今日から盆休み。掃除に追われてますが、昼の合間にブログの更新しておきましょう。
今朝の徳島新聞の「季のうた」に【桃曰く憂きものは我が種なりと】河原琵琶男(かわはらびわお)というのが載っていて、作品解説をしている村上護氏によると
(いやなもの、自己嫌悪の対象が果肉の中に包まれて1個だけある種だという。表面は凸凹のある堅い核に保護されているが、これがくせ者なのだ。そのせいで反骨というか意固地なのか、筋が曲げられなくて苦労している。処世術の下手くそさを告白する自嘲の一句だ。)ということになるらしい。
下世話な私はまたしても恥じましたね。
奇しくも作者が「びわお」とはなんたる符号か知らないが、以前「琵琶の実の種の大きさ腹立たし」なんていう思いつき俳句を冗談半分に作ったことがあって、琵琶の木そのものも冷ややかに眺めていた時期があるのだが、作家の森内俊夫氏がびわの実のなっている様を灯火を灯したようだと表現している文章を読んで自分のデリカシーのなさを恥じた思い出がある。
おいやし(食いしん坊)の発想でびわの種の部分も全部果肉だったら、さぞや果汁たっぷりでおいしかろうものをという長屋の八つぁん的恨み節の句と前述の哲学的解釈のできる句とを同じ土俵に上げようということ事態片腹痛い話だが、しかしひょっとして桃の嘆きというのが「堅い大きな種が果肉の量を減らしてごめんなさいね、イチゴのように中身全部が果肉なら、冷やしたわたしをもっとおいしく食べてもらえるのにね」という優しい果物の気持ちでないと100%言い切れるのか?懲りない私は妄想してしまうのだ。
今朝の徳島新聞の「季のうた」に【桃曰く憂きものは我が種なりと】河原琵琶男(かわはらびわお)というのが載っていて、作品解説をしている村上護氏によると
(いやなもの、自己嫌悪の対象が果肉の中に包まれて1個だけある種だという。表面は凸凹のある堅い核に保護されているが、これがくせ者なのだ。そのせいで反骨というか意固地なのか、筋が曲げられなくて苦労している。処世術の下手くそさを告白する自嘲の一句だ。)ということになるらしい。
下世話な私はまたしても恥じましたね。
奇しくも作者が「びわお」とはなんたる符号か知らないが、以前「琵琶の実の種の大きさ腹立たし」なんていう思いつき俳句を冗談半分に作ったことがあって、琵琶の木そのものも冷ややかに眺めていた時期があるのだが、作家の森内俊夫氏がびわの実のなっている様を灯火を灯したようだと表現している文章を読んで自分のデリカシーのなさを恥じた思い出がある。
おいやし(食いしん坊)の発想でびわの種の部分も全部果肉だったら、さぞや果汁たっぷりでおいしかろうものをという長屋の八つぁん的恨み節の句と前述の哲学的解釈のできる句とを同じ土俵に上げようということ事態片腹痛い話だが、しかしひょっとして桃の嘆きというのが「堅い大きな種が果肉の量を減らしてごめんなさいね、イチゴのように中身全部が果肉なら、冷やしたわたしをもっとおいしく食べてもらえるのにね」という優しい果物の気持ちでないと100%言い切れるのか?懲りない私は妄想してしまうのだ。
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