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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約 34

2013年04月11日 | 日記

    

   ひまわりさんより(4月11日)

今日読んだ『見よ神の小羊』の中で印象に残ったところをご紹介いたします。「私たちは、罪のない環境に生きるにふさわしい者か、救っても安全かどうかを調べられるのである。

もしそうでなければ、イエスはなぜ再臨を送らせておられるのだろう。もしも、十字架による罪の赦しだけで救いが得られるのだとしたら、神はなぜ、罪の存続を赦しておられるのだろう? 罪人が、罪の生活から離れるほどに悔い改めているか否かを、神は調査しなければならない。決意だけでは不十分である。信仰によって、罪人は罪への勝利を経験しなければならない。なぜなら、与えられたすべての光に全く服従することによって信仰は立証されるからである。・・・罪人が真に悔い改めたか否かは、どのように証明されるのだろう? 罪に勝利することによってである」(75,76p) カン先生の『主われらの義』の講演にも出てきましたが、「イエス様の動機と希望をお与えください」、と真剣に祈る時に、罪に勝利することができることを、少しづつ体験させられて、カン先生が言われることが真実であることを教えられています。

    少年時代の思い出 6

私は木の陰で、なおも震えながら隠れていました。ところが帰宅してから母は私のことを探さなかったんです。全然私を探しませんでした。私の名前も呼びませんでした。何も起こらなかったように、彼女は振る舞っていたんです。讃美歌をハミングで歌っていました。鼻歌を歌っていました。

私は心の中で思ったのですね。「お母さんはどうして私の名前を呼ばないんだと」。大声で私の名前を呼んで、どなりつけたらいいじゃないか、と私は思いました。私をたたいたらいいじゃないか。そしたら、もっと気分が安らぐのにと思いました。私は母が何事も起こらなかったからように振る舞っているので、もっともっと居心地が悪くなってきました。それから日が落ちて、夕方になってきました。母が私の隠れていた木のそばまでやってきまして、――その間ずっと私の隠れていいた場所を知っていたんですよ(笑い)。とても恥ずかしくなりました――ひと言だけ私に言いました。「息子よ、夕飯を食べる時間が来たよ」. それだけしか言わなかったんです。「食べましょう」と言いました。私は立ち上がりまして、もう、どうしていいかわかりませんでした。もう穴があったら入りたい気持ちでした。   

  尚、12日から14日までブログはお休みとなりますので、ご了承ください。15日から再開いたします。

 

 


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