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救いは取り消されることがあるのか 第26回

2014年11月14日 | 日記

     

救いは取り消されることがあるのか 第26回

同じようにパウロは、新生(聖霊による生まれ変わり)の経験をした信者たちが、破滅する可能性があることについても語っています。それは彼らが、主の体をわきまえないで飲み食いするためであると言いました。「主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである」(Ⅰコリント11:29)。この人々は教会員であり、救いの経験を共に分かち合ったクリスチャンであったことは確かです。しかしそのような人たちが、どうして裁かれて滅びに直面するのでしょうか?テモテへの第一の手紙5章12節に、それに対する答えがあります。「初めの誓いを無視したという非難を受けねばならないからである」。クリスチャンが「初めの誓いを無視」するなら最後の時に裁かれることがあるというのは、聖書的な、疑う余地のない明白な事実なのです。

ところで、「一度救われたら永遠に救われる」という立場を主張する人々が、よく親と子の関係をたとえにして、自分たちの立場を説明することがあります。「私の子供は私の家族として生まれて来たのだから、常に私の子供である。彼らは私の家に生まれてきた以上、親子の関係をなくすことは出来ない。子供が従順であっても、不従順であっても、それにかかわらず常にに私の子供であることには変わりがない」。

この説明はもっともなものですが、重大な点を一つ見逃しています。問題は、子供が病気で死んだり、家出をしたあげく、家に帰ることもなく死んでしまうことがあるということです。その時には、親子の関係も断たれてしまいます。子供が死ぬことなく健康で生きられるようにするために、医者や親は様々な健康原則や生活上の注意をします。しかし、もし子供が病気になって食事を食べなくなったら、その子は死ぬことになります。同じようにイエス様は、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」(ヨハネ6:53)と言われました。

      お約束を果たされた神様 第26回     

だからこそ私たちは、イエス様の手を放してはいけません。神様は私たちに約束を守って下さいました。暗闇のこの世に来られ、それも人間として来られ、十字架にかかって死なれるほど、その約束をことごとく守って成就して下さいました。

そのような神様は、もう一つの約束を残しておられます。イエス様はこの世に来られて、十字架につけられ、よみがえって天にのぼられる時、一つの約束を残して下さいました。私は一人でみ国に行くが、再びあなた方を迎えに来る、と約束なさいました。「わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう(ヨハネ14:2、3)。

イエス様は、この第二の約束も守ってくださるでしょうか。もちろんです。イエス様が最初の約束をされた時、イエス様は、人間たちをよく理解しておられましたけれども、人間はそういうイエス様を分かっていませんでした。しかし、イエス様が第二の約束を守ってくださる時、再びあなた方を迎えに来るという約束を果たされる時、その時は、全ての人が、イエス様を知ることができるのです。

 


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