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TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

年明けは雪山へ【第2部】

2022-12-20 18:34:00 | 山岳会
私が、

「会長さん、冬山に連れて行ってください!」

とお願いしたものですから、直ぐに会長さんから冬山登山の計画が出されたのでした。

それも1つのみならず、2つも3つも!

人柄が良くて山好きな会長さんで、ホントに頭が下がります。

1つ目の計画は温泉県大分の「由布岳」へ霧氷鑑賞です。

2つ目は、雪の多い山陰の「三瓶山」へ雪山体験です。

そして3つ目は、何と「西穂高岳」… 

新穂高温泉からケーブルカーで上がり、状況次第では比較的安全な「独標」まで行って引き返すといった、安全第一の雪と岩の穂高です。

経験豊富な会長さんと一緒とは言え、3つ目の「西穂」は私にはハードルが高過ぎます。

冬に登る「由布岳」や「三瓶山」も決して “甘い山 だとは思ってはいませんが、標高3,000級の “日本の屋根” と同等とは思われません。

私は、1月中旬の「由布岳」と2月初めの「三瓶山」ヘ同行させてもらう事を決めたのでした。


冬山に登る予定が決ったので、それなりの装備を揃えなければなりません。

昨冬から、冬山用の登山靴を安く✖︎ルカリで手に入れるなどしていたのですが、まだまだ足りません。



冬着(ウエアー)も少しずつ揃えていました。



細かいとこまで言及して行くとキリがありません。

✖︎ルカリ等で中古品を手に入れてますが、それでも費用は嵩んできているので、揃える装備の取捨選択には慎重になってしまうのでした。












年明けは雪山へ【第1部】

2022-12-19 22:30:00 | 山岳会
 “来年の話をすると鬼が笑う” とか… 

怖い鬼も笑ってくれるのなら、喜んで私の来年の “山登りの話” をしてみたいと思います。

来年早々、雪山に登る予定です。

去年の暮れにも雪山に行こうと誘われたのですが、コロナ禍もあったり2人目の孫が正月前後に生まれることもあって、丁重にお断りしていたのでした。

その2人目の孫も正月明けに無事誕生したので、コロナの波も避けるように春の山・夏の山・秋の山へと足を運びました。

12月には忘年登山にも参加させてもらい、山岳会のメンバーと共に楽しい時間を過ごすさせてもらいました。

ただ、山岳会に入会してからも雪のある山には登っていません。

冬に根子岳南峰にバリエーションルートから迫りましたが、雪と言うより寒さで凍った斜面といった感じでした。

私の登山歴を遡ってみても、夏の日本アルプスを除くと、雪のある時期に山に登ったのは学生時代に行った冬合宿の「祖母山〜傾山縦走」と春合宿で登った屋久島の「永田岳・宮之浦」、それに就職して数年後に元日に1人で登った「由布岳」くらいです。

