック66に黒です。レザック66。んー私は嫌い。どうなんでしょう。
印刷屋さんに値切ったあげく提示される紙のひとつではありましょう。だからつまりこうした特殊紙の場合は特に、生産コストというようりは代理店や印刷会社での在庫コストという面が大きくなるわけですが、とにかく私レザック嫌いなので、guiのみなさんもしょうがなくて使っているんじゃないかと都合よく妄想してしゃべってんですけど、念のため全く根拠ないことを添えておきましょう。
しかし、昭八郎作品をレザック66に刷るのはどう考えても合わない。

「gui」vol.26 no.72 August 2004 もくじより

……よみがえれ象形文字  香川紘子
未遂  國峰照子
セレウス ペルーヴィアヌス  大園由美子
冬の化学式  賀陽亜希子
マスカラ  小野原教子
ピアノll  南川優子
霞野  宗清友宏
夕辺  萩原健次郎
六月に生まれて  関富士子
昔話 夜泣き村  山中真知子
可愛い床屋さん  石川清文
川原にいますから。  遠藤志野
STILL LIFE JIM CARROLL
あ、ハ ヒトリ  四釜裕子
UNTITLED  JOHN SOLT
人相書付けの零れ話  藤富保男
レオン=ポオル・フォルグの詩(1)  秋元幸人
ロンドン日記(9)  田口哲也
気まぐれ読書ノート(6)  岩田和彦
深川日誌 平成16年冬ー春  山口眞理子
タンゴ・口には出せず(13)  遠藤瓔子
Who`s zoo`s zoo  岡村昭和
眼リキ  濱條智里
枝豆通り  高橋肇
千駄ヶ谷  吉田仁
川遊び  森千春
有為転変ペンヘヘン(7)  奥成繁
なぞなぞ(6)  殿岡秀秋
北風と太陽  藤澤辻堂
隣の女  中津川洋
黒人女性だち ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ  飯田隆昭訳
ノストスからコスモスへ(中)  藤瀬恭子
北園克衛『郷土詩論』を読む(36)  奥成達

前号もくじ

高橋昭八郎←石田瑞穂、のはずが

2004-08-02 | 
高橋昭八郎展トークイベント「詩は詩を離れたがっている」第二部は、詩人・石田瑞穂によるインタビュー形式の対談。

まず、『ポエムアニメーション5 あ・いの国』に触れて、この作品に寄せた「開くことを拒否すると同時に閉じられることも拒否するという書物である」という昭八郎のことばと、今回の展のタイトルに用いられた「反記述」の読み解きからスタート。「ポエムアニメーションは、手で開いて目で読みながらという、読み手が言葉のはじまりに手で触れていく感覚がある。言葉の起源を言葉によって語らないという、作者の思想がそこにある」続いて「因果律を拒絶して語る詩ではないか」そのこころをパズル遊びを引用しながら「パズル遊びとは全く発想が逆。断片としての問いかけが一枚の答えとして出てくるパズルというのは、因果律そのものを物証化、あるいは作成しながら確認していく作業でしかない。高橋さんの作品は、たとえばまず平面がある、それを開いていくと閉じられなくなるというなぞの空間を生んでいる」。

石田氏の興味深い解釈がこの他にもいくつもあって、知的な詩人であることはよくわかったけど、頭いいからでしょうね、昭八郎さんのことばに「あぁよくわかります」とか「なるほど、はい」とかあいづち打って「。」、わたしら聴衆にちっとも拡げて話してくれないし、おまけにすぐ独りメモに軌道修正してるし。んー対談というか聞き出すというか、発表?これ。

後半、デザインや写真方面からの関心についてのフリがあったんだけど、これがまためっきり中年然とした話しっぷりで「知的」なのだな。幾つ? たぶんその後だったでしょう。昭八郎さんの声のトーンが一段と強く高く響いた。会場にいたひとの多くが、ついメモってしまったんじゃないか。

「叱られるかもしれませんけれども、『ビジュアル・ポエトリー』という言葉をなるべく使いたくないし、聞くのもいやだな、という感じがします。なんで『詩』でだめなのか、『詩』というひとことでいいんじゃないか。……『ビジュアル・ポエトリー』ということに、なにかこう、安住してしまっているんじゃないかと思って、自分自身を常に危機に追い込んでいるんです」

第二部の最後に、今回の展のために昭八郎さんが用意した「おこがましいんですけれども(by 昭八郎さん)」マニフェストを自ら朗読。あとでゆっくり、追いたいと思う。

続いて乱暴な第三部がはじまります、また後日。

日本現代詩歌文学館・豊泉豪の報告

2004-08-01 | 
高橋昭八郎展トークイベント「詩は詩を離れたがっている」第一部、日本現代詩歌文学館学芸員豊泉豪氏の報告より。

資料=高橋昭八郎年譜/高橋昭八郎初期詩篇(右写真はこの最終頁。『首輪詩集』1951、『首輪』1951-1956)/同館収蔵の高橋昭八郎資料図版及び点点洞刊行書一覧/高橋昭八郎&伊藤元之による同館展示インスタレーション図版

