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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

 福音の力を体験せよ 139

2014年03月20日 | 日記

   

   福音の力を体験せよ 139

“ただの一瞬たりとも、サタンの誘惑を、あなたの心にちょうどいいものと認めてはならない。誘惑がおそってきたら、敵から逃げるように逃げなさい。”(OHC85) 

生まれ変わってクリスチャンになった人は、テレビなどといったサタンの領域に、自分から進んで入っていくことはありません。

読み物についても同様です。皆さんの良心は、それを見ても読んでもいけないと言います。ところが以前、好奇心に負けてこれらの読み物にふけっていたことがあったとしたら、サタンは他のどれよりも、その領域において誘惑してくるでしょう。自ら進んでサタンの領域を歩くと、サタンは、その誘惑を徐々に強化させる権限を手に入れるのです。そして、同様の種類の誘惑を、しつこくもちかけてくることでしょう。

皆さん、私にはそれが分かります。私も以前は、何度も同じような経験をしていたからです。しかしこれ以上、同じような失敗に陥ることはないでしょう。聖霊が、「これは良くないですよ」と心に語るならば、私はそれから離れることでしょう。もう私には、サタンの領域を歩みたいと思う心はありません。    

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私は神様を信じているから、イエス様が十字架につけられて死なれたことも信じているから、信仰があると言うかも知れませんが、罪を犯し続けている点では同じなのです。多くのクリスチャンは、信仰というのは、聖書の言葉に同意することだと思っています。ヨハネによる福音書3章16節を暗唱して、それを信じているからクリスチャンだと勘違いしています。イエス様が私たちを罪から救うために、十字架につけられて死なれた、それを知っているから、信じているから信仰なのでしょうか。それは知識なのです。

今ここに、小学生を座らせて、質問をします。イエス様は私たちのために十字架にかけられて死なれた、これは〇ですか×ですかと聞きます。もちろん〇を出すでしょう。でもそれはただの知識に過ぎません。その知識を持っていたからといって、それがその人の力になっているわけではありません。そのような知識をたとえ何十年持っていても、成長することは出来ません。その知識がその人を変え、命となり力となって初めて、信仰があると言えるのです。聖書の66巻の全部を、これは事実だ、本当のことだと受け止めて信じているから信仰だというのではありません。

 


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