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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演37

2013年02月03日 | 日記


    ひまわりさんより(2月3日)

今日は朝から、愛犬ジョイのための小屋作りを行いました。今までは、玄関近くの庇の下につないでいたのですが、雨風が強いとずぶぬれになるので、板で覆ったり、傘を取り付けたりして不格好な状態でした。そこで、今回は、愛するもののために、一人でやってみようと思って、夫に手伝ってもらわずに作りました。幸い外壁に使う材料は、息子が去年もらってきたプラスチックの波板があり、屋根板も引越しの残りのベニヤ板があったので、支柱だけ買えば材料費はかかりませんでした。大工仕事は初めてなので、失敗しないように、お祈りして、メジャーを使って長さを決め、何とかそれらしいものが出来上がりました。波板を釘で止める時、下地の板が固くてしっかりしていると、釘がきちんと入るのですが、下板が柔らかいと、なかなか上手に釘が入りません。それで思ったのですが、真理も、弱く動揺しやすい心ではなく、粗削りでも志操堅固な心の方が、しっかり入っていくのではないでしょうか。
   
    油を用意する(デビット・カン講演37)

マタイ25章のたとえ話を注意深く読みますと、そこに、賢い乙女と、愚かな乙女の違いが書かれています。見かけは一緒です。全員神の言葉、聖書を持っています。キリストの再臨を待っています。ところが、日曜休業令がやって来た時、全員が目を覚ますのです。その時にあることに気がつきます。賢い乙女たちは、脇に油を持っているのです。別の器を持っていて、そこに油を蓄えていたのです。ランプの油が切れた時に、予備の油をつぎ足すことができたわけです。
すべてのセブンスデー・アドベンチストもランプを持っています。教師によって与えられています。牧師から与えられています。安息日学校の先生方から与えられたもの、教会の長老方から用意されたもの、しかし、それだけでは十分ではないのです。自分で油を用意しなければいけません。聖霊との個人的な経験であります。時がやって来たとき、自分で聖霊の油をつぎ足さなければなりません。
それはどういうことか、わかりますか。愚かな乙女たちは、「あなたの油を分けてください」と言いました。賢い乙女たちは、「できません」と答えました。なぜでしょうか。これは、経験だからです。自分の経験を他の人に与えることはできません。経験とは、ただの情報ではないからです。




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