高橋昭八郎は、1933年岩手県北上市生まれ、1957年に「VOU」に参加した前後から国際的な活動をはじめて現在にいたる。最近まで北上市にお住まいだった昭八郎さんの活動を、1957年をおおよその境として前後にわけて解説した。
前半は、文芸少年として名をはせ、クラスメートと合同詩集をつくり同人誌へと発展、同郷の村上昭夫との出会いなどの逸話を交え、当時の作品をまとめていくなかで「初期の作品は、村上昭夫の『動物哀歌』に残された方向も含め、詩だけでなく、ジャズ、モダンダンス、デザイン、岩手の芸能や風土歴史、そうしたいろいろな方向への影響が未整理のまま残されていると感じた」と報告。後半は、世界的に詩人として活躍するいっぽうで、岩手日報で折りにふれて記されてきた関連記事を示しながら、編集や装幀、発行元として、岩手で多くの芸術家を支えてきた活動に触れた。「詩人としては岩手のほかの詩人たちの方向性とは大きくかけはなれているんだけれども、孤高の高い位置に身をおいてしまうのではなくて、群れるでもなく、岩手のほうからみると高橋さんは不思議な位置にいらっしゃった。故郷岩手でも、『VOU』でも、世界各地であっても、同じ地平でとらえられているからではないかと思う。」

役割を充分不可欠にして、あたたかくも静かで気持ちのよい講演をありがとうございます。第二部、三部は後日。

こんな暑い七月最終日は六本木で昭八郎

2004-07-30 | 
高橋昭八郎「反記述による詩」展のトークイベント、「詩は詩を離れたがっている」はいよいよ明日です。
■内容は、高橋昭八郎のトークのほか、石田瑞穂奥成達金澤 一志豊泉豪藤富保男ヤリタミサコ各氏が、まずはきっと恥じらいもなく昭八郎さんを絶賛し、のちそれぞれの矢印でもって攻める模様です。
■入場料は2,000円、啓祐堂ギャラリー(03-3473-3255)もしくはメールにてyarita@muj.biglobe.ne.jpまでご予約を、とのことですが、今日の明日ですのでどんどん出かけてしまいましょう。詳細はこちら
■日時をあらためますと、7月31日(土)13:30-17:00(13:00開場)、会場は、国際文化会館(東京都港区六本木5-11-16。地下鉄大江戸線 麻布十番駅から徒歩5分)。終わってから森タワー53階森美術館で「MoMA展 ニューヨーク近代美術館展 モダンってなに?」みたり東京ランダムウォーク、ストライプハウス店寄ったりなんだりでゆっくりどうぞ。

藤富先生、なに入れたの?

2004-07-30 | 
『北園克衛エッセイ集』は、『2角形の詩論』(1987 リブロポート 編集協力:鍵谷幸信、清水俊彦、藤富保男)と『北園克衛評論集』に集録されていないエッセイを藤富保男がまとめ、沖積舎から今月出た極上の一冊です。
最近ここで連日話題の高橋昭八郎が限りなく近しい域の一冊でもあり、展の初日である昨夜は、藤富、清水両氏のお顔も会場で拝見。藤富さんは清水さんは、今回のリアクション・ポエムで、何番の瓶に何を入れたのだろう。そうかこういうことがとっても気になってくるのだな。そういえばそれは最終的に全参加者に知らされるものなのだろうか。いやそれは無用かも。展の終わり頃に行ってしつこく聞けばリストとかみせてもらえるのだろうか。でもその頃には空き瓶がなくなっていてがっかりしそうだし。
同エッセイ集の装幀は山口信博。丸背布装、布貼函入。函のうえから縦方向にくるっと巻かれた紙の端正な扱いがたまらない。遠目にみるとその紙はうすっぺらで、まもなく端から破れてくるのであろうと思った。ところがね、ぴしっとね、厚い紙でね、抜けません。手貼りなんじゃないだろうか。かがりは糸綴じではないけれど、あじろでも充分開いて柔らかい。ぼさぼさしない。ぺらぺらしない。夜な夜なベットの友とせよ。だいじょうぶ、丈夫だから。美しいとはそういうことだ。

11のああ

2004-07-30 | 
7/30付の松井茂メール便『高橋昭八郎「反記述による詩」ご案内』によると、松井さんは11の「ああ」だそうです。私は読まずにつきあたり正面やや左の81。86には陶器……など。なんのこと? こういうこと

『第一語の暗箱』

2004-07-28 | 
金澤一志監修『カバンのなかの月夜』60頁、図版キャプションより

高橋昭八郎「ポエムアニメーション1,2,3 鳥・風・影」1968
……高橋昭八郎は後記形象展のエース格として、また『VOU』後は日本を代表するヴィジュアル・ポエトとして精度の高い作品を発表し続けている。ブロック・ポエムやポエムアニメーションはことばと共にある「本」という形式に挑みかかりながらことばを脱し、ことばを超える地点までを見通そうという詩装置である。北園克衛もこだわっていた、ページという「紙の矩型」の乱造と、表現主義的な文字イメージとの調和。特筆すべきは作品を撮影した写真そのをコンセプチュアルな作品として提示する姿勢だ