いずれも、ピッケルやアイゼンなどの雪山登山の装備も持たずに登りました。


山岳会に入会し、会長さんはじめ諸先輩方からは、

「冬山ではアイゼンは必需品!」
「6本爪と12本爪の2種類あれば間違いない!」

と言われ、6本爪のアイゼンは手に入れていたのです。




ただ、私が学生時代の頃にワンダーフォーゲル部の諸先輩方からは、

「ワンゲルは、アイゼンやピッケルがないと登れない山には登ってはダメ!」
「そんな山は山岳部に任せておけ!」

と、言い聞かせられていたものでした。


私は昨年、なかなか山に登る機会がなく、今年の秋頃は、その鬱憤を晴らすかのように、孫の子守りの合間に暇を見つけては山へ行ったのでした。

そして、会長さんらとくじゅう連山の坊ガツルでテント泊した際に、私は、

「会長さん、冬山に連れて行ってください!」

と、お願いしたのでした。







忘年登山【Gold Mountain(金山)】

2022-12-13 21:06:00 | 山岳会
日曜日は私が所属する山岳会の忘年登山でした。

今年最後に登る山は「金山→Gold Mountain」で、おめでたい名前の山です。

参加したのは会長さんをはじめとする13名。

その参加者の中には、入会を検討している長崎県在住の男性もいて、2時間かけて登山口近くの待ち合わせ場所にやって来たとのこと。

ところが、待ち合わせ場所に着いた時の天気は今にも雨が降り出しそうな空模様です。

みんなで集まり、登るか中止するか相談しました。

その日の天気図は西から高気圧が近づいてきているので、これ以上天気が悪化するとは思えません。

N□KやYah◯◯の雨雲レーダーも見ましたが、その時点で上空にあった雨雲は東に移動してその後は雨は降らないと教えていました。

会長さんの、

「これから天気は段々良くなるやろう!(この後、天気は次第に良くなるでしょう!)」

との一言で登山口まで移動しました。

登山靴を履き、みんなで輪になりラジオ体操が終わると一列になり登山道を登って行きます。



歩いていてとても気持ちの良い登山道です。

薄茶色の落ち葉が一面に広がる林やチョロチョロと水音が聞こえる沢沿いの道、所々で巨岩も見られました。



また、ツバキやサザンカの花も咲いていました。



何より楽しかったのは、たわいも無い話をしながら笑ったり感心しなが歩く事。

3年前の「穂高」や今年行った「剱岳&甲斐駒ヶ岳」は私一人の単独行でした。

山岳会に入会する前に登った山は全て独りボッチでした。

一人で登る気軽さもイイものですが、みんなで登る楽しさは格別です。

同じ趣味をもつ老若男女が、それぞれの味を出し合い暖かな空気感を生むのだと思います。



ハプニングはありましたが、全員ケガも無く、心配していたお天気も終盤には青空も顔を覗かせてくれました。



みなさん、楽しい時間をありがとうございました!








偶然にも旧友が前日に歩いた山道を辿る【後編】

2022-07-27 12:08:00 | 山岳会
旧友でありブログ仲間であるtenzanbokkaさんが穂高遠征を断念し、ほぼ同じルートを逆コースで辿った事を前日の夜に知りました。

ブログには再三計画を立てながらも、コロナにより実行できなかった穂高遠征を今回も断念せざるを得ない無念さが滲み出ていました。

本来なら涸沢か上高地か北穂の小屋にいるはずの日に、敢えて多良山系でも「秘境コース」と呼ばれるルートを選び、それも遠征のためにパッキングしたザックを解かずにそのまま背負って疾風の如く駆け抜け… 。

その結果の道迷いもあったようですが、冷静な判断で見事なリカバリーをみせ、下山時にはモヤモヤも晴れてスッキリした気持ちで帰路に付かれたことが綴られていました。

ブログの記事を読み、私は目が冴えてしまいました。

『明日のために早く寝なければ… 』

そう思えば思うほど寝ることができずに焦ってしまいましたが、歩いた事もないルート上の多くの写真が私にとって貴重な情報となりました。



寝不足ではありましたが、旧友のお陰で安心して「秘境ルート」を辿る事ができたのです。


オオキツネノカミソリの開花具合もルートの状況も手に取るように分かりました。



ちなみに、tenzanbokkaさんが道迷いした「864」の下りは地形図の等高線にも出てこない緩やかな尾根が何本も派生しており、上りは迷うことは無いが下りはいつの間にかルートから外れてしまうのだそうです。

今回は途中で雨に降られたりしましたが、足がツルことも無く、旧友のお陰で楽しい山行となりました。

旧友と山を歩いているような安心感がいつも私の中にあったのです。


嬉しい “オマケ” もありました。

下山後の着替え時、私の足元にミヤマクワガタが落ちていたのです。

持っていたペットボトルを2つに切り、その中に木の枝と葉っぱと一緒にミヤマクワガタを入れて家て待っている孫への土産にしましたとさ、

『めでたし、めでたし!』










偶然にも旧友が前日に歩いた山道を辿る【中編】

2022-07-26 08:27:00 | 山岳会
今回の多良岳山系山行の2週間前の事です。

私は数ヵ月ぶりの山行で両足がツッてしまい、メンバーの方々に大変な迷惑と心配をかけてしまいました。

足がツルなんて初めての事で、膝の上の筋肉が痛みを伴い固まった感覚になり、足を動かすことさえできなくなってしまったのです。



日課の散歩を長いことサボっていたり、冷房の効いた部屋で怠惰な生活を送っていたことなど日頃の体調管理ができていなかったことが最大の原因です。

登山前日の夜に冷たい飲み物を摂り過ぎていたり、充分な睡眠をとれていなかったことも関係していると思います。

私が所属している山岳会ではこれまで夏の遠征前に、日頃行っている山行より負荷の大きな訓練の為の縦走を実施してきており、今年は10kgの荷物を背負って8時間の行程を歩く “歩荷縦走” だったのです。

私が学生の頃、夏合宿前は30kgの砂を担ぎ上げていました。

3年前に行った「涸沢・上高地キャンプ」でも3日間20kg 近いザックを担いで歩いていましたので、

『10kgなんて軽いもんだ!』

と、あまり気にもかけていなかったのです。

ちなみに「涸沢・上高地キャンプ」に対する意気込みは凄まじく、毎日3時間(15km)以上も歩いていたものです。

ところが、山岳会の “歩荷縦走” 前の私の生活は “アマアマのユルユル” でした。

孫の子守りにかまけ、冷房の効いた家の中で涼しく過ごし、



4時頃から孫を風呂に入れ、5時には発泡酒の缶のフタを「プシュッ」と開けてしまうといった堕落したものだったのです。



その結果、 “歩荷縦走” の最初の急登で両足がツッてしまい、私より年配のメンバーの方に私の荷物を分担して持ってもらうという何とも恥ずかしい事になってしまいました。

『こんな “醜態” を2度も続ける訳にはイカン!』

反省多き “歩荷縦走” の2日後、足の回復を待って、私は散歩を再開したのでした。