goo blog サービス終了のお知らせ 

SOS.TV.JAPAN

ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 41

2013年12月11日 | 日記

     

  福音の力を体験せよ 41

どれほど多くの牧師の子供たちが、家庭で勝利できていない親につまずいて、家出をしていることでしょう!そして教会を離れ、信仰を捨ててしまっていることでしょう!一般教会員の子供たちは、少なくとも、教会でりっぱにふるまっている牧師を見て、成長することができます。けれども、牧師の子供たちは誰を模範にしますか?なぜ、あれほど大勢の牧師の子供たちが、教会から出て行ってしまうのでしょうか?それは、かれらの模範が正しくないためです。

姪が言いました。「私は、友だちを見てきましたが、友だちも勝利の経験がありません。先生たちを見てきましたが、勝利の経験などないことを学びました。こうして出した結論は、すべて忘れよう、こんな生き方をするくらいなら、むしろ世に出て行って罪悪の中で好きなように生きれば良い、というものでした。罪の中で過ごすほうが、ずっと気分は良かったです。これ以上は、良心の呵責を覚えなかったから。」

姪は続けて、「でもおばさん、福音の中に本当にそんな力があるなら、これで私にも望みが持てます」と言いました。

私は、「あなたがイエス様に実際に従いたいと思うなら、この罪を捨て、あの罪を捨て、この罪を直し、あの罪を直すといったやり方では、決して始めないでちょうだい。まず、イエス様の前にひざまずくことから始めてね」と助言しました。

姪は、そのようにしようと決心しました。それから家に帰ってみ言葉を学び、イエス様との密接な時間を過ごしたようです。そして二か月後、電話がかかってきました。

   新生への道 12 疑いをどうするか ⑨

 一見、聖書には、難しく、不明瞭なことが多いのですが、神は、それを理解しようと求める人々には、わかりやすく単純にしてくださいます。けれども、聖霊の導きがなければ、聖書の意味を曲解したり、誤解したりする危険があります。聖書を読んでも何の利益も受けず、かえってそれによって大きな害を受けている人々もいます。敬虔な心と祈りなしに神のみ言葉を開いたり、思いと愛情が神に向いていなかったり、または、神のみ心に調和しないでいると、心は疑惑の雲でおおわれ、聖書研究をしていながら、懐疑心が強められるのです。敵が思想を支配して、正しくない解釈を暗示します。人が言葉にも行いにも神と一致しようと求めていなければ、いくら教育がある人であっても、聖書の解釈を誤りやすくなりますから、彼らの解釈をあてにしては危険です。矛盾を見いだそうと思って聖書を探る人は、霊の目がまだ開かれていない人です。偏見をもって見てしまうため、ほんとうはわかりやすく単純な事柄でも、何かと理屈を言って疑い信じようとしないのです


福音の力を体験せよ 40

2013年12月10日 | 日記

   

  福音の力を体験せよ 40

皆さん、どんな事が起こったと思いますか?一週間後、彼女が我が家に現れたのです。家に入ってくる姪を見ながら、心の中で思わず、「主よ、これは一体どういうことでしょう?」と叫びました。

19歳になった姪は、故意に罪の世界で過ごしていました。イエス様を求めていませんでした。そのような魂に、私たちはどうやって近づくことができるでしょうか?私は切に祈りました。私たちが会話を交わしていると、玄関の戸をたたく音がしました。開けて見ると、すぐ隣に住んでいる牧師夫人でした。

「マーガレット、あなたたち夫婦が最近、聖書から特別な真理を発見したと聞いたんだけど、それを私にも教えてもらえないかしら?」

私はその婦人を家に入れ、この福音について話をしました。私が彼女に福音を説明している間、姪がすぐそばにすわって、その話を聞いていたのです。婦人が帰った後、姪がこう切り出しました。

「おばさん、もし福音にそのような力があるとすれば、私にも望みがあるかしら?」

「どうしてそのように思ったの?」

「おばさん、私がどんなに頑固かは、おばさんが良く知っているでしょう?私は、クリスチャンである自分の親が、実生活において勝利できない姿を、ずっと見てきました。」

彼女の父親は、教会学校の先生でした。皆さん、職場では、勝利した生活を送っているかのように見せることができます。しかし、家庭で自分の家族と一緒に過ごすとき、勝利した生活を送ることができるでしょうか?

