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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の力を体験せよ 51

2013年12月21日 | 日記

  

 福音の力を体験せよ 51

その後も私は家族のために、一か月の間行ったり来たりしながら訪問してまわりました。わが家に戻って三週間後、母から電話がありました。

「マーガレット、お父さんが今朝、亡くなったの。」

「ああ神様、父が救いを見いだして命が終えられたことを感謝します。本当にありがとうございます!」

皆さん、私が父に会ってこのメッセ-ジを伝えるまでの長い間、父は真の福音を待っていました。七十八歳になったときに、父は助けを求めてきました。次に会いに行ったときは、八十二歳になっていました。神様は、父の命を永らえさせてくださったのでした。高齢でありながらも、父は真理を理解するために、非常に努力しました。

  新生への道 13 主にある喜び ⑥  

しかし、神が描いてくださった輝かしい光景を感謝しましょう。私たちは神の愛の確証を集めて、いつもそれをながめるようにしましょう。すなわち、神のみ子が、悪魔の勢力から人を救うために父のみ座を捨てられ、人性をもって神性をおおわれたこと、また私たちに代わって勝利を得てくださり、天を開き、栄光に輝く神のみ座を人にあらわされたこと、さらに、罪によって陥った滅びの渕から、堕落した人類を救い出し、無限の神との交わりに入れてくださったこと、そして人は、あがない主を信じて、神がゆるされた試練に耐えるならば、キリストの義を着せられ、神のみ座にまで高められることなど、このような光景を私たちがめい想するように神は望んでおいでになるのです。

 神の愛を疑うことや、神の約束を信頼しないことは、神を辱め、聖霊を悲しませるのです。たとえば、母親が子供の幸福と安全のためにあらゆる努力をしてきたにもかかわらず、子供たちがそのことを全然気にもとめず、不平ばかり言うなら、母親はどう感じることでしょう。


福音の力を体験せよ 50

2013年12月20日 | 日記

  

 福音の力を体験せよ 50

 以来、私は十八年にわたり、全国至る所をめぐりました。教会に招かれたら、どこへでも行っています。今では、一年のうち、家にいるのは三分一だけです。父を訪れたときに、父の行っている教会で説教をすることになりました。その時、父はこのメッセ-ジを初めて聞いたのでした。彼は、とても注意深く聞いていました。その日の午後も、この主題について続けて話しました。その夜、父はドイツ語の聖書を引っぱり出して、ローマ人への手紙を読んでいました。それから私に向かって、次のように言いました。「マーガレット、自分で読んでみて、お前の言っていることが真実であることが分かったよ」と。

 以来父は、その救いの驚くべき新しい道を歩み始めました。もろもろの罪の荷を、主イエス・キリストの十字架のもとにおろして、まさに今日、罪から完全に清められる経験ができることを、父は発見したのでした。皆さん、すべての罪をなくすというのは、一生かかることではありません。天の父なる神様はどんなみ業がおできになるかについて、私たちは今まで誤解してきました。

   新生への道 13 主にある喜び ⑤

あなたの経験のうちに、何か明るいことはなかったでしょうか。聖霊を感じて、喜びで心がときめいた尊い瞬間はなかったでしょうか。今までの生涯の経験をふり返ってみたとき、何か楽しい出来事はなかったでしょうか。神の約束は、道ばた一面に咲いている香り高い花のようなものではないでしょうか。私たちはその美しさと甘い香りを、心から喜びましよう。

 いばらととげは、ただ傷つけ悲しませるばかりです。いばらばかりを集めて、それを他の人にも与えるなら、それは神の恵みを自分が軽視するばかりでなく、周囲の人々がいのちの道を歩くのを妨げることになるのではないでしょうか。

 過去の生涯の不愉快な思い出、罪や失望ばかりをかき集め、そのことを語り、悲しんで、ついには失望してしまうことは決して賢明なことではありません。失望した魂は暗闇におおわれ、心に射しこむ神の光を閉ざしてしまい、他の人々の行く手にも影を投げかけます。


福音の力を体験せよ 49

2013年12月19日 | 日記

    

 福音の力を体験せよ 49

このメッセ-ジを伝えるようになると、家族の者たちから、「マーガレット、以前はこのメッセ-ジを全く理解していなかった。このメッセ-ジは、私たちの生涯を根底から変えてくれることでしょう。でも、このメッセ-ジを私たちだけで聞くのはもったいないから、ぜひ教会で語ってちょうだい」と言われました。

 私は、「何ですって?私が教会で説教をするなんて、とんでもない!」と思いました。私は、かなりの恥ずかしがりやでした。大人の前では、いちども説教をしたことがありませんでした。子供たちに教えることはできましたが・・・。

しかし、私は祈りました。「主よ、このメッセ-ジは、あなたの民にとって必要であることを知っています。これはまさに、私にとって必要なメッセ-ジであり、主人にとっても必要なメッセージでありました。ああ主よ、もし私がこのメッセ-ジを伝えることを願っておられるなら、私の心から、恥ずかしという思いを取り除いてください。そして、自由に話せる能力を与えてください」と。

その翌日、教会で礼拝を担当することになりましたが、私の心からは、恐れが完全に消えていました。説教の後、「主よ、感謝します。今後このメッセ-ジを伝えることを主がお望みなら、やらせていただきます」と祈りました。