明日からの高橋昭八郎展にあわせて刊行される作品集『第一語の暗箱』(900部限定 3000円)も金澤氏の監修によるもの。真っ白な函をパタパタひらいて、それは白黒反転した暗箱でもある。

海外でりすぺくと

2004-07-27 | 
日本ではあまり知られていないけれど海外ではものすごいリスペクトされているんだ、とか言うのが好きなヒトは最初からさよならですけど、さよならを前置きしてでも知らせたいのがヴィジュアル・ポエト高橋昭八郎の43年ぶりの個展であります。
たとえばGoogleで「shohachiro takahashi」検索してごらんなさい、アメリカとかイギリスとかフランスとかイタリアとかブラジルとかとかとか。「高橋昭八郎」でヒットする頁を増やしてゆくのは遅ればせながら日本語ができるわたしたち。さぁまずはナマ昭八郎を体験しましょう。
右は詩誌「δ」12号(1999.11 )に昭八郎が寄せた作品「無のステンドグラスl」。「δ」誌のバックナンバーも、会場で読める、買える。

折り紙博士は昭八郎展で参戦を

2004-07-26 | 
高橋昭八郎展に先立って、おかえりのすけによる『ポエムアニメーション5 あ・いの国』体験前夜を以前おおくりしましたが、今日は4-kamaによる疑似体験感想をお伝えしましょう。

「ひとつの辺が10センチメートルの正方形とその面を2等分した3角形が、非連続的に連続するモザイク的建築物である」「16の長方形の面から112の正方形、224の3角形へと分化・反復し、また一方では、それと入りくみながら前・後に同時進行する矛盾した運動のバランスをふくんだひとつの形(矢印・翼状のもの)で結ばれる、大きな輪ともなるスリリングな詩のトポロジーである」とは、この作品によせる昭八郎のコメントの一部。

文章にしたときにあらわれる数字のリズムの魅力にくらくらしてしまうのだけれど、折り紙得意とか紙の厚みに関心が向くひとなら???と思うでしょう、紙を折ってそんな1/2で1/4で1/8ってうまくいくはずないもの。
そう思いつつ、いくつも折ってみたんです。必要にせまられてではあるけれど、ホントウはもっときれいに折れるんだと何度も。紙には厚みがあるから、折ってぴったり合うはずがないし、折りを重ねるほどにずれが拡大するも当然。でもずれかたにリズムができて、これって「非連続的に連続するモザイク的建築物」かも、的立体感がうまれてくる。と同時に、紙の豊かさに驚く。いちいちきっちり折り目をつけずに、全体をふんわり仕上げて最後までぐずぐずを保ちながらプレスをかけると、ズレが、吸収されて最小限の態をなす。なんと言ふ!

作者が最初からこれを意図したとは思えないけれど(そうでなかったらすみません)、なるほどこの作品の疑似体験は不毛に近すぎて辛く、しかし反復体験した者のみが味わう自己満足に、いかにやさしい言い訳を用意してくれる作品であることか。

とはいえ、折り紙に自信ありの紳士淑女のみなさまに、私は参戦を呼び掛けたい、高橋昭八郎作品『ポエムアニメーション5 あ・いの国』をいかにスパッと折るか大会に。開催はまだ未定ですが、そのブツを確かめに、こちらにお出かけになりませんか。右写真はその中身のひとつ。この折りかたで四つ入って一作品です。念のため言っておきますが、一度作品として折りあがっているものをひらいてまた折ったところで、この作品の真髄にはハハとうてい及びません。つまり紙とは最初の折り手とのみ、有機的反応するのですね。濡らしてアイロンかけたらほどほどリスタートするでしょうけど。

折形デザイン研究所
日本折紙協会
折紙で Double CD Case

建築とヴィジュアル・ポエトリー

2004-07-25 | 
高橋昭八郎個展「反記述による詩」(高橋昭八郎展公式サイト)、いよいよ29日(木)スタート。展示のメインとなる「リアクションポエム」は、会場に足を運んだ先着200名がつくりあげる作品。高橋昭八郎が、口径58mm×深さ129mmのガラス瓶200個に書いた「単語、または短いテキスト」に、当日観客が身の回りにある「モノ」を符号させていくものです。さぁ是非貴方も貴女も。
なお、7/31開催のトークイベント「詩は詩を離れたがっている」もお見逃しなく。会場の東京国際文化会館は、前川國男、吉村順三、坂倉準三の共同設計で1955年に竣工しましたが、その土地の一部と空中権を森ビルに売却、それにともなって建て替えが決定しているようです。くわしくはdigm|diaryなど。建築好きの男子女子もこの機会にどうぞ。建築とヴィジュアル・ポエトリーは近しいと思う。