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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ46

2013年12月16日 | 日記

   

  福音の力を体験せよ 46

皆さんの子供たちは、神様が彼らを愛しておられることを知っていますか?皆さんの子供たちは、両親から完全に受け入れられていることを実感しながら生きていますか?私の息子は、「お父さんとお母さんは、僕に信心を教えてくれた、この世で唯一の人たちです」と言ってくれました。もし私たちがキリストを見出していなかったら、また自分たちの過ちを子供たちに告白し、ゆるしを請うていなかったら、どうなっていたでしょうか?私自身も間違っていました。息子が勉強につまずいてばかりいたとき、私は、忍耐強く彼に接することができませんでした。彼の問題が何であるか、私も知らなかったからでした。私は彼に対して、怒ってばかりいました。神の愛のうちに生きていなかったのです。

けれども神様は、子供たちにどれほどの愛を下さったことでしょう。ああ、この恵みを心から感謝するものです。今では三人とも、良い信仰生活を送っています。

  新生への道 13  主にある喜び ① 

 神の子らはキリストの代表者として召されたのですから、主の恵みとあわれみを示さなければなりません。イエスが天の父の真の品性を私たちにあらわされたように、私たちも、キリストの優しいあわれみ深い愛を知らない世の人に、それを示さなければなりません。イエスは「あなたが私を世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました」「わたしが彼らにおり、あなたがわたしにいますのは・・・あなたがわたしをつかわし・・・になったことを、世が知るためであります」(ヨハネ17:18、23)と言われました。使徒パウロは、イエスの弟子たちに向かって「あなたがたは自分自身が・・・キリストの手紙で」あり「すべての人に知られ、かつ読まれている」(Ⅱコリント3:2、3)と言いました。イエスは、神の子らの一人ひとりを手紙としてこの世に送られました。もしあなたがキリストに従う者であるなら、キリストはあなたを手紙として、あなたの住んでいる家族へ、村へ、町へ、お送りになるのです。イエスはあなたの心に内住して、まだイエスを知らない人の心に語りかけたいと望んでおられます。おそらくその人々は、聖書を読むこともなく、また聖書に書かれたことに耳を傾けたりもしないでしょう。また、神のみわざを見ても、神の愛を悟らないかもしれません。けれども、もしイエスの真の代表者がいるなら、世の人々はその人を見て神の恵みを悟ることができ、イエスを愛し、イエスに仕えるように導かれるのです。


福音の力を体験せよ 45

2013年12月15日 | 日記

 

  福音の力を体験せよ 45     

この経験を通して、息子は、神様と自分の間にあった壁をも壊すことができました。幸いだったのは、キリストを見出して以来、六年もの間、子供たちと一緒に暮らせたことです。日常生活の中で、子供たちは、私たちの変化をじかに見ることができました。その結果、息子も同様の生き方を求めるようになりました。私は息子に、「もし変えられたいと思うなら、『各時代の希望』を読んでごらんなさい」と言いました。それから息子は、その本を読み始めました。全部読み終えてから、私のところに来てこう言ったのでした。「お母さん、神様は、こんなにも僕を愛しておられるのですね!」と。

   新生への道 12 疑いをどうするか  ⑬

 ペテロは、「わたしたちの主また救い主イエス・キリストの恵みと知識において、ますます豊かになりなさい」(Ⅱペテロ3:18)と言いました。神の民は、神の恵みのうちに成長するにつれて、神のみ言葉をますますはっきりと理解することができるようになります。そして、聖い真理に新しい光と美を認めるのです。このことは各時代の教会史を通して歴史が証明していますが、なお終末まで継続するのです。「正しい者の道は、夜明けの光のようだ、いよいよ輝きを増して真昼となる」(箴言4:18)。 

 私たちは、信仰によって将来をながめます。そして、人間の機能が神と結合し、魂のあらゆる能力が光の源と直接触れ合うとき、神が約束されたように知能が伸びることを信じます。そのとき、神のみ摂理のうちに私たちが悩んだことはみな明らかにされ、わからなかったことも説明できるようになります。そして、私たちの限りある心ではただ混乱と矛盾ばかりであったところに、最も完全な美と調和を見ることでしょう。「わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて見るであろう…しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう」(Ⅰコリント13:12)。

 


福音の力を体験せよ 44

2013年12月14日 | 日記

  

福音の力を体験せよ 44

二十歳になって、ようやく目の病気があることが分かりました。息子は、たびたび父親から拒絶される経験をしてきたために、神様が自分に関心を持っておられることを、信じることができませんでした。救いのお約束さえも、全く信じることができませんでした。

私たち夫婦がキリストを見出したとき、息子は二十二歳でした。娘は二十一歳で既に結婚していて、末の子が十三歳でした。私たちは、子供たちを集めて、見出した真理について話をしました。

そして、子供たちの前で、神の愛を実践してこなかった過ちを告白しました。主人は上の息子に、数時間かけて間違いを告白し、許しを求めました。父親と息子の関係がうまくいっていなかったのは、父親である自分の責任であると、息子に告白したのでした。今や父親は、息子をあるがまま受け入れることができるようになっていました。

