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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 129

2013年10月02日 | 日記

 

  福音の道しるべ  129

 上の引用文は、天において神とサタンとの間で起こった大争闘が拡大し、「なぜ神は、大争闘の終結を遅らせておられるのか?」という質問の答えに、私たちをより近づかせてくれる。

「ルシファーは、あらゆる被造物の中でも、最高に美しく、最も聡明な天使であった。全天使の軍勢の司令官であった、この覆うことをなすケルブは、天使の聖歌隊の指揮者でもあり、その地位は神の御座の次にあった。彼の美と知恵は、神からの賜物であった。よって、自分に授与された賜物をもって神の栄光を表すことが、彼の本分であったのである。ところがルシファーは、この栄光をことごとく自分のものにしたがり、神ではなく自分自身を高めようとした。「わたしはあなたを油そそがれた守護のケルブと一緒に置いた。あなたは神の聖なる山にいて、火の石の間を歩いた。あなたは造られた日から、あなたの中に悪が見いだされた日までは、そのおこないが完全であった」(エゼキエル28:14-15)。

 かくして傲慢になった彼は、自分も神の議会に参入すべきであると感じた。やがて彼は、神の御子イエス・キリストを妬むようになり、それが高じて、宇宙を反逆の渦に投げ入れたのであった。「黎明の子、明けの明星〔ルシファー〕よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』」(イザヤ14:12-14)。

  

新生への道 7  弟子としてののテスト ③

キリスト・イエスにあって新たに造られた者は、みたまの実を結びます。つまり「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、柔和、自制」(ガラテヤ5:22,23)を生じるのです。もはや、彼らは以前の欲望に従って歩まず、神のみ子を信じてそのみ足跡にならって歩み、そのご品性を反映しながら、イエスが清い方であられたように、自らを清くするのです。以前には嫌っていたものを今は愛するようになり、かつて愛していたものは嫌うようになります。高慢、不遜な人は、柔和、謙遜になります。軽はずみで落ち着きのない人は真面目で控えめになり、酒に酔う者はそれをやめ、放蕩者は純潔になります。世的なむなしい習慣や流行を追う気持ちはなくなり、クリスチャンは「外面の飾りではなく、かくれた内なる人、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない」(Ⅰペテロ3:3,4)飾りを求めるようになります。

 ですから、もし改革が起こらなければ真に悔い改めたとは言えません。担保としてあずかったものを戻し、奪ったものを返し、罪を告白し、神と人とを愛するようになったなら、その人は確かに死から生に移っているのです。

あやまちがあり、罪あるままの姿でキリストのもとに行き、ゆるしの恵みを受けるとき、心の中に愛がわき起こります。キリストの課されるくびきはやさしいのですから、すべての重荷は軽くなります。義務は喜びとなり、犠牲は楽しみになります。以前には暗黒に包まれているように見えた道も、義の太陽に照らされて明るくなります。

 


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