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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

生ける神の印 デビット・カン講演36

2013年02月02日 | 日記


    ひまわりさんより(2月2日)

数日前、利用者さんが、蝋梅(ろうばい)の花が咲いたと言って見せてくださいました。柔らかな甘い香りといい、ロウのような透き通る黄色の感じといい、いっぺんでこの花が好きになりました。私はこれまで、黄色系の花が好きで、以前は、フリージアが好きで、これを私の葬式には使ってほしいと思っていました。それから次に、モッコウバラが好きで、これも、買ってきて庭に植えていました。でも、蝋梅を見たら、この花が一番好きだと思いました。私が蝋梅を好きになった一番の理由は、まだ雪が舞うような