サザンカの咲く道
福音の力を体験せよ 33
皆さん、私たちは、次に何をすべきでしょうか?仮に、12節にあるこの言葉だけ知っていて、これだけを行なえば、私たちは律法主義者になります。私たちは長い間、「恐れおののいて自分救の達成に努めなさい」という、その働きだけをやってきました。あれこれ、悪い習慣を直そうと頑張ってきました。
しかし私たちは、神様とどのように協力すべきかについては知りませんでした。13節に、こう書かれています。「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである」と。
新生への道12 疑いをどうするか ①
多くの人、ことにまだ信仰に入って日の浅い人々は、心に疑惑をいだいて悩むことがあります。聖書の中には説明のできないこと、また理解に苦しむことが多くありますから、悪魔はそれらを用いて、聖書が神の啓示であるとの信仰を揺り動かそうとします。彼らは「どうすれば私は正しい道を知ることができるでしょうか。もし聖書が本当に神のみ言葉であるとすれば、私は、どうすればこのような疑いと困難から解放されることができるでしょう」と尋ねます。
神は、私たちに、信仰の土台をしっかりと築くことができる証拠を十分に与えた上でなければ、信じるようには求められません。神の存在も、品性も、また、み言葉の真実性もみな、私たちの理性に訴えるあかしによって確立されており、しかもそのあかしは数限りなくあります。けれども、神は、疑う余地を全く取り除かれたのではありません。私たちの信仰は、外面的なものの上にではなく、証拠の上に築くのでなければなりません。疑おうと思う者には疑うことができますが、本当に真理を知りたいと求めている人は、信仰の基礎となる十分な証拠を発見することができます。