今日は義母の一周忌法要であった。命日は9月26日なのだが、諸事情で少し早めにごく内輪だけで執り行った。
思えば義母に対してわたくしはどれだけ人間として成すべきことができたのだろうかと、はなはだ疑問なのだが、幸せなことに私は義母が大好きだった。
一緒に暮らしていて(いやだな)と感じたことがただの一度もなかったのである。
人の悪口を言ってる姿は見たことがないし、(ありがたいことに、私自身のそれと一致する)良識を持ち合わせ、何よりすべてにおいて自然体だった。
見栄を張らず正直で包容力もあった。
あるいは、それはそう見えただけで、実は至らぬ嫁に不足の気持ちを持っていたかも知れないが、ぐっと我慢で表に出さず、少なくとも嫁には気取られることのない稀有な忍耐力の持ち主だったということはあるかもしれないが。
しかし高潔な性格で「ずるさ」とは無縁の義母だった。
掛け値なしにわたしは義母との生活が快かったが、それは「釈迦の手のひら」で私はその恩恵を受けただけで、その還元の方法すらもわからないまま、義母は旅立ってしまった。
癌の闘病生活の中でも決して痛いとか苦しいとかは口にしなかった。
ただ、どんな家庭にもそれなりの事情というものがあって、そこら辺のことについてわたくしから触れることはできないが、苦労の多い義母だったからこそ、そうした領域に通達したのかもしれないとは思うのだ。
今は安らかに天上でお暮らしだろうか。
もしかしたら、私自身が姑になったときが、義母から受けた恩恵に報いる時なのかもしれないと思うが、一周忌にあたりあらためて「お義母さん、ありがとう」と感謝の気持ちを捧げたい。
写真は夫が四国八十八カ所を参り、各寺で朱印と、寺の名前や本尊の名前、本尊を表す梵字などを墨書してもらった掛け軸。最後に高野山へ参り実際は89個の受領がある。真ん中に五鈷杵とお数珠を持った弘法大師が描かれている。
思えば義母に対してわたくしはどれだけ人間として成すべきことができたのだろうかと、はなはだ疑問なのだが、幸せなことに私は義母が大好きだった。
一緒に暮らしていて(いやだな)と感じたことがただの一度もなかったのである。
人の悪口を言ってる姿は見たことがないし、(ありがたいことに、私自身のそれと一致する)良識を持ち合わせ、何よりすべてにおいて自然体だった。
見栄を張らず正直で包容力もあった。
あるいは、それはそう見えただけで、実は至らぬ嫁に不足の気持ちを持っていたかも知れないが、ぐっと我慢で表に出さず、少なくとも嫁には気取られることのない稀有な忍耐力の持ち主だったということはあるかもしれないが。
しかし高潔な性格で「ずるさ」とは無縁の義母だった。
掛け値なしにわたしは義母との生活が快かったが、それは「釈迦の手のひら」で私はその恩恵を受けただけで、その還元の方法すらもわからないまま、義母は旅立ってしまった。
癌の闘病生活の中でも決して痛いとか苦しいとかは口にしなかった。
ただ、どんな家庭にもそれなりの事情というものがあって、そこら辺のことについてわたくしから触れることはできないが、苦労の多い義母だったからこそ、そうした領域に通達したのかもしれないとは思うのだ。
今は安らかに天上でお暮らしだろうか。
もしかしたら、私自身が姑になったときが、義母から受けた恩恵に報いる時なのかもしれないと思うが、一周忌にあたりあらためて「お義母さん、ありがとう」と感謝の気持ちを捧げたい。
写真は夫が四国八十八カ所を参り、各寺で朱印と、寺の名前や本尊の名前、本尊を表す梵字などを墨書してもらった掛け軸。最後に高野山へ参り実際は89個の受領がある。真ん中に五鈷杵とお数珠を持った弘法大師が描かれている。