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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されることがあるのか 第20回

2014年11月08日 | 日記

救いは取り消されることがあるのか 第20回

  

  3、絶えずキリストとつながる生活

枝がぶどうの木から切り離された時、命の補給はなくなり、その結果は死だけになります。同じように、私たちがクリスチャンとして生きるためには、命の源であるキリストに絶えずつながっていなければなりません。人がキリストのうちにとどまるのでなければ、彼はやがてしおれて死に、結局は火に焼かれてしまいます。このことは、キリストとクリスチャンの関係は、単に過去のある時、キリストにつながったことがあるという経験に基づいたものではないということを教えています。「わたしたちのいのちなるキリスト」(コロサイ3:4)から流れる命を、クリスチャンが絶えず受け続けている時だけ、人は生きているということが出来るのです。 

キリストが語られたぶどうの木のたとえ(ヨハネ15:1~12)は、とてもわかりやすく、誰もがはっきりと理解できます。生きたぶどうの木であるキリストと、それにつながる真実なクリスチャンであっても、つながることを願わなくなればぶどうの木から分離されます。その瞬間から彼らの霊的な命は死ぬことになり、やがて火に投げ込まれて焼き尽くされる運命となります。以前生きていたものが、今はしおれて死ぬことになるのです。永遠の命の保証は、ただ彼らの信仰がキリストに固定され、彼らの心が「わたしたちのいのちなるキリスト」とつながれている時だけ、得ることが出来ます。ですから、私たちが過去にどれほど素晴らしい救いを体験したとしても、今現在キリストと正しい関係にないなら、滅びることもあるのです。

   お約束を果たされた神様 第20回

ここに、メシヤ、イエス様が何年に死なれるかということが、数学的に書かれています。これは私が計算したことではなく、皆さんよくご存知の、アイザック・ニュートン、「万有引力の法則」を発見したニュートンが計算した数字です。彼は科学者であり、神学者でもありました。彼は、ダニエル書9章の預言的な数字を数学的に解きました。今日は詳しく説明する時間がありませんが、その内容はこのようなものです。

イエス様は洗礼を受けて公生涯を始められますね。そして3年半後に死なれるということが預言されています。預言と歴史的な年代を計算してみると、イエス様は、AD27年に公生涯を始められ、3年半後であるAD31年に、十字架にかかられ死なれるということが分かります。イエス様はその年をご存知でした。イエス様が神様だったから分かったのではなく、先ほどヨハネの福音書5章に、この旧約聖書はご自分について証していることを確信しておられたからです。このように、イエス様が死なれる年さえも書かれています。

マタイによる福音書24章を見ると、イエス様は最後の時には、このダニエル書の預言が成就することを警告しておられます。私たちは、ダニエル書をもっと研究する必要があります。

 

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