楽しいブログ生活

日々感じた心の軌跡と手作りの品々のコレクション

義母のこと

2009-08-16 15:50:28 | 日記
今日は義母の一周忌法要であった。命日は9月26日なのだが、諸事情で少し早めにごく内輪だけで執り行った。
思えば義母に対してわたくしはどれだけ人間として成すべきことができたのだろうかと、はなはだ疑問なのだが、幸せなことに私は義母が大好きだった。
一緒に暮らしていて(いやだな)と感じたことがただの一度もなかったのである。
人の悪口を言ってる姿は見たことがないし、(ありがたいことに、私自身のそれと一致する)良識を持ち合わせ、何よりすべてにおいて自然体だった。
見栄を張らず正直で包容力もあった。
あるいは、それはそう見えただけで、実は至らぬ嫁に不足の気持ちを持っていたかも知れないが、ぐっと我慢で表に出さず、少なくとも嫁には気取られることのない稀有な忍耐力の持ち主だったということはあるかもしれないが。
しかし高潔な性格で「ずるさ」とは無縁の義母だった。
掛け値なしにわたしは義母との生活が快かったが、それは「釈迦の手のひら」で私はその恩恵を受けただけで、その還元の方法すらもわからないまま、義母は旅立ってしまった。
癌の闘病生活の中でも決して痛いとか苦しいとかは口にしなかった。
ただ、どんな家庭にもそれなりの事情というものがあって、そこら辺のことについてわたくしから触れることはできないが、苦労の多い義母だったからこそ、そうした領域に通達したのかもしれないとは思うのだ。
今は安らかに天上でお暮らしだろうか。
もしかしたら、私自身が姑になったときが、義母から受けた恩恵に報いる時なのかもしれないと思うが、一周忌にあたりあらためて「お義母さん、ありがとう」と感謝の気持ちを捧げたい。
写真は夫が四国八十八カ所を参り、各寺で朱印と、寺の名前や本尊の名前、本尊を表す梵字などを墨書してもらった掛け軸。最後に高野山へ参り実際は89個の受領がある。真ん中に五鈷杵とお数珠を持った弘法大師が描かれている。
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どっちかな?

2009-08-15 22:31:15 | 季節の花

「のかんぞう」だと思うのだけど「キスゲ」?かな。
今時分、川べりなどに鮮やかなオレンジの花を咲かせているのだが、非常に好みの花である。
花は一日でしぼんでしまうが、次から次へとつぼみが開いていって季節の間しばらく楽しませてくれる。
毎年、家の近くの用水ふちに群生するので、嬉々として花取りに出かけます。
同じオレンジ色でもなぜか「キンセンカ」あたりには愛着がわかないが、この百合に似た花のオレンジはピンクでも赤でもない、まさしくあなたのためのオレンジというくらい花姿ともぴったりマッチングしたど真ん中、必然の色なのだ。
夕日に照らされて輝くその姿に、しばし見とれてしまう「花オタク」でありました。
隣は先日の「がまの穂」だけ残して水盤に生け直した床の間の生け花とふくろう付き空き缶花器に生けた様子。
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本日のお昼はチャーハンです

2009-08-14 13:58:32 | 日記
冷ご飯もあり、冷蔵庫の残り物整理にはこれが一番。
材料
・たまねぎ
・ピーマン
・にんじん
・卵
・えび
・焼鮭のほぐし身
・たらこ
・豚のリブ煮と鶏の手羽先の照り焼きの身の部分だけを細かく刻んで焼肉のたれで味付けしてあります。
あと今朝の味噌汁(とうふとわかめ)とありあわせサラダ。
家で食べるときにはもちろんランチョンマットなど敷いたことありません。
単なる演出です。
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ふくろう作ってみました

2009-08-13 20:41:14 | 手芸いろいろ
今日も朝からお霊具を作り、カーテンの洗濯をし、台所のマットや食卓の椅子の座布団、夏のスリッパ等の買い物に走り、茨城の親戚を出迎え、忙しい一日を過ごしたのですが、「忙中閑あり」、気分転換に前から一度は作ってみたいと思っていた「ふくろう」を作ってみました。
「かわいい」などとおっさんもどきのおばさんが言っちゃならないセリフかも知れませんが、いやホント大きさがドンピシャ、ホントにかわいいです。
そしてまたぞろ例の虫が・・・。ついでに花器にも筆記用具立てにも使えるように空き缶に布をかぶせ、今回はマットも作ってみました。
マットは厚紙を適当な大きさに切ってのりで布を貼り付けただけのまるで詐欺まがいの簡単さ。
布の柄と色に助けられて自己評価はまぁイケルんじゃないかというところです。
ところで、先ほど“いとこ”が来て、「ブログで読んだけど、中国の酒の処分に困ってるのだったら引き取るよ」とのこと。おお、問題解決。
何だかたいてい他力本願というところが能天気な人間であることを証明しているみたいですが、一瞬ハッとしますね。
ブログにうそは書かないというルールは守っているけど、匿名性にあぐらをかいてる部分が多少なりともあるんじゃないかと感じて・・・。
ご用心、ご用心。
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「種」考

2009-08-12 12:45:24 | 日記
今日から盆休み。掃除に追われてますが、昼の合間にブログの更新しておきましょう。
今朝の徳島新聞の「季のうた」に【桃曰く憂きものは我が種なりと】河原琵琶男(かわはらびわお)というのが載っていて、作品解説をしている村上護氏によると
(いやなもの、自己嫌悪の対象が果肉の中に包まれて1個だけある種だという。表面は凸凹のある堅い核に保護されているが、これがくせ者なのだ。そのせいで反骨というか意固地なのか、筋が曲げられなくて苦労している。処世術の下手くそさを告白する自嘲の一句だ。)ということになるらしい。
下世話な私はまたしても恥じましたね。
奇しくも作者が「びわお」とはなんたる符号か知らないが、以前「琵琶の実の種の大きさ腹立たし」なんていう思いつき俳句を冗談半分に作ったことがあって、琵琶の木そのものも冷ややかに眺めていた時期があるのだが、作家の森内俊夫氏がびわの実のなっている様を灯火を灯したようだと表現している文章を読んで自分のデリカシーのなさを恥じた思い出がある。
おいやし(食いしん坊)の発想でびわの種の部分も全部果肉だったら、さぞや果汁たっぷりでおいしかろうものをという長屋の八つぁん的恨み節の句と前述の哲学的解釈のできる句とを同じ土俵に上げようということ事態片腹痛い話だが、しかしひょっとして桃の嘆きというのが「堅い大きな種が果肉の量を減らしてごめんなさいね、イチゴのように中身全部が果肉なら、冷やしたわたしをもっとおいしく食べてもらえるのにね」という優しい果物の気持ちでないと100%言い切れるのか?懲りない私は妄想してしまうのだ。
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