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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

恋に落ちた神様19

2014年06月15日 | 日記

   

 恋に落ちた神様 19

イエス様も私たちのために、十字架の上で全てを与えて下さいました。どうぞ食べなさい。これは私の体である。これは私の肉である。それは言葉だけではなくて、実際にそのようになさったのです。「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえっておのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」(ピリピ2:6~8)。

   神の火 20 

あるいは神様に対して、「神様、どうして私なんですか。ほかの人たちはよろしくやっているのに、何で私だけこんな目にあっているのですか」という思いを持ってはいませんか?

今日、皆さんはどのような精神を抱いておられますか。このような病んだ精神を抱き続けることが、やがては死に至る罪へと発展してしまうのです。こういった恨み、憎しみを抱き続けること、そして、本当に自分は繊細で傷つきやすい、すぐに人の言葉で傷ついてしまう、それは、皆さんのうちに問題があるのです。そういった品性の傾向を持っているとするならば、決して生ける神の印を受けることはないでしょう。そして、ついには死に至るのです。非常に危険な状態なのです。聖霊に心のうちに入っていただいて、そのような傾向、罪を、

それらのことは、単なる外側の洗い清めではなされないのです。ただ真理を理解し、知識として持っているだけでは、心のうちの清めには至らないのですね。聖霊に心に入っていただいて、そういった汚れを、すべて焼き尽くしてもらわなければいけないんです。そういった形で、心を変えていただく必要があるのです。イエス様がおいでになる時、私たちのこの朽ちるべき肉体は、朽ちない、永遠にわたって朽ちない肉体へと変えられます。そのことが起こる前に、私たちは心を備えて、まず、魂を清めていただかなければならないのです。そのように心を準備して初めて、永遠に生きることが出来るようになるのです。

 


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