●『季節の 山便り』が届きました●
と言っても、一冊の本です。
山の大先輩から突然お贈りいただいた本です。
奥付に「私家版(300部限定)」とありますから、送ってくださった方の贈呈リストにあったことに、先ず感謝せねばなりません。
『季節の 山便り』の表紙。表紙の版画は著者自身が作製したものです。著者によれば、氷ノ山から扇ノ山へにかけての山稜。氷ノ山は兵庫県の最高峰。日本海側に近くそびえています。
もう十二、三年ほど前になりますか。
南アルプスで出会って、それ以来年賀状のやりとりをしているだけの方です。一度、いっしょに富士山に登るというお話があったのですが、ぼくのコンディションがすぐれず、それは実現しませんでした。
それ以来、富士山に登るチャンスがないと嘆いておられるので、責任を感じてはいるのですが、腰と股関節に痛みがあり、近くの山ならともかく、富士山に登る自信をすっかり失ってしまったぼくとしては、今はもうどうにもなりません。
著者は昭和九年(1934年)の生まれと言いますから、すでに70歳を過ぎられています。ぼくははるかに年下ですのに、すでに現役を引退した気分ですが、まだまだ山を歩かれる意欲がおありなのは、本当に頭が下がります。
本当の山好き、というのでしょう。
「焼岳」の最初のページに掲げられている版画。もちろん焼岳。梓川の田代橋付近からの展望でしょうか。上高地の大正池の対岸にぽっこりと盛り上がり、白煙を上げています。活火山です。
しかも、現在は心臓のためにペースメーカーを埋め込んでおられる。
「焼岳」の項(P40~44)では、後半にそのしんどさが書かれています。
中尾峠からは一歩一歩に気をつけていたのですが、やはりペースメーカーにコントロールされたわが心臓は苦しさを訴えました。手頃な岩に腰掛けて呼吸を整えるのですが、上へ登るにつれて脈拍が抜け落ちるようになります。そこでまた息を整える繰り返しですから、負荷がかかると、なんぼゆっくりでもあきまへん。
問題なのは負荷かがると不整脈が確実に現れるのです。これらからの我が身の処し方を考えねばならぬ時が来たようです。
もはやこれが最後の山登りか!
この思いが著者には常につきまといます。
著者はかなり以前に、『五十歳からまた始めた登山』という本を出版されています。最初は私家版(自費出版)として出されたものですが、好評なために後から商業出版されました(新風書房、1995年、1529円)。ぼくはその商業出版のほうを買ったのです。今どこにあるかさがしてみましたが見当たりません。どうやら奥にしまい込んでしまったようです。すぐに見つかればそれも写真でお見せしようと思ったのですが。。。。。
心に残る文章でした。
その文章よりさらに心にしみいる文章です。
それは、心のやわらかさを随所に感ずるからでしょうか。
たとえばそれはこんなところに現れています。気温が高く、雪解けが早い稜線について、「魅力半減です」と言いながら、すぐその後で、
「それでも宿の温泉で日頃の肩の凝りを癒やし、このところ眠っていたピッケルやアイゼンを雪山に連れ出すだけでも良しとしなげればなりません。」(P63)
と書くのです。現実を大きく包みこむやわらかさが感じられます。
八経ヶ岳のトップページに掲げられている版画。オオヤマレンゲの花が彫り込まれています。
八経ヶ岳にオオヤマレンゲという美しい花を見に行った話では、過去の登山の思い出が重なります。ぼくは残念ながらオオヤマレンゲを見たことがありません。
「会いたさ見たさに行きました。日帰りですが大峰の八経ヶ岳へ、天女の花といわれる『オオヤマレンゲ』をたずねて。」(P70)
この山行の最後には、こうあるのです。
「霧の流れるてっぺんに座って、若き日オオヤマレンゲの花を見に雨の中を、ただそれだけに訪れたことを思い出していました。」(P72)
こうして、著者の山行は、深みを持つのです。そこには、何度となく訪れた山を、心臓と相談しながら、天候と語らいながら、再訪する喜びが静かにあふれています。
「槍ヶ岳」では、著者は多分何十回と訪れた北アルプスの槍ヶ岳に、燃える思いがうずきます。まるで、風狂の思いにとらわれて、そぞろ神に誘われるように、旅への思いを募らせる芭蕉の心底を思わせます。
「北アルプスに雪と聞きますと血が騒ぎ、天気図と睨めっこが始まります。ペースメーカーを植え込んだ私には三千米の槍ヶ岳はもう無理かも知れませんが、槍沢の行けるところまで登りつめて、こらあかんな、となれば池に槍の穂先を映す天狗原(てんぐっぱら)へまわろうと思いました。二段構えの計画です。」
ここには著者の柔軟な発想があります。「こらあかんな」と感ずるところで、計画を変えることができるというところには、著者の山の経験がいかに厚いか、いかに深いかがうかがわれます。
著者の登山の苦しさは、若い人にはないものです。それはこんなところにさりげなく書かれます。高度が高くなればなるほど、寒さを感じれば感じるほど、それは単独行の不安を募らせます。
「さあ、それからが大変、まさに自分自身との静かなる戦いの始まりです。ヒマラヤを行く登山者がひと足ごとに呼吸を整えながら登高するのをテレビでご覧になった方はご存知でしょうが、全くそれなんです。三千米が近づくにつれて、一歩一歩が滞るのです。それに立ち止まる時間が長いから寒さをもろに受けますね。今まで経験したことのないものでした。」(P75)
引用はもうこのへんにしておきましょう。
わずか130ページほどの小冊子ですから、読み始めると一気です。ぼくはわずか二時間ほどで読んでしまいました。読んでから、しみじみと語り合ったという実感がありました。一方的におしゃべりしているのではないのです。それはこちらの思いを深めて、こちらの言葉を引き出します。この著者の筆の力のなすところです。
本のデータ: 書名=『季節の 山便り』
著者名=谷本蝉丸(本名であられます)
判型=A5判 130ページ
発行日=2008年9月1日
お贈りいただいたご本の中にはさまれていたお手紙。版画の中にあるのは、ツチノコです。