ぱっと思いつきでの執筆なう。
自家用車のオイルとバッテリー交換の際、待ち時間の間近くにいたおじさんたちがしてた会話が「ミョウガについて」だった。内容はうろ覚えだが、要約するとこうだ。「ミョウガは生えている近くの農作物をダメにしてしまう恐れがあるが、雑草対策として用いることができる」。つまりミョウガは生命力が強く、植えたところはたちまちミョウガ畑と化してしまうほどなので、雑草を生やしておくぐらいなら茗荷畑としておいたほうが遥かに有意義だということだ。
それがどうしたかといえば、我が家の敷地内にも雑草ばかりで夏には蚊の住処となる場所が多数あり、そうしておくぐらいなら自分たちも茗荷を植えてわずかといえども料理やおかずの足しにするのも一考の余地ありだと思った。
産業の中でも農業というのは、誰に取っても身近であり、手頃な部類だと思う。事業の拡大に伴い大型農耕車両だったりビニールハウスだったり作物を保管しおく倉庫だったりが必要になってくるが、それでも工業や芸能界に比べれば庶民にとっても手軽だと言える。というのも、消費財として売り込む必要が必ずしもあるわけではなく、食費を浮かせたり、知人や親戚に配ったりといった「支出を減らす」という意味で得をする方法があるからだ。
それに、必要なのは日照と水、厳密に言えばプランターだったり肥料だったりもするが、それらには特別な機械だったり技能や知識が必要になることはないからだ。せいぜい中高で学ぶ科学の知識で済む程度で、あとはインターネットで不足分を補えば済む話である。農作物を管理する環境にしても、木材で枠組みを作ったり、大きめのビニールで超簡易ビニールハウスだったり…etc、それらでさえも現代ならホームセンターでほとんどのものが揃うしハンドサイズの加工機械ならレンタルだってできるから、素人でもどうにかなるのである。
そもそも土と水と太陽に依存した産業であり、そこから富や糧を得るというのは地球に生きる生物として超々初歩的あるいは基本的な営みであるということ。それと同時に、経営の基本でもある。
種(或いは苗)を植え、それを育てて成果物を買ってもらう。どれだけ得をするかは、イコールでどれだけ効率化できるかに比例する。それはどんなビジネスにも通じる。
とまあ、わざわざかきおこすほどでもないことを書きました。僕らはいつだって不労所得の臭いに敏感です。泥と汗にまみれる畑仕事に楽なイメージはありませんが、憂鬱でやりがいのない会社勤めよりかはよほど精神に負担のない世界だということはおそらくどの時代でもほとんど変わらないでしょう。
社会の歯車として主張や信念を曲げるのか、それともおじいさんおばあさんのように腰を曲げても笑って過ごすのか。
なにがいいたいのかわからずに終わろうかと思いますが、それもそのはず、だって思いつきで書いてるんですもの。
思いつきじゃなくてもまとまって終わることなんてあったのかって?だまらっしゃい!w
おーわりっ