   新生への道 12 疑いをどうするか ⑫

 使徒パウロは、神は「わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださった」(コロサイ1:13)と言っています。そして死から生へと移った人々は誰でも「神がまことであることを、たしかに認めたのである」(ヨハネ3:33)と言うことができるのです。そして、その人はあかしして言います。「私には助けが必要でしたが、その助けは、イエスから与えられました。すべての欠乏は補われ、魂の飢えは満たされました。今では、聖書は私にとってイエス・キリストの啓示となりました。私がなぜイエスを信じるのかとお尋ねになりますか。それは、イエスが私にとって天よりの救い主であるからです。どうして私が聖書を信じるかと言えば、それは、聖書が私の魂にとって神のみ声であることがわかったからです」と。私たちは体験によって聖書は真実であり、キリストは神の子であるということをあかしすることができます。そして、巧みな作り話を信じているのではないということを知ることができるのです。


福音の力を体験せよ 43

2013年12月13日 | 日記

 

  福音の力を体験せよ 43

多くの親は、子供たちを打つ〔たたく〕ことによって、彼らの強情な性質を抑えることができると思っています。しかし、そのようにしても、子供たちをキリストのみもとに連れてくることはできません。私たちはまず、イエス様のみ前にひざまずかなくてはいけません。その時こそ、イエス様は私たちの心を砕くことがおできになるのです。

“神に近づく最初の段階は、神が我々に対して愛を持っておられることを知り信じることである。我々は、自分たちを引きつける神の愛によって導かれるのである。”(MB404)

私の長男は、神様が彼を愛しておられることを、信じることができませんでした。その子は、学校に通い始めた頃、字の読み方を習うのにとても苦労していました。かれが目の病を患っていることに、誰も気付きませんでした。勉強しても、落第ばかりしていました。教会学校に通っていましたが、先生はいつもこの子をばかにしました。教室の隅に立たせて、「バ-カ!」と呼んでいたこともありました。父親は勉強好きな人であったので、息子を無視しました。このように、息子は周りからの拒絶を味わいつつ大きくなっていったのでした。

 新生への道 12 疑いをどうするか 11

使徒パウロは、神は「わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださった」(コロサイ1:13)と言っています。そして死から生へと移った人々は誰でも「神がまことであることを、たしかに認めたのである」(ヨハネ3:33)と言うことができるのです。そして、その人はあかしして言います。「私には助けが必要でしたが、その助けは、イエスから与えられました。すべての欠乏は補われ、魂の飢えは満たされました。今では、聖書は私にとってイエス・キリストの啓示となりました。私がなぜイエスを信じるのかとお尋ねになりますか。それは、イエスが私にとって天よりの救い主であるからです。どうして私が聖書を信じるかと言えば、それは、聖書が私の魂にとって神のみ声であることがわかったからです」と。私たちは体験によって聖書は真実であり、キリストは神の子であるということをあかしすることができます。そして、巧みな作り話を信じているのではないということを知ることができるのです。


福音の力を体験せよ 42

2013年12月12日 | 日記

 

         (数年前に同僚からもらったセンリョウが今年初めて実をつけました)

 福音の力を体験せよ 42

そして二か月後、電話がかかってきました。  「おばさん、今まで、おばさんが言った通りにやっています。私は、イエス様の前にひざまずきました。それからというもの、イエス様のなさった事は、ほんとうに信じられないくらいでした。私の心と精神が完全にイエス様に導かれると、もう世に対する関心がなくなってしまったんです。」

一体だれが、このようなわざを行ったのでしょう?皆さん、すべては主のみわざです。なぜならば、この子が抵抗するのをやめたから、短期間にこれだけのことがなされ得たのです。姪は、神様がこのようにしてくださることを受け入れ、神様と協力しました。神様は、この働きを誰にでもなさることがおできになります。私たちは、自ら悔い改めることができません。自分で頑固な心を変えることなどできないのです。

  新生への道 12 疑いをどうするか ⑩

 いろいろな仮面をかぶってはいますが、疑いと不信の真の原因は、たいていの場合、罪を愛することにあります。神のみ言葉の教えと訓戒は、高慢な、罪を愛する人々には歓迎されません。神の要求に従うことを喜ばない者は、み言葉の権威をすぐ疑うのです。真理に到達するには、真理を知りたいという真面目な望みを持って、それに喜んで従わなければなりません。こうした精神で聖書を研究する人は、聖書が神のみ言葉であるという証拠を数多く見いだし、その真理を理解し自分のものとして救いに至るのです。

 キリストは「神のみこころを行おうと思う者であれば、だれでも、わたしの語っているこの教が神からのものか、それとも、わたし自身から出たものか、わかるであろう」(ヨハネ7:17)と言われました。わからないことを疑ったり、理屈を並べたりしないで、すでに与えられている光に従うならば、さらに大きな光が与えられるのです。はっきりと理解できた義務をすべてキリストの恵みによって実行すれば、今は疑いを持っているようなことも理解できて、実行できるようになります。