  ⑧

神は、人間が理性の力を働かせるように望まれます。聖書の研究は、他のどんな研究にもまさって知力を強め高尚にします。しかし、理性を絶対化しないように気をつけなければなりません。これは弱い人間にありがちなことです。聖書が難しくて理解できないとか、ごく明白な真理でさえも理解できないなどということがないようにするには、どうしても、幼な子のような単純な信仰を持ち、教えられる気持ちで聖霊の助けを求めなければなりません。神の力と知恵、神の偉大さなどはとうてい私たちには理解できないことを知れば、それは私たちを謙遜にし、ただ聖書を開くときであっても、神の前に出るかのような、うやうやしい気持ちにさせるのです。聖書を学ぶにあたっては、そこに私たちの理性以上の権威を認め、心も知性も「わたしはある」と言われた偉大な神のみ前にひざまずかなければなりません。

   


福音の力を体験せよ 40

2013年12月10日 | 日記

   

  福音の力を体験せよ 40

皆さん、どんな事が起こったと思いますか?一週間後、彼女が我が家に現れたのです。家に入ってくる姪を見ながら、心の中で思わず、「主よ、これは一体どういうことでしょう?」と叫びました。

19歳になった姪は、故意に罪の世界で過ごしていました。イエス様を求めていませんでした。そのような魂に、私たちはどうやって近づくことができるでしょうか?私は切に祈りました。私たちが会話を交わしていると、玄関の戸をたたく音がしました。開けて見ると、すぐ隣に住んでいる牧師夫人でした。

「マーガレット、あなたたち夫婦が最近、聖書から特別な真理を発見したと聞いたんだけど、それを私にも教えてもらえないかしら?」

私はその婦人を家に入れ、この福音について話をしました。私が彼女に福音を説明している間、姪がすぐそばにすわって、その話を聞いていたのです。婦人が帰った後、姪がこう切り出しました。

「おばさん、もし福音にそのような力があるとすれば、私にも望みがあるかしら?」

「どうしてそのように思ったの?」

「おばさん、私がどんなに頑固かは、おばさんが良く知っているでしょう?私は、クリスチャンである自分の親が、実生活において勝利できない姿を、ずっと見てきました。」

彼女の父親は、教会学校の先生でした。皆さん、職場では、勝利した生活を送っているかのように見せることができます。しかし、家庭で自分の家族と一緒に過ごすとき、勝利した生活を送ることができるでしょうか?

  ⑧

神は、人間が理性の力を働かせるように望まれます。聖書の研究は、他のどんな研究にもまさって知力を強め高尚にします。しかし、理性を絶対化しないように気をつけなければなりません。これは弱い人間にありがちなことです。聖書が難しくて理解できないとか、ごく明白な真理でさえも理解できないなどということがないようにするには、どうしても、幼な子のような単純な信仰を持ち、教えられる気持ちで聖霊の助けを求めなければなりません。神の力と知恵、神の偉大さなどはとうてい私たちには理解できないことを知れば、それは私たちを謙遜にし、ただ聖書を開くときであっても、神の前に出るかのような、うやうやしい気持ちにさせるのです。聖書を学ぶにあたっては、そこに私たちの理性以上の権威を認め、心も知性も「わたしはある」と言われた偉大な神のみ前にひざまずかなければなりません。

   


福音の力を体験せよ 39

2013年12月09日 | 日記

   

   福音の力を体験せよ 39

インドから帰国した年のことでした。父が私に助けを求めて叫んだとき、私自身も滅亡の状態にいることに気付きました。牧師である主人も、自分が滅亡の状態に置かれていることを悟り始めました。自分たちの真の状態を悟った私たちは、「ああ主よ、私たちの家族が、みもとに帰れるように道を開いてください」と祈りました。私はこれ以上、自身の計画通りに生きるのを願いませんでした。

私は、「神様、あなたが私に発見させてくださった、この福音でもって、家族を導くことができますように」と祈りました。「主よ、家族のだれかが私を呼び求めるように導いてください。飛行機の切符が買えるように、道を開いてください」と。私は研究を続けながら、準備していました。数か月後、妹の一人から、とつぜん電話がかかってきました。

