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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

現代のイスラエル 11

2013年04月28日 | 日記


   「もう罪を犯してはいけない」 13

  どうして青銅の蛇がイエス様の象徴なのか?

神様はイスラエルの民が蛇に噛まれて死んでいくとき、どうして青銅の蛇を作るように言われたのか? この象徴は、私たちにどんな意味を与えるのだろうか? これは、私たちのために、私たちと全く同じ罪ある姿で来られたイエス・キリストを眺めるという意味がある。

律法が肉により無力となっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。(ローマ人への手紙8章3節)

「罪の肉の様で」つかわされた、というみ言葉の意味は次のようだ。

この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないような方ではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試練に会われたのである。(ヘブル人への手紙4章15節)

イエス様は、試練に負ける可能性をもつ人間の性質を取っておられた。私たちの受ける試練で、この方が受けられなかった試練は一つもない。だから、わたしたちが罪を犯すことに対して、何一つ言い訳をすることはできない。イエス様は、過去の罪を赦すだけでなく、現在私たちが日々に遭遇する罪に完全に勝利することができるために十字架にお架かりになられたのだ。

 

   「現代のイスラエル」 11 権力をふるう教会

何という力強い証でしょうか。もう、44節から51節の部分まで語った時にステパノは、ユダヤの指導者たちが怒りの極みに達しているということを見ることができました。これ以上長く話すことはできないだろうと悟ったのです。そこでステパノは結論を急いで52節、53節の言葉を語りました。このような理論立てをしていけば、もう少し語ることができたはずなのですが、しかし、もう自分は間もなく彼らに殺されるであろうということを悟ったステパノは、結論を急いでまとめてしまいました。

ここで彼が言わんとしていたことは何でしたか?この44節から51節までで、彼は何を言っていたのでしょうか。教会の権威について述べていたのです。この、当時のユダヤ教会に於いて王のような権力をふるっていた権威についてのべていました。自らを神の側に置いて、あたかも自分が神であるかのように、王のように権力をふるっていた、教会の指導者たちを譴責していたのです。つまり、自分たちの権力を誤用していた。誤って用いていたんですね。

ダビデとソロモンによって建てられた聖所、神殿について述べていますけれども、これは神様の王的な権力、力の、権勢の象徴である、外面的な象徴であるということをステパノは述べました。実際には人間が建てたどんな立派な建物も、神様をそこに入れることはできないわけですね。ところが地上の当時の教会は神様を自分たちのカラの中に、箱の中に閉じ込めようと試みたわけです。しかし神様は全天をもってもおさめることはできないお方です。そして、地上の教会も宮も神様の足台ともならないわけです。神のご臨在と比べるならば地上の教会、地上の神の民、宮、神殿などは無に等しいものであったわけです。


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