詩は人生の美辞麗句ではない
詩は美しいものだときみは
思ってやしないか?
詩はやさしいものだときみは
考えていないか?
人生の装飾 生活の美辞麗句だと
詩は飾りものなんかじゃない
詩は美しい心が発する醜いことば
詩はやさしい魂が投げつける憎悪
そのいびつさに世界がもだえるように
そのむごたらしさに人々がおびえるように
たくさんの悪が殺戮されるために
詩はきみをおだてるオードではない
詩はだれもほめずだれも許さない
詩はちりあくたの人生を罵倒する
その激しさに世界がふるえるように
その痛ましさに人々が悲しむように
たくさんの不幸が捨て去られるために
詩は美しいものだときみは
それでも思ってやしないか
詩はあたたかいものだときみは
心の底で考えてやしないか
詩はなぐさめ 詩は励ましだと
詩はきみを甘やかす猫なで声ではない
詩は真実を告げようとする容赦ない愛
詩は嘘っぱちのきみを暴露する
そのあまりの虚飾に世界がすくむように
その偽りに人々が悔悟の胸を打つように
たくさんの不実が焼かれ尽くすために
詩は詩の言葉をもちはしない
そこにあるのは ただ 激しい怒り
ただ 厳しい 告発
真実と愛の
再生のための 鋭い祈り
苦しい 祈り
詩は ……
詩は そして 愛する心
人を 信じる心
[POEM-『愛と尊厳と』(4)から]
きみはインターナショナルを歌ったことがあるか?
きみはいちどだって インターナショナルを歌ったことがあるか?
その歌の最後は こうだ
心高鳴らせながら こう歌うのだ
――おお インターナショナル われらがもの
英語なら
――わたしたちをひとつに結ぶもの そう歌う
労働者を酷使する人々に 政府に
怒りの声をあげた時
抗議のこぶしを上げたとき
怒りの顔は この歌で変わったんだ
絶望が丸くした力ない背中は この歌で真っ直ぐに伸びた
だれもが この歌を歌いながら
夢見るような目になった
希望に輝く瞳になった
そして みんな一歩一歩踏みしめて 前に向かったんだ
遠い遠い理想の世界へ
だれもが差別されない
だれもがスポイルされない
そんな世界を思い描いていたんだ
だけどあれから百数十年 初めてインターナショナルが歌われてから
ぼくらの越えてきたいくつのもしかばね いく人もの犠牲
流血を 怒号を 悔し涙を 累々と重ねて
いま ぼくらに希望はあるか
ぼくらに 力を与える理想はあるか
そうだ あれほどまでにかけがえのない夢を
あれほどまでに美しい同志の友情を
小ずるい打算で汚してきた者はだれだ!
醜い私欲で奪っていった者はだれだ!
ドグマの恐怖 排除の冷酷
人々の愛を 家族の愛を 奪っていった
たった一握りの おばかさんたち
ねじまがったまんま 歴史の中に捨てられていく
純粋だったもの 真実の願い
きみは知っているか あのときの夜の熱気を
希望だけが人々の心をぎゅっとつかんでいた
初めてのインターナショナル 人の心を結んだ歌
革命のはじめのはじめ そのときに渦巻いていた熱い願いを
きみは知りたいと思わないか あの夜のいのちの輝きを
理想だけが人々の胸に大きくふくらんでいた
初めてのインターナショナル 願いに満ちていて歌
革命がほんとうに貧しい人たちのために巻き上がった夜の祈り
行動する祈り 駆けていく祈り こぶしの祈り
きみはあの夜をもう一度 見たいと思わないか?
あのたたかう熱を その胸に持ちたいと思わないか?
[POEM-『愛と尊厳と』(4)から]
*「インターナショナル」=1871年にフランス社会党の要請で作られた革命歌。
その後、1943年までソ連邦の国歌だった。日本では今からおよそ80年前に労働
組合の運動歌として初めて歌われ、戦後の日本では、平和運動や反権力運動
でもよく歌われた。独特の高揚感がある。
ぼくらの闇を信じよう<改>
人はみな その心のなかに 闇をもつ。
闇は あるときは 光を生む闇。
星々の 走り出す ぼくらの 美の揺籃。
あるいはまた ゆがんだ力の 混沌。
醜いゴブリンたちが ゆっさゆっさと 顔を出す。
あるいはまた ぼくらにも 理解されない
むごたらしい想念の 臭い吐息がつくる闇。
吹きだまりのような 汚れた闇。
それはけれども パンドラの箱のようなもの。
幸福はだからいつも 最後になってやってくる。
喜びは 最後の最後に 飛び出して
すんでのところで ぼくらを救う。
すべての美醜 いっさいの善悪が
やってくる闇を ぼくらは だから
けっして 閉じてはならない。
いつか 羽ばたき出てくる 輝くもの。
金色の光の粒を ぼくらの世界に
まき散らしながら いつか
漆黒の奥から 現れてくる もの。
そのときのために
ぼくら まなこをきっと開いて
いくつもの醜いものたちに
耐えねばならない。
もだえ もだえながら。
信じよう そのときを。
この深い闇は いつか
ぼくらのあこがれの ふるさと
すべての宇宙のふるさと となって
ぼくらを聖なる領野に誘(いざな)うだろう。
かけがえのない ぼくらと
ぼくらを包むすべての いのちのための
濁らない 青い闇となって
ぼくらの 聖性を 用意するだろう。
だから きりりと結ばれたまなこで
真一文字に閉じた唇で
そのときを 見守ろう。
ああ 天なる方よ ぼくらの忍耐を照覧あれ!
ぼくらのいのちの方よ
ぼくらの希望の目をご覧あれ!
あなたは神なる天の方。
漆黒の暗夜を支配する御方(おんかた)。
輝く光明を桎梏のうちから導かれる方。
そのあなたに願おう。
ある日 力足らずに 倒れることのないよう。
輝く翼に暗夜が開ける そのときまで
ぼくらにけっして くじけない 心根を
けっして 絶望しない たくましさを!
闇に開ける希望を信じる 真っ直ぐな心を
願おう。切実に願おう!
[POEM-『愛と尊厳と』(4)から]
“怒り”の力をきみに問え
“怒り”を詩に変える装置を
“怒り”を歌に変えるメカニズムを
“怒り”を大きな力にかえるシステムを
その心に用意せよ そして
きみの“怒り”の肌を伝えよ
きみの“怒り”の本質をこの世に放てよ
“怒り”“怒り”“怒り”
“怒り”をこの世の力にせよ
きみのことばで 歌で その足で
“怒り”こそ ほんとうの愛の
愛する者の力だから
[POEM-愛と尊厳と(4)より]
なぜ内戦があるのだろう?
なぜ暴力があるのだろう?
なぜ暴力には暴力で
なぜ武力には武力で
向き合おうとするのだろう?
いったい「敵」とはなに?
いったい抑えつけ
消し去らねばならない「敵」とはなに?
もし「敵」が必要だとしてもそれは
修辞的な「敵」
形式論理的な「敵」
ひとつの理想を生み出すための
弁証法的な「敵」にしてしまおう
憎悪のない「敵」
利害得失のあったりなかったりの「敵」
独占も寡占もない世の中で
細かい細かいアトムのような「敵」「味方」
小さい粒子がそれぞれに弁証法的にぶつかりあって
ひとつの原子をつくるように
いがみ合いのない対立
憎しみ合うことのない反対
だれの意味をも奪わない多数決
だれの生存をも支えるような
ほんとうのたたかいを
願う 心から願う
このたましいの そっこから
遺言のように 願う
[POEM-愛と尊厳と(4)から]