TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

偶然にも旧友が前日に歩いた山道を辿る【後編】

2022-07-27 12:08:00 | 山岳会
旧友でありブログ仲間であるtenzanbokkaさんが穂高遠征を断念し、ほぼ同じルートを逆コースで辿った事を前日の夜に知りました。

ブログには再三計画を立てながらも、コロナにより実行できなかった穂高遠征を今回も断念せざるを得ない無念さが滲み出ていました。

本来なら涸沢か上高地か北穂の小屋にいるはずの日に、敢えて多良山系でも「秘境コース」と呼ばれるルートを選び、それも遠征のためにパッキングしたザックを解かずにそのまま背負って疾風の如く駆け抜け… 。

その結果の道迷いもあったようですが、冷静な判断で見事なリカバリーをみせ、下山時にはモヤモヤも晴れてスッキリした気持ちで帰路に付かれたことが綴られていました。

ブログの記事を読み、私は目が冴えてしまいました。

『明日のために早く寝なければ… 』

そう思えば思うほど寝ることができずに焦ってしまいましたが、歩いた事もないルート上の多くの写真が私にとって貴重な情報となりました。



寝不足ではありましたが、旧友のお陰で安心して「秘境ルート」を辿る事ができたのです。


オオキツネノカミソリの開花具合もルートの状況も手に取るように分かりました。



ちなみに、tenzanbokkaさんが道迷いした「864」の下りは地形図の等高線にも出てこない緩やかな尾根が何本も派生しており、上りは迷うことは無いが下りはいつの間にかルートから外れてしまうのだそうです。

今回は途中で雨に降られたりしましたが、足がツルことも無く、旧友のお陰で楽しい山行となりました。

旧友と山を歩いているような安心感がいつも私の中にあったのです。


嬉しい “オマケ” もありました。

下山後の着替え時、私の足元にミヤマクワガタが落ちていたのです。

持っていたペットボトルを2つに切り、その中に木の枝と葉っぱと一緒にミヤマクワガタを入れて家て待っている孫への土産にしましたとさ、

『めでたし、めでたし!』










偶然にも旧友が前日に歩いた山道を辿る【中編】

2022-07-26 08:27:00 | 山岳会
今回の多良岳山系山行の2週間前の事です。

私は数ヵ月ぶりの山行で両足がツッてしまい、メンバーの方々に大変な迷惑と心配をかけてしまいました。

足がツルなんて初めての事で、膝の上の筋肉が痛みを伴い固まった感覚になり、足を動かすことさえできなくなってしまったのです。



日課の散歩を長いことサボっていたり、冷房の効いた部屋で怠惰な生活を送っていたことなど日頃の体調管理ができていなかったことが最大の原因です。

登山前日の夜に冷たい飲み物を摂り過ぎていたり、充分な睡眠をとれていなかったことも関係していると思います。

私が所属している山岳会ではこれまで夏の遠征前に、日頃行っている山行より負荷の大きな訓練の為の縦走を実施してきており、今年は10kgの荷物を背負って8時間の行程を歩く “歩荷縦走” だったのです。

私が学生の頃、夏合宿前は30kgの砂を担ぎ上げていました。

3年前に行った「涸沢・上高地キャンプ」でも3日間20kg 近いザックを担いで歩いていましたので、

『10kgなんて軽いもんだ!』

と、あまり気にもかけていなかったのです。

ちなみに「涸沢・上高地キャンプ」に対する意気込みは凄まじく、毎日3時間(15km)以上も歩いていたものです。

ところが、山岳会の “歩荷縦走” 前の私の生活は “アマアマのユルユル” でした。

孫の子守りにかまけ、冷房の効いた家の中で涼しく過ごし、



4時頃から孫を風呂に入れ、5時には発泡酒の缶のフタを「プシュッ」と開けてしまうといった堕落したものだったのです。



その結果、 “歩荷縦走” の最初の急登で両足がツッてしまい、私より年配のメンバーの方に私の荷物を分担して持ってもらうという何とも恥ずかしい事になってしまいました。

『こんな “醜態” を2度も続ける訳にはイカン!』

反省多き “歩荷縦走” の2日後、足の回復を待って、私は散歩を再開したのでした。









偶然にも旧友が前日に歩いた山道を辿る【前編】

2022-07-25 08:46:00 | 山岳会
今日は山岳会の月例山行で多良岳山系の登山コースの一つを辿りました。

この時期は「オオキツネノカミソリ」の花が綺麗な時期です。



我が家を建ててくれた工務店の会長さんのリードで “秘境コース” を行くことが決まっていました。

登山前日の夜に、ブログ仲間であり旧友のtenzanbokkaさんのブログを覗いてみると、ナント、私たちが辿るほぼ逆コースを歩いているではありませんか!

