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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されることがあるのか 第21回

2014年11月09日 | 日記

  

  救いは取り消されることがあるのか 第21回

イエス様は種まきのたとえで、一度救われた者でも、永遠の命を失う場合があることを教えられました(ルカ8:4~15)。このたとえでイエス様は、道ばたや岩の上、いばらの中に落ちた種について、このように説明されました。「道ばたに落ちたのは、聞いたのち、信じることも救われることもないように、悪魔によってその心から御言が奪い取られる人たちのことである。岩の上に落ちたのは、御言を聞いた時には喜んで受けいれるが、根が無いので、しばらくは信じていても、試錬の時が来ると、信仰を捨てる人たちのことである。いばらの中に落ちたのは、聞いてから日を過ごすうちに、生活の心づかいや富や快楽にふさがれて、実の熟するまでにならない人たちのことである」(ルカ8:12~14)

このたとえで、私たちが注目しなければならないことは、ここで語られた4種類の人々のうち、よい地に落ちた人たちだけしか最終的に救いを受けることができないという点です。豊かな実を結ぶ者だけが、救いを受けることになります。道ばたと岩の上、いばらの中に落ちた種にたとえられた人たちは、決して救いを得ることはできないのです。ある時までは真実であり、ある時までは救われた人であったとしても、誘惑の時に信仰から離れていってしまうなら、彼らは結局失われた者になります。このたとえは、人がある期間救いの信仰を持っていたとしても、後に信仰をなくすなら、滅亡するという主の明白な教えです。

    お約束を果たされた神様 第21回

イエス様が誕生される1400年ほど前に書かれた出エジプト記には、「そしてその月の14日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみんな夕暮れにこれをほふり・・・」(出エジプト記12:6)。何日だと書いてありますか。14日ですね。2節で「初めの月」と言われていますから1月を指しています。この小羊は誰を象徴していますか。イエス・キリストを象徴しています。過越しと言うのは何でしょうか。モーセの時代に、イスラエル民族がエジプトを脱出する前に、エジプトに10の災害が下ります。最後の10番目の災害は何でしたか。初めて生まれた者がみんな死んでしまうというものでした。動物であれ、人間であれ、この災害を逃れるためには、どうすればよかったでしょうか。羊を屠って、その血を入り口の柱と鴨居に塗れば、死から逃れられると言われました。

この、入り口の柱と鴨居に塗る小羊の血は、誰の血を象徴していましたか。イエス様を象徴していましたね。小羊を屠ってその血を塗った家は、みんな死の天使が通り過ぎて行ったのですね。それで過越しと言います。その羊を屠るのは1月14日でした。それも「夕暮れにこれをほふり」と言われていました(出エジプト12:6)。日本語の聖書も夕暮れと書いてありますね。この夕暮れという言葉は、太陽が沈んでいく頃を指しているのではありません。この夕暮れと言う言葉は、ヘブル語で、ベン ハー アルバインというのですが、この言葉は、二つの夜の間と言う意味です。実は、ユダヤ人には二つの夜がありました。1番目の夜は、昼の12時から始まります。また2番目の夜は夕方の6時から始まりました。12時と6時の中間は何時になりますか。3時ですね。12時と6時の間に羊を屠れと言われているのです。そこで、この過越しの羊は、1月14日の午後3時に屠りました。

そこで、イエス様の十字架の場面を見ると、「そして午後3時ごろに、イエスは大声で叫んで、『エリ、エリ、ラマ、サバクタニ』と言われた。それは『わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか』と言う意味である」(マタイ27:46)。

イエス様がお生まれになる1400年前に、出エジプト記が書かれました。その時代には午後3時に羊を屠っていましたが、過越しの羊の本体であるイエス様は、その通り、午後3時に十字架で死なれました。聖書の言葉通りの時間に、聖書通りの言葉を口にして死なれました。



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