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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 134

2013年10月07日 | 日記

    福音の道しるべ 134

     

  福音の道しるべ 134

イエスが十字架で勝利をおさめられたとき、イエスは神の力を利用できる立場にあったのだから、彼の勝利は無効であると、サタンは主張した。イエスは人の肉をとって来られたのだろうが、同時に神でもあったのだから、勝つのは当たり前であるというのである。エノクやエリヤ、ヨセフやヨブといった人物らが完全な勝利をおさめた理由を説明して、サタンは、神が彼らの周囲にまがきを設けたからだと主張した。もしも自分が神の民に十分に接近できれば、彼らに勝ち目はないと言うのである。

わずかな疑念をも除くために、神は、サタンの誤りを立証するための、究極のショーを用意しておられる。その主役となるのが、最終世代である。神は現在、教会をととのえておられる。これが真の教会、霊的イスラエルである。十四万四千は、サタンの告発を完全に、また永久に沈黙させるであろう。十二に十二をかけると、百四十四になる。百四十四に千を掛けると、十四万四千になる。千という数字は、「大勢の」または「多くの」ものを象徴する。十四万四千は十二弟子の教義を基礎とし、広範な意味においてイスラエル十二部族を代表するまでに成長するのである。

   新生への道 7 弟子としてのテスト ⑧

罪に陥る前、アダムは神のおきてに服従することによって、正しい品性をつくり上げることができましたが、彼はこれに失敗し、彼の罪のために、私たちの性質は堕落し、自分の力では義となることができなくなりました。私たちは罪深く汚れているので、清いおきてに完全に従うことはできません。神のおきての要求に応じられるだけの義を持ち合わせていません。けれどもキリストは、私たちのために逃れる道を備えてくださいました。キリストは、この地上で私たちが会わなければならない試練と誘惑のまっただ中で生活し、罪のない生活をお送りになりました。そして、私たちのために死に、今や私たちの罪を取り除いて、ご自身の義を与えようとしておられます。もし自分をキリストにささげ、キリストを自分の救い主として受け入れるならば、その生涯はこれまでいかに罪深いものであっても、彼のゆえに義とみなされるのです。キリストの品性があなたの品性の代わりとなり、神の前に全く罪を犯したことのない者として受け入れられるのです。


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