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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

罪から逃れる道 ソン・ケムン 第10回

2017年12月15日 | 日記

私たち人間は、神様の品性とはかけ離れた性質を持って生まれてきました。 しかし各個人に対する有罪判決は、アダムが罪を選んだことによって有罪とされたように、自ら罪を選択する時に下されます。世の中の法も、親の罪の責任を子どもに問いません。それなのに神様をこの世の法律よりも不公平な方と見るこの考えが理にかなっているでしょうか。また、聖書は「ノア、ダニエル、ヨブの三人がいても、彼らはその義によって、ただ自分の命を救いうるのみである」とエゼキエル書で言いますが、義は与えられないのに罪は転嫁されるというのが道理にかなっているでしょうか? 全くつじつまが合いません。

 

□⑴創世記2:17「しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」

誰がこう言われましたか。 神様が創造された人間に初めて言われた言葉です。 彼らは禁断の木の実を食べましたか? はい、食べました。 彼らはすぐ死にましたか? ここで「きっと死ぬであろう」と言われているこの死は、寿命が尽きて老いて死ぬという意味ですか? それとも審判の死ですか? 寿命が尽きて死ぬ第一の死ではなく、審判を受けて滅びる第二の死です。では彼らはすぐ死にましたか? 死にませんでした。どんなことが起きましたか? それでは神様は嘘をつかれたのでしょうか? 何が起こったのでしょうか?

ある神学者は「彼らはその時から死に始めた」と言いました。人間がサタンの誘惑を受け入れ、神様が禁止された事をするようになることを、すでに知っておられたキリストはこう言われたはずです。「私がその刑罰を受けます。 私が人の代りになります。 人にもう一度チャンスを与えてください」。これがゼカリヤ書の平和の議論です。

その日アダムとエバは、なぜすぐ死ななかったのでしょうか? その日、イエス様が代わりに死んでくださったからです。「ちょっと待ってください、イエス様はアダムを創造して約4千年が過ぎた後に、ユダヤ人の地で亡くなられたのではないですか。 エデンの園で死なれませんでした」

そう言うかも知れません。


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