□⑵ヨハネの黙示録13:8を見ましょう
「地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう」
「ほふられた小羊」とありますが欽定訳聖書を見ると、「世の中の基礎が置かれた時から殺されてきた小羊(Lamb slain from the foundation of the world)」となっています。
「世の始めから殺されてきた小羊」の小羊は、誰ですか? イエス様です。 言い換えれば、イエス様がエデンで亡くなったと言うのです。
皆さん、アダムがエデンの園で罪を犯しました。彼は死ぬようになりました。この死は寿命を全うして死ぬ死ではなく、罪の刑罰として受ける永遠の滅亡のことです。 そしてイエス様が身代わりとして受けられた死も、誰もが一度は経験する第一の死ではなく、罪を犯した人類が受ける永遠の滅亡としての死でした。
エデンの園で羊が死にました。単なる動物一匹が死んだのではありません。
神様が代わりに亡くなられたのです。イエス様がこの地に来られ、アダムの子孫として実際に死ぬことを約束されたのです。
この話がローマ人への手紙5章です。罪が起きるとすぐに、救い主がおられました。イエス様があがないの犠牲として、神様と人間の間に立たれたということです。彼らが死ぬべきでしたが、イエス様が代わりに死なれて、人は生きることができるようになり、人間は二度目のチャンスが与えられたのです。
私たちは今生きています。息をしていますね。なぜならその日、イエス様がエデンの園におられたからです。 アダムとエバが罪を犯したその日、羊の皮の衣が与えられました。彼らが死ぬべきでしたが、小羊が死にました。 動物一匹が死んだのではなく、神様が人間の罪を赦すために、このように死なれるという約束でした。 それで「それを取って食べると、きっと死ぬであろう」と言われたとおり、イエス様が本当に死なれたのです。