TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

みなさん、よいお年を!

2021-12-31 13:40:00 | 日記
今日は12月31日、丑年も最後の日になりました。

書きかけの『2段ベッド』のブログも完結していませんが、年の瀬らしく今年最後のご挨拶で締めくくらせてもらいます。


私の拙いブログを見に来て頂いたみなさん、本当にありがとうございました。

また、みなさんのブログを訪問させて頂くことで私が気付かなかった事に気付かされたり、感動したり、心落ち着けることができたりと、とても良い刺激となりました。

さらには、共感のコメントや励ましのコメント、今まで知らなかったことを教えてくださるコメントもいただきました。

私自身は何度かの長い中断もありましたが、一度も会ったこともないブログの向こうにいる方や旧友に支えてもらいながら何とか続けることができました。

今年1年間はみなさん方に助けられた1年でした。ありがとうございました🙇‍♂️

どうぞ来年も宜しくお願いします。

皆様方にとって新しい年が良い年でありますように。

      (初孫が作ってくれた寅の置き物)




2段ベッドは二つで一つ … その2

2021-12-30 16:25:00 | リメイク
さて、2段ベッドの片割れが何に作り変えられたかの答え合わせをする前に… 。

我が家に2段ベッドがやってくるまでの話をします。


私と連れ合いが一緒の人生を歩み出し、倖いにも3人の子どもを授かりました。

2番目の子が産まれた頃に、借家から今住んでいるこの家に移り、私の両親と暮らし始めました。

私も連れ合いも仕事をしていましたので、我が子は3人とも私の両親に育ててもらったようなものです。

我が子が小さい頃、両親の部屋に毎日布団を敷いて寝るほどの “おじいちゃん・おばあちゃん子” でした。

それも上の子から順番に一人ずつお世話になっていました。

下の子がある年齢に達すると、直ぐ上の子はおじいちゃん・おばあちゃんの部屋を明け渡すのです。

子どもが大きくなってから聞いた話ですが、朝、目が覚めるとおじいちゃんから『目覚まし』と称して毎日アメやチョコレートを貰っていたとのこと… 。

その事は私たちには秘密で、それがまた子どもたちにとっては楽しく、おじいちゃんとおばあちゃんの部屋で寝起きする理由でもあったようです。


上の子ども2人が小学校に通うようになった頃に2段ベッドを購入しました。

我が家の2段ベッドは、大袈裟に言えば “我が子の成長の歴史” を語る生き証人みたいなものだったのです。

ところが、我が子が成長し家を出ていくと、2段ベッドはたちまち無用の長物になってしまいました。

解体され、2階の屋根裏部屋に仕舞われた2段ベッドは、我が子が子どもを授かったことをきっかけに、再度、活かされる道が開かれたのでした。





2段ベットは二つで一つ … その1

2021-12-28 20:27:00 | リメイク
長い間ブログから離れていました。

山岳会の会長さんが、半ば強制的に私を山に連れて行かなかったら今の自分みたいには戻れなかったでしょう。


随分前に2段ベッドの片方を座面深めのソファーに作り替えた話をブログにupしました。

2段ベッドは二つで1セットです。

では、2段ベッドの片割れはどうなっているのでしょうか?

実は、2段ベッドの片割れはすでに違うモノに姿を変えていたのでした。

それも、ソファーが完成する3年前に… 。

ソファーの前にコチラの方をブログに載せるべきだったのでしょうが、余り出来も良くなかったので(まだブログも始めていなかったのもありますが… )私の中で封印していました。

私も少しパワーも戻ってきましたので、出来の良くない2段の片割れをブログデビューすることにしたのでした。

さて、何に変身したのでしょうか… 。






友の帰国が叶いました!

2021-12-27 18:22:00 | 夢実現に向けて
今まで、友と私はメールとブログでしか連絡をとることができませんでした。

これまでは、それで事足りていたのですが、数々の壁が立ちはだかる友の『帰国』という難関に対峙するには不十分でした。

出国前と入国後のPCR検査の結果、予約している航空機への搭乗、経由する空港での無事の発着、日本の空港への到着、予約しているホテル(順調に行けばここで14日間の隔離生活をおくる)へのチェックイン・チェックアウトetc… 。

そこで、友のアドバイスを受けて無料通話とチャットなどが可能な「▽カイプ」を使うことにしました。

私は通信機器の扱いに詳しくないのですが、たまたま居合わせた娘の助けを借りてソフトのインストールや登録をすることができたのです。

このソフトを入れたことで、オンタイムでの友とのやり取りができるようになったのでした。


友が搭乗予定の便はベトナムを12月25日の深夜に飛び立つ予定になっていました。

『出国前のPCR検査は無事クリアできただろうか… 』

『経由する空港にもうすぐ着陸する時刻だけどちゃんと搭乗できただろうか… 』

『天候が良くないけど予定通り日本の空港に着陸できただろうか… 』


その都度、友から私のスマホに連絡が入ってきました。

私はそれを学生時代の山登りの仲間にメールやLINEで伝えました。


現在、友は自主隔離先のホテルの狭い部屋で、無事、日本に帰国できた喜びと安堵感を噛みしめています。

私も、友を囲んで昔からの山仲間との “ゆるゆるの宝満山登山計画” を年明けに実現させることを励みに過ごしています。


来年の話をすると、鬼に笑われるカモ… 。




友の帰国に想いを馳せて

2021-12-25 21:44:00 | エール
母との突然の別れから100日が過ぎました。

いつかこんな日が来ると思ってはいたものの、その後ボディーブローみたいにこんなジワリジワリと効いてくるなんて思ってもみませんでした。

60歳もとうに過ぎた私ですが『情け無い… 』と思いながらも、何とか母の百ヶ日を済ませる事ができました。


ここしばらくブログも開く気にならず過ごしていたのですが、あの山岳会の会長さんのお誘いで半ば強制的に山に行くことになりました。

クリスマスを間近に控えた日曜日、会長さんと私も含め5人で阿蘇の東にある根子岳の南峰に登ったのでした。

この山行で、私の中に久しく澱んでいた重苦しい気持ちが少し軽くなったのだと思います。
ブログを開く力が湧いてきたのです。

私がブログから離れていた間に、ブログの中の “世界” は随分と状況が変わっていたのでした… 

ベトナムで、不安の中に一人で頑張っていた友が、待ちに待ったビザの更新も叶いベトナムを出国できる見通しがついたとの事。

私の気持ちが自分の内側にしか向いていなかった間に、友は最良の道を求め前向きに動いていたのでした。

友は、ビザの更新を見据え出国前のPCR検査の手配や航空便の手配、帰国後の自主隔離先のホテルや移動の為のハイヤーの予約まで準備を進めていました。

逆境の中にあっても希望を捨てず、ただ光に向かって前向きに準備を進めていた友を私は尊敬します。

友は今夜、クリスマスの深夜にベトナムを立つ予定です。

帰国する航空機に無事搭乗でき、移動中も感染することなく、空港でのPCR検査と到着後のホテルでの14日間の自主隔離が何事もなく順調に進むことを願うばかりです。

家族との水入らずの時を過ごしたら、昔の仲間たちと2年振りにまた山に登りましょう!