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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

罪から逃れる道 ソン・ケムン 第11回

2017年12月16日 | 日記

□⑵ヨハネの黙示録13:8を見ましょう

「地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、その名を世の初めからしるされていない者はみな、この獣を拝むであろう」

「ほふられた小羊」とありますが欽定訳聖書を見ると、「世の中の基礎が置かれた時から殺されてきた小羊(Lamb slain from the foundation of the world)」となっています。

「世の始めから殺されてきた小羊」の小羊は、誰ですか? イエス様です。 言い換えれば、イエス様がエデンで亡くなったと言うのです。

皆さん、アダムがエデンの園で罪を犯しました。彼は死ぬようになりました。この死は寿命を全うして死ぬ死ではなく、罪の刑罰として受ける永遠の滅亡のことです。 そしてイエス様が身代わりとして受けられた死も、誰もが一度は経験する第一の死ではなく、罪を犯した人類が受ける永遠の滅亡としての死でした。

エデンの園で羊が死にました。単なる動物一匹が死んだのではありません。

神様が代わりに亡くなられたのです。イエス様がこの地に来られ、アダムの子孫として実際に死ぬことを約束されたのです。

この話がローマ人への手紙5章です。罪が起きるとすぐに、救い主がおられました。イエス様があがないの犠牲として、神様と人間の間に立たれたということです。彼らが死ぬべきでしたが、イエス様が代わりに死なれて、人は生きることができるようになり、人間は二度目のチャンスが与えられたのです。

私たちは今生きています。息をしていますね。なぜならその日、イエス様がエデンの園におられたからです。 アダムとエバが罪を犯したその日、羊の皮の衣が与えられました。彼らが死ぬべきでしたが、小羊が死にました。 動物一匹が死んだのではなく、神様が人間の罪を赦すために、このように死なれるという約束でした。 それで「それを取って食べると、きっと死ぬであろう」と言われたとおり、イエス様が本当に死なれたのです。


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