監督、脚本、主演を代えず、続編制作が決定したのだそうです。
続編かぁ、、、
続編で一作目を超えた映画って、あったかなぁ、、、
調べてみたら
1作目より2作目の評判が高い確率:30.6%
だそうです。
確率3割を切っているんですねぇ
『フレンチコネクション』も
『エイリアン』も
『ゴッドファーザー』も
『ダビンチコード』も
一作目が素晴らしすぎていましたからね。
例外は『007シリーズ』と『寅さんシリーズ』かな。
でも『ジョーカー』の続編には期待しちゃうなぁ〰
なぜ?
それはR指定だから。
子供に見せられないところに、人間の本質的な狂気が押し込められている様な気がするのです。
自分の中にもそんな狂気が眠っていることを、気付かせてくれる創作物に出会う事を感謝したいです。
それは映画でも演劇やライブでも、絵画や彫刻でも、もちろん書でも。
そんな作品にであった時、狂気を飼い慣らす事は不可能である事を思い知らされるのです。
穏やかに過ごせる日々が、どんなに幸運な事なのかを噛みしめさせてくれます。
狂気は博物館や映画館、ライブハウスの様な箱物の中に在って、それに触れる意思がある者がそこに行けば良いのです。
電波で無差別に茶の間に送り込んだり、街中で晒す事は公序良俗に反します。
R指定は必要ですね。
時々、ガス抜きしましょう。
自分の中にある狂気のガス抜きをしましょう。
それが鑑賞目的の一つになり得ます。
また、『美』を創造することも大きなガス抜きにつながります。
『美』の持つ包容力の多様性は複雑だからです。
『ジョーカー』の中に『美』が在ったのかどうかはわかりませんが、私の美意識を刺激してくれたことは間違いないところです。
私の中にある美意識の狂気性が『ジョーカー』を食べて、変貌するエネルギーにしたのです。
ま、そんな感じです。
でも、これっていたって普通の事ですよね。
興味のある事に近寄りたいのは、私自身なのですから、それを止める必然性なんてどこにもないわけです。
自分の中にある狂気性の暴走を抑える為に薬に頼る人もいる様ですし、創造性の源を求めてそうする人もいる様ですが、それは間違っています。
なぜなら、人は孤独であっても一人ではなく、それぞれの社会の中で存在している人間である以上、多くの人が拠り所にしている社会を壊す様な行為をしてはいけないからです。
それを取り締まるのが『法』や『ルール』でしょう。
R指定も六法全書も校則も企業ルールも、基本は同じでしょう。
それぞれの社会に属する人達の多くが、それを変える必要性を感じれば議論を重ねれば良いのです。
議論すれば見えてくるものもありますからね。
なんとなくな、終わり方(笑)
ま、永遠のテーマって事なのかもしれませんねぇ〰