実は、tenzanbokkaさんは再三延期してきた『穂高』遠征を7月24日に決行する予定でした。

ところが、コロナの第7波が日本に押し寄せ、再再再延期することを決めたばかりでした。

その無念さを晴らすかの様に、tenzanbokkaさんは準備していたパック済みのザックをそのまま背負い、通い慣れた多良岳山系へ “渇き を癒す山行を行なっていたのでした。

その山行では予期せぬハプニングもあったようですが、tenzanbokkaさんは多良岳山系の自然に抱かれる中で “渇き も解消されたようでした。

旧友のtenzanbokkaさんが前日に歩いた道を、翌日に私が辿るなんて偶然かつ驚きでした。


しかし、コレと似た出来事が7年前にもあったのです。


2015年8月、私は長女と2人で信州を巡る旅をしました。



その旅の中で36年振りに上高地を訪れたのです。

私は1979年の秋、tenzanbokkaさんともう一人T氏の3人で上高地を出発し、穂高・槍縦走を行なったのでした。



その経験は私たち3人の青春の1ページに刻まれており、縦走達成の充実感と共に若さ故のほろ苦い記憶となって残るほど貴重なものでした。

36年振りに上高地から穂高を見上げ、

『もう一度穂高に登りたい!』

と私は思ったのです。


実はその時、tenzanbokkaさんも36年振りに上高地を訪れていたというのです。

前日から奥様と一緒に上高地に滞在されており、翌日の午前中、私たちとはすれ違うようにして松本へ降りられたということを後で知ったのです


今回のtenzanbokkaさんのブログ記事を読み、36年振りに訪れた上高地での すれ違い” を思い出していたのでした。











胡蝶蘭、咲いてますョ!

2022-07-23 15:00:00 | 母の想い出
昨年の秋、母が亡くなりました。

96歳でしたので大往時だったと思っています。

認知症になった母を施設に入所させており、コロナ禍の中では面会もままならなかったのが無念でした。

その面会禁止の期間に、私は会長さんらと共に2日続けての沢登りを楽しみました。

今でも、母が私を沢へ行かせてくれたと思っています。


認知症になる前、母は嫁いで行った娘たちの出産時には病院やそれぞれの家に赴き、産後の看病や孫たちの子守りをこなしました。

今や成人を過ぎ新しい家庭をもつ者も多い孫たちにとって、認知症になってしまった母でも大切な存在であったのだろうと思っています。

母の告別式に、孫一同でお金を出し合い胡蝶蘭をお供えしてくれました。

その胡蝶蘭は七七日(49日)の時も綺麗な花を咲かせていました。



その後、花は萎れてしまいましたが、今年の春に花芽を着けたのです。



花芽は次第に膨らんで6月には花が開き始め、今はもう盛りを過ぎた感じはありますがそれでも健気に咲き続けています。




いま、新たなコロナの波が押し寄せて来ています。

母の初盆もコロナの渦中で密やかに迎えますが、花を着けた胡蝶蘭があれは明るい気持ちで居られそうです。
















葡萄の木陰で…

2022-07-22 14:48:00 | 
葡萄の苗木を植えて2度目の夏です。

小指ほどの太さしかなかった幹が、今や乳児の腕ほどにまで太くなりました。


「Y」字型に分かれた枝の先にも孫枝が伸びて、葡萄棚全体に葉を茂らせています。



この葡萄の木は “シャインマスカット” なのですが、まだ1粒も実っていません。



でも、枝葉が広がったお陰で気持ちの良い木陰になっています。

去年はこんな感じでしたが、



今年はこんな感じです。



今日は、今年2回目のプールを出しての水遊びです。