「マーガレット姉さん、お願いだから助けて!」

「一体どういうこと?」

「娘が家出をしたの。その子が麻薬中毒になり、今はある男と同棲しているの。どうすればいいかしら、姉さん?」

私は答えました。

「私と主人は、わずか数か月前にキリストを見出したのよ!」

生まれて初めて、罪人をどうやって助けてあげるべきかが分かってきました。

「じゃあ、その子をうちに連れてきてもらえるかしら?」

「実は今、その子がどこにいるのか分からないの。」

「それなら、私たちが祈るから、あまり心配しないでね。」

私たちは祈りました。

「神様!もし、私たちがあの子を助けることが、あなたのご計画であるなら、彼女を私たちのところに連れてきてください!」

   

  新生への道 12  疑いをどうするか ⑦

もし、造られたものが、神とそのみわざをことごとく理解することができて、そこまで到達したとするなら、それ以上の真理の発見もなければ、知識の成長もなく、頭脳や心の発達も止まってしまいます。そうすると、神はもはや至高者ではなくなり、知識と学識に到達した人類には、これ以上の進歩の余地はなくなるでしょう。しかし、そうでないことを神に感謝しなければなりません。神は無限のお方です。「知恵と知識との宝が、いっさい隠されている」(コロサイ2:3)とあります。そして、人は永遠に求め学び続けても、神の知恵、神の慈悲、神の力の財宝は決して尽きることはないのです。

 神は、この世でさえ、そのみ言葉の真理をいつもその民にあらわしたいと望んでおられますが、この知識を得る道はただ一つしかありません。み言葉は聖霊によって与えられたのですから、その聖霊の光に照らされてはじめて、み言葉を理解することができます。「神の思いも、神のみたま以外には知るものはない」。「みたまはすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるものだからである」(Ⅰコリント2:11,10)。また、救い主は弟子たちに「真理のみたまが来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう・・・わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである」(ヨハネ16:13,14)と約束されました。


福音の力を体験せよ 38

2013年12月08日 | 日記

     

  福音の力を体験せよ 38  

みことばを研究しなさいと、聖霊に促されたとき、私は、「それでは、何を勉強すればよいのでしょう?ああ神様、あなたのためにやるべき事が山ほどあります。また子供たちのためにも、忙しく働かねばなりません。夜にもやる事が沢山あるのに・・・」という具合に、はじめは言い訳ばかりしていました。

私は子供たちを教えていながら、子供たちの魂をキリストのみもとに導いていませんでした。しかし、自分ではそうしていると思っていました。子供たちには、自分が教わったように、神様に服従しなさいとガミガミ言っているだけでした。

そういう私自身は、自らの魂を神にお捧げして、それから服従できる能力を主から受けるべきであることを、悟っていませんでした。こうして、子供たちをますます律法主義者に仕立て上げていたのでした。私は子供たちに、律法に服従することだけを教えて、信仰によって従うことは教えていませんでした。

皆さんが、子供たちをただ良い子になるように教育しながら、自らの魂を神様にささげる方法を教えることができなければ、皆さんの子供たちが、み国へ入るように準備され整えられて行くことは決してありません。

皆さん、クリスチャンの生涯には、ただ善良に生きること以上のものが求められています。未信者の中にも、善良な人は大勢います。禁酒禁煙を実践し、悪事をやめることなら、彼らにもできます。しかし、クリスチャンとは、天からの聖霊を受けることを意味します。

    新生への道 12 疑いをどうするか 6  

 聖書の真理を研究するにあたって、ある種の誇りが起こり、聖書のすべての点を自分の満足できるまで説明できないと、短気を起こし失望する人がいます。彼らは、霊感によるみ言葉を理解することができないと自分で認めることは、あまりにも屈辱であると考えます。そして、神が適当なときにその真理を示されるまで、忍耐して待とうとしません。また、何の援助もなく、人間の知恵だけで十分聖書を理解することができると考え、それができないとなると実際に聖書の権威を否定してしまいます。もっとも、一般に聖書の教理として信じられているものの中には、聖書にそのような根拠を全く持たないばかりか、かえって神の示された主旨と正反対のものも少なくありません。こうしたことが、多くの人たちに疑いを起こさせ困らせているのです。しかし、これは神のみ言葉のせいではなく、み言葉を曲解した人間のせいなのです。