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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

罪から逃れる道 ソン・ケムン 第17回

2017年12月24日 | 日記

第一段階で、私たちは堕落した本性を持っています。

同様に、イエス様も私たちと同じ、罪の本性を持った肉体で来られました。そのことを前回調べました。ところが、原罪論は罪の本性を持つこと自体を罪と考えます。

第二段階は、誘惑を感じることです。 試験を受けます。あることに魅力を感じます。人間性は当然それに惹かれます。イエス様もそのような欲望と性質がありました。原罪論では、誘惑を受けること自体が罪だと言います。

罪はどこから成立するでしょうか?

三番目の段階からです。 私たちが誘惑を心に抱く時からです。

そして欲がふくれ上がることになります。

次の四番目の段階ではそれが行為となります。

その結果、滅亡の第二の死を受けることになります。

罪は第三段階の誘惑を受け入れた時から、成立します。

イエス様は罪の本性を持って、誘惑を受けられました。

しかし、イエス様は罪の考えを一つも持たず、一つの罪も犯されませんでした。

ところが、原罪論は私たちの存在自体が罪だと言います。

パリサイ人たちの前で、イエス様は「だれがわたしに罪があると責めうるのか」(ヨハネ8:46)と言われました。私たちと同じ本性を持っておられたのに、その方に罪がない理由は 「私とお前とは人性が違う」からではなく、文字通りイエス様は罪を犯されなかったと言うことです。

 

多くのクリスチャンは、最初の段階を罪だと思います。しかし、聖書で、罪は三番目の段階からだと言います。罪をどう考えるかによって二つの異なった福音ができます。

 


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