≪ひまわりさん出張中のため、しばらく日記はお休みさせていただきます。その代わりに、デビット・カン先生の新著 「もう、罪を犯してはいけない」を紹介させていただきます≫
狭い門からはいれ、滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。(マタイによる福音書7章13,14節)
Chapter1 あなたは本物のクリスチャンなのか?
にせ物クリスチャンの横行
クリスチャンの生涯は、サタンと罪に対する戦いの連続である。今私たちは、暗闇と死で満たされた、サタンの支配する堕落した世の中に生きている。だから、クリスチャンとしてこの世を生きるためには、本当にたくさんの犠牲が必要だ。
世の中の楽しみを味わいながら、天のみ国にも行こうというような心で生きているクリスチャンは、滅亡の道を歩いているのだ。救いを得る道には中間がない。私たちが受け継いだ聖書の真理は、血が流れるものなのだ。過去、どれだけ多くの人々が、自分の生命を犠牲にして、信仰と真理を堅く守ってきたことか!
次のテストに答えてみよう
○他人が褒められるのをみると嫉妬の念が起きる。
○他人に対する批判や陰口で満たされている。
○会話の主題が金儲けのことである。
○事業の成功が最大の関心事である。
○職場で他人の上に立つ機会を虎視眈々とねらっている。
○利益のためなら平気で嘘をつくことがある。
○自分の立場を守るために嘘をついても良心の呵責がない。
○働く動機は、いい家に住み、いい車に乗り、いい生活をするためである。
○関心はショッピングやドラマ、流行やフアッションのことである。
○子供を一流大学に行かせることに懸命になっている。
○子供を大声を出して叱っている。
○夫によく愚痴をこぼしている。
○人のうわさ話が好きである。
○他人のちょっとした言葉ですぐ傷ついてしまう。
○人が認め、褒めてくれないとやる気が起きない。
○教会で奉仕する真の動機は、人に認められ褒めてもらうためである。
○他人にはキリストを信じなさいと言うが、家庭ではキリストの愛を実践していない。
○隣人や教会や職場で、生まれ変わったクリスチャンの姿を見せていない。
心を探って、上記の項目に当てはまるものがあったなら、あなたが、何十年教会に通い、奉仕し、役員をやっていたとしても、あなたは、神様の目にはにせ物のクリスチャンなのだ。
少年時代の思い出 8 (デビット・カン講演35)
父は私が一人息子だったので、厳しく育てていたのです。私を甘やかさないようにしていました。ところが、母は父に対して、今日起こったことを言わなかったのですね。「特別変わったことは起こりませんでしたよ」。そして家族全員でお祈りをして食事が始まったのです。私は食べ物を飲み込むことができなかったのです。食べようとしたんですけども飲み込むことができないんです。何かが出てきそうなんです。もう喉が詰まりまして、箸をテーブルに置いて、スプーンもテーブルに置いて、泣き出したのです。私はシクシク泣き始めました。「デビット、どうしたんだ」と父に聞かれました。「いいえ・・・別に・・・何も・・・」と答えました。
私がなぜ泣いたかご存知ですか。自分が石を当てた女性に対して、すまないと思っていたからではなく、もちろん、すまないと思いました。でもそれが泣いた理由ではありませんでした。もうそろそろ父親から罰を受ける、それが怖くて泣いたわけでもありません。母の愛に圧倒されて私は泣いてしまったのです。「どうして、そんなことができたのだろう。どうして、あんなふうに私を許してくれたんだろうか」。自分が間違ったことをしたのを知っていました。母との約束を守れなかったんですね。でもどういうわけか私の心の中で、あるものが変えられてしまったのです。