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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ135

2013年10月08日 | 日記

   

  福音の道しるべ  135

 ある人に、十人の息子がいたとする。これらの息子たちは、仕事がきつすぎると感じて、働くことを拒む。彼らの誰にとっても、この仕事は遂行可能であることを、父親はどうやって証明したらよいであろうか?最も弱い息子を選んで、彼を訓練し、他の九人の前でその仕事をさせて見せればよいのである。そうすれば、他の息子たちに言い訳の余地はなくなるであろう。それでもなお、この仕事はできないと言い張るだろうか?大争闘も、これと同じようなものである。神は、最終世代である私たち、すなわち肉体的にも道徳的にも最も退化した世代を選んで、訓練をほどこされる。自らを聖霊に明け渡すとき、私たちは全宇宙に、すべての者は勝利のクリスチャン生活を送ることができることを証明するであろう。そうなると、誰が、律法を完全に守るのは不可能であるとなおも言い張ることができるだろう?神は十四万四千を通して、サタンのあらゆる理不尽な告発を沈黙させ、全宇宙の前でご自分の律法と品性を擁護なさるであろう。私たちの前途には、何と厳粛な働きがおかれていることか!また何とすごい特権であることか!「ここに、聖徒たちの忍耐がある。ここに神の戒めを守り、イエスの信仰を持ち続ける彼らがいる」(黙示録14:12―欽定訳)。

 

   新生への道 7  弟子としてのテスト ⑨

 そればかりでなく、キリストは私たちの心までも変えてくださるのです。信仰によって、キリストは心のうちに住んでくださいます。こうして、信仰と、絶えずキリストに自分の意志を従わせることによって、キリストとの関係を持続するのです。このようにする限り、キリストはあなたのうちに働いて、み旨に従って志をたて、行うことができるようにしてくださいます。そのときこそ「わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神のみ子を信じる信仰によって、生きているのである」(ガラテヤ2:20)と言うことができるのです。ですから、キリストも弟子たちに、「語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である」(マタイ10:20)と言われました。こうしてキリストが私たちのうちに働かれるならば、私たちは、キリストと同じ精神をあらわし、同じ業―正しい行為、つまり服従をするようになるのです。

 ですから、私たち自身のうちには、何も誇るところはなく、自分を高める何の根拠もありません。私たちの唯一の希望は、キリストの義が私たちに宿ることで、これは私たちのうちに、私たちを通して働いて下さる聖霊のみ業なのです。

 私たちが信仰について語るとき、信仰には区別があることを心にとめておかなければなりません。つまり、本当の信仰とは全く違った一種の信仰があることです。神の存在とその力、また聖書が真理であることは、悪魔とその手下も心のうちでは否定できない事実として知っています。聖書には「悪霊どもでさえ、信じておののいている」(ヤコブ2:19)とありますが、これは信仰ではありません。神のみ言葉を信じるというばかりでなく、神に意志を服従させ、心をささげ、愛情を注いでこそ、信仰があるといえるのであって、そうした信仰は愛によって働き、魂を清めるのです。この信仰によって、心は神のみかたちに創りかえられます。人の心は、新しく創られなければ神の律法に従わず、また従う力もありません。しかし信仰によって新しくされた今は、清いおきてを喜び、詩篇記者とともに「いかにわたしはあなたのおきてを 愛することでしょう。わたしはひねもすこれを深く思います」(詩篇119:97)と言うことができます。そして、おきての義の要求が「肉によらず霊によって歩く」(ローマ8:4)私たちのうちに満たされるのです。


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