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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されることがあるのか 第25回

2014年11月13日 | 日記

    

  救いは取り消されることがあるのか 第25回

これから引用するすべての聖句は、同じ真理について語っています。故意に罪を犯し続けるなら、永遠の命を得ることができる関係を断絶させてしまいます。永遠の命には、常に条件が伴うという事実を忘れてはなりません。

「しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」(Ⅰヨハネ1:7)「初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる」

(Ⅰヨハネ2:24)

「わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない」

(へブル10:38)

「人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである」(ヨハネ15:6)

「よくよく言っておく。もし人がわたしの言葉を守るならば、その人はいつまでも死を見ることがないであろう」(ヨハネ8:51)。

「神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう」

(ローマ11:22)

「兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものにしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない」(Ⅱペテロ1:10)

「なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう」(ローマ8:13)

     お約束を果たされた神様 第25回

私たちにとって神様はどのようなお方でしょうか。私たちを生んで、育てて下さったお父様ですね。そして、神様が私たちを見られる時、私たちより尊い存在は世の中にありません。この世に、私より大切なものはないと言われるのです。イエス様は、その大事な子どもたちのために、体を裂かれて死なれたのです。イザヤ書を見ると、「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない(イザヤ49:15)と言われています。
 イエス様が十字架につけられた時、最後の最後まで、私たちをつかんでおられました。イエス様が救いのためにさし伸べたられたその手に、人間は釘を打ちました。人類を創造されたイエス様の手に、人間は釘を打ちつけたのです。ご自分が創造されたその子らが、ニヤニヤ笑いながら、頭にいばらの冠をかぶせました。また槍で刺しました。

しかし、そのような状況にあっても、イエス様はご自分の子供たちを、決してあきらめませんでした。そのような人間たちを、あきらめませんでした。片方の手で神様のみ座をつかみ、もう片方の手では罪の淵にいる人間の手をつかんでおられました。このつかんでいた両手は、つばかけられても鞭で打たれても、決して離されませんでした。天と地の間にあって、十字架にかけられた姿で、苦しんでおられる姿を、皆さんよく考えてみて下さい。自分の生んだ子が、自分をこのようにひどい目にあわせて、殺そうとかかってくる時、皆さんの心臓は破裂しませんか。ですから、イエス様の心臓は破裂して亡くなられたのですね。イエス様の、このような大きな愛に答えない者は、本当に親不孝な出来損ないのものですね。




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