鳥無き里の蝙蝠☆改

独り言書いてまーす

【ゲーム考察】モンストを例にインフレと運営について考察

2017-01-18 01:22:14 | ゲームデザインについて独り言

モンスターストライク実装当初まもなくイザナミが登場したときは、この最難関ダンジョンを攻略した者が王者だった。しかし今となってはイザナミ運極やクシナダ運極の所有にほとんど価値はない。

覇者の塔の最上階にせよ、新爆絶にせよ、実装された直後からそのクリアに対する評価は下降し始める。

当時の最難関は、現在の初級か或いは良くても中級ダンジョンとなる。アップデートの施されるゲームすべてが辿る運命である。

運営はまず最初に、難関クエストが生むストレスをプレイヤーにぶちかまして、新規キャラクターの需要を高める。そして難関クエスト踏破への欲求が高まったところで、適性キャラクターを実装する。上限の引き上げばかりでは、"新規やエンジョイ勢"と"古参勢やガチ勢"の間の溝が深まるばかりである。その問題を緩和するのが、エレベーターである。最初は1段ずつ登る以外に方法がなかったのが、3階に届くエレベーターを用意することで新規やエンジョイ勢の労力を軽減するのである。上限を引き上げるごとに5階、10階、20階とエレベーターの到達フロアを増やしていく。実例は、ラック99のサンクチュアリドラゴンがノマダン報酬で入手できることや、追憶の書庫で運極作成が容易になったり、マンケンチーや進化素材の収集労力が昔に比べて格段に軽減されたことが該当する。

情報強者は知ってて当たり前なことをわざわざ文面に起こしているだけなのだが、まあ続ける。

それがどうしたかといえば、ほぼ最強と謳われたキャラクターも、1年経てばその価値は半分以下になる。つまり消費者であるプレイヤーは、価値が下落かつ売却不可能な株を押し売りされているということだ。獣神化によって価値が再上昇する可能性はあるが、適性クエストは所詮トレンドをいくつか過ぎたあとである。蓬莱の踏破がトレンドなときに過去の超絶が楽になったところでほとんど意味はない。

最前線を進み続けるプレイヤーにとって、もしガチャ限の入手に頼ってその歩みを続けようと思うのであればドブに金を捨て続ける運命が待っている。

モンストをプレイすることで得られるのは、トレンドである難関クエスト踏破による周囲からの賞賛と周囲への優越感。所有欲。厳密に言えば、モンスト自体がトレンドであればそれに乗っておくことによって周囲の人間と話題が共有できるというメリットもある。というよりほとんどの人がそれによってプレイしているように思う。

課金しようがしまいがモンストから引き出せる快楽や価値はほとんど上下しない。 Youtuberは視聴回数のために課金してガチャ動画を投稿するが、彼らはモンストが楽しいから選んでいるのではなく、モンストが流行しているからプレイしているにすぎない。人間社会における紙幣の価値の信用と同じく、モンストをプレイしているということが人気に比例してその価値の信用を高めているとも言える。

かくいう俺もモンストのそこそこなコアユーザーなのだが、別にモンストの悪口を言いたいわけではない。シンプルでわかりやすく、ゲームに疎い人間とゲーム好きな人間をある程度結びつけてくれるこのゲームには感謝しているし、他の追随を許さない洗練されたシステムの細部は全く大したものだと思う。運営方法に愚痴をこぼす人が多いように思うが、商売としてはそのどれもが考えれば至極当然なことだとはすぐにわかることなので、むしろアンチに対するアンチな俺である。


と、まあこんな感じで、モンストのダンジョンやキャラクターについて会話する知人はいるのだが、運営方法やゲームシステムそのものについて語る相手がいないので鳥なき里のごとく思う存分書き散らしてみました。

おわりっ
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