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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されることがあるのか 第19回

2014年11月07日 | 日記

  

救いは取り消されることがあるのか 第19回

    2、おびただしい魂が危険の中にある 

今日のクリスチャンたちは “『Once Saved, Always Saved』(一度救われたらいつも救われている:イエス様を信じることによって一度救われたら、品性と信仰の霊的成長に関係なく、たとえ神様のみ言葉に対して不従順であったとしてもそれに関係なく無条件に救われるという意味で用いる表現)という「救済説」を受け入れています。救いに関して、このような魅惑的な教えがあるため、多くの者が深く考えもしないで、それを受け入れてしまっています。もしこの考えが真実であるなら、それは私たちにとっては最も驚くべきすばらしい教えになるでしょう。しかし、もしそれが真実でなければ、それは世界で最も危険な教えになるでしょう。このどちらを福音として受け入れるかによって、おびただしい魂が救われることもあり、失われることもあります。

私たちの永遠の運命は、この教理の真偽にかかわっています。私たちは、もう一度、自分に対して次のような質問をしなければなりません。「私は信仰と救いについて、聖書の真理によって生きようとしているだろうか。私が悔い改めてキリストを信じたなら、もうこれ以上選びはないのだろうか。救いとは、ある時の瞬間の決定によって、永久に完成されるものだろうか。それとも、その決定の後も、キリストの恵みの中で成長していかなければ、決定は取り消されることがあるのだろうか。そもそも、神様は罪や汚れを、ご自分の王国に持ち込むことをお許しになるのだろうか?」  

幸いなことに、このような質問に答える明確な聖句が、聖書にはたくさんあります。私たちはその聖句を注意深く調べ、同時に「一度救われたら永遠に救われる」という教理を裏付けていると思われる聖句のいくつかを検証してみましょう。

    お約束を果たされた神様 第19回

聖書の中心は十字架です。この十字架については、新約だけでなく、旧約にも書かれています。聖書の真ん中を開いてみて下さい。詩篇が出てきますが、この詩篇には、イエス様の十字架のことがたくさん書かれています。イエス様は、この聖書は、私について語られていると言われました。そして、これもまた驚くべきことなのですが、メシヤが何年何月何日何時に死なれるか、ということまで預言されていたのです。今までの証拠だけでも十分なのに、なくなる、日時までも、ことごとく書いてあるという事実を知る時に、私たちは神様のみ業を讃えずにはおれません。

イエス様は、こう言われました。「あなたがたが知っているとおり、ふつかの後には過越しの祭りになるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」(マタイ26:2)。イエス様が亡くなられたのは、ちょうど過越しの祭りの時でした。ユダヤのカレンダーでは、1月14日にあたります。イエス様は、ご自分が1月14日に死ぬことを知っておられました。どのようにして知っておられたのでしょうか。それは、その日に死なれると預言されていたからです。イエス様の生まれる600年前に書かれたダニエル書には、その9章を見ると、70週の預言が出ています。

「あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。・・・それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。その六十二週の後にメシヤは断たれるでしょう。・・・彼は一週の間多くの者と、堅く契約を結ぶでしょう。そして彼はその週の半ばに、犠牲と供え物とを廃するでしょう。」(ダニエル9:24~27)。


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