  新生への道 13 主にある喜び ④

人生の道を歩く中で、自分の間違いや欠点や失望ばかりを考えて、悲しみと落胆に満たされている人がたくさんいます。私がヨーロッパに行っていたとき、ある姉妹がちょうどそのような状態で、たいへん失望し、励ましの言葉を求めてきました。その手紙を読んだ夜のことですが、私はある庭園を歩いている夢を見て、その庭園の持ち主と思われる方に案内されていました。私は歩きながら花を摘み、その高いかおりを楽しんでいますと、そばを歩いていたこの姉妹は、道をふさいでいるつまらないいばらを見て、それを悲しみ嘆いていたのです。この姉妹は案内者に従って道を歩かないで、いばらやとげの中を歩いて「せっかくの庭園も、このようないばらがあって本当に残念なことです」と言うのでした。すると、案内者は「いばらのことは気にしないでください。ただ害を受けるばかりですから。それより、バラやユリやナデシコを摘んではどうですか」と答えました。

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福音の力を体験せよ 48

2013年12月18日 | 日記

  

  福音の力を体験せよ 48

さて、第一の段階は何であると言いましたか?神様が私たちを導かれます。イエス様が私たちを引き上げるとき、私たちがなすべき分は何でしたか?それは、抵抗しないことです。皆さん、聖霊が心に語りかけるとき、絶対に抵抗しないでください。これがまさに、皆さんの生涯の最優先事項と思ってください。イエス・キリストを正しく知ることが、永遠の命なのですから。

私の個人的な話を、もう少し書きたいと思います。「神様、私を家族のもとに送ってください」と切に求めたとき、ご存じのように、妹が私に電話をくれ、さらに姪が訪ねてきました。姪がキリストとの真の関係を見出したとき、彼女の母親である妹が、再び電話をくれました。

妹は、「どうかうちに来て、話をしてちょうだい」と頼んできました。皆さん、私が神様にどんな祈りをしたか覚えていますか?家族の者が私を招いてくれるように、その際は、飛行機代を出してくれるように、と祈りました。

しばらくして、弟から手紙を受け取りました。手紙には、「姉さん、下の姉さんの家に行かれるそうですね?そのついでに、わが家にも寄ってくれませんか?飛行機代は私が出しますから」と書かれていました。すると、別の弟からも電話がかかってきました。それで、家族の者たちからの招きは、まさに神様からの招きであることが分かり、この重要なメッセ-ジを神様が伝えてくださるであろうと、信じることができるようになりました。

  新生への道 13 主にある喜び ③

悪魔は、神の子らが不信仰を起こし、落胆するのを喜びます。また、私たちが神に信頼せず、神が快く私たちを救ってくださるお方であることを疑うのを喜びます。また、神は摂理のうちに私たちを害されたのだというように考えさせたり、神をあわれみと同情に欠けておられる方のように見せるのは悪魔の働きです。悪魔は、神に関する真理を曲解し、神に関する間違った思想を私たちの心に満たすのです。私たちは、しばしば、天の父に関する真理に堅く立つかわりに、悪魔の誤った言葉に惑わされ、神を信頼せず、つぶやいて神を辱めるのです。悪魔は絶えず信仰生活を憂うつなものにしようと努めています。また骨が折れて困難なもののように見せかけます。そして、クリスチャンが自分の生活に対してこのような宗教観をいだくならば、その不信仰の結果、悪魔の偽りを支持したことになります。


福音の力を体験せよ 47

2013年12月17日 | 日記

 

   福音の力を体験せよ 47

 霊感の書には、「親が真に新しく生まれたとき、また自分の子供らに対してどのような間違いを犯したかを素直に認めるとき、天の父は、すぐに彼らを救う方法を考えられるであろう」と書かれています。

 皆さん、世に出ていってしまった子供たちのために、神様に涙ながらに祈っている親たちが、どれほどいることでしょう。残念ながら、多くの親たちが、新しく生まれる経験をしていないためにこのようなことが起きるのです。

 子供たちが家に戻ってくると、また親子喧嘩が始まります。親が、神の愛なしに子供たちと接するからです。子供たちは、親を見ても、慕うべきものを何一つ見出せないのです。

 そのようなとき、神様は、どのように彼らに近づかれるのでしょう?子供たちは、真に望ましいクリスチャンの生き方を、家庭で見ることができなくてはいけません。神様は、生ぬるいラオデキヤ教会員たちが、自らの足りない点に気づいて改革することを願い、待っておられます。

    新生への道 13 主にある喜び ②

 クリスチャンは、天国への道を照らす燈火として置かれているのですから、キリストから輝き出た光を世の人々に反映しなければなりません。クリスチャンの生活、また性格は、人々が見て、キリストを正しく知り、またキリストに仕えることがどのようなことであるかを正しく理解させられるようなものでなければなりません。

 もし私たちがキリストを代表する者であるなら、キリストに仕えることが実際にどれほど楽しいものであるかを人々に示すことでしょう。心が憂うつと悲しみで満たされ、不平不満を言ったり、つぶやいたりしているクリスチャンは、神について、またクリスチャン生活について人々に誤解を与えます。そして、神は神の子らの幸福を喜ばれないとでもいうような印象を人々に与え、天の父に対して間違ったあかしを立てているのです。