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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

罪から逃れる道 ソン・ケムン 第12回

2017年12月19日 | 日記

原罪説はアダムが罪を犯したために、そのすべての子孫が、罪の責任を負って死ぬべきだと言います。それで全ての赤ん坊は「私は百万二十一番目にアダムの罪の責任を負ってこの地に来ました、オギャ-」と生まれるということです。

私は原罪説を信じません。アダムの罪の負債は、私ではなくイエス様が負われました。 ところが大部分のキリスト教徒たちが、アダムの罪のために私は罪人であり、そのために永遠の滅亡を受ける運命を負って生まれたと信じています。

 私たちが持っているこの生命は、悪人でも信じる人でも、私たちのものではありません。なぜなら、イエス様がアダムとエバが罪を犯すと、直ちにエデンの園に来て代わりに死んでくださり、私たちを生かしてくださったからです。

 「それではこの世に生まれるすべての人が救われますか?」という質問が生じるかもしれません。

 アダムが罪を犯した時、彼は永遠の滅亡を受ける運命となりました。本来、アダムの子孫はこの世に生まれる機会もなく、存在できなくなる状況でした。 アダムが死んで、神様が新しい人類の始祖を創造しなければならない、そんな状況でした。正しいですか? はい、そうです。

 しかしイエス様が、私たちの代わりに罪の報酬である、永遠の死を受けられることによって、再び生命を受け生きるようになりました。この生命は恵みでいただいたものです。 罪を犯した全ての人類は、十字架の死によって、神様を信じていても信じていなくても、善良であっても悪人であっても、アダムの子孫たちは誰でも、一度は生きることができる恵みを与えられたのです。イエス様が十字架で亡くなられたので、アダムは生命を延長することができるようになり、私たちが生まれたのです。 ではアダムも生きて私たちも生まれましたが、この罪の多い世の中を苦労しながら生活し、やがて死ぬためにイエス様が代わりに亡くなられたのでしょうか?


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