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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

現代のイスラエル 10

2013年04月27日 | 日記

 

   

「もう罪を犯してはいけない」12 魂を癒す十字架

青銅の蛇を眺める者は、その信仰によって癒された。そのように私たちの罪のために苦しめられたキリスト・イエス様を、信仰によって眺める時に、罪に対する癒しがある。十字架を真に崇める者には変化が起きる。心の中にある自分を高める思いが、神様を高める思いに変えられ、傲慢と利己的な心が、神様を愛し他の人を愛する心に変えられるのだ。これが十字架の力なのである。

十字架は、私たちの過去の罪を赦すだけでなく、現在の私を、善悪の闘いの中で勝利できるようにする力を与える。十字架が、魂を癒す力となったら、それがあなたにとって本当の十字架なのである。

永遠の聖霊によって、ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は、なおさら、私たちの良心をきよめて死んだわざを取り除き、生ける神に仕える者としないであろうか。(ヘブル人への手紙9章14節)

 

 

 

 

「現代のイスラエル」 10 現代の我々へのメッセージ

 

ステパノはイスラエルの歴史を引用して、当時の教会指導者たちの罪を譴責していました。古代イスラエルの歴史が、ステパノの時代の人たちの鏡となったわけです。そしてさらに、過去の時代よりも今日の時代の私たちのために聖書は書かれているのだということを、すでに申し上げましたよね。ですから、この箇所を私たちが読むときに、このステパノのメセージは現在の私たちの状態をも写し出しているということを認めることができるわけです。さらに読み進めて44節から53節までを見てみましょう。ここは是非とも読む必要があります。ここを読んだあと質問しますから注意深く見ていただきたいと思います。この部分でステパノが押さえようとしていた点が、何であったかということをしっかり考えてみてください。お読みします。「私達の先祖には、荒野にあかしの幕屋があった。それは、見たままの型にしたがって造るようにと、モーセに語ったかたのご命令どおりに造ったものである。この幕屋は、わたしたちの先祖が、ヨシュアに率いられ、神によって諸民族を彼らの前から追い払い、その所領をのり取った時に、そこに持ちこまれ、次々に受け継がれて、ダビデの時代に及んだものである。ダビデは、神の恵みをこうむり、そして、ヤコブの神のために宮を造営したいと願った。けれども、実際にその宮を建てたのはソロモンであった。しかし、いと高き者は、手で造った宮の内にはお住みにならない。預言者が言っている通りである、『主が仰せられる、どんな家を私の為に建てるのか。私のいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地は私の足台である。これは皆私の手が造ったものではないか』ああ、強情で心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それはあなた方の先祖たちと同じである。いったいあなた方の先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。あなたがたは、御使いたちによって伝えられた律法を受けたのに、それを守ることをしなかった』

 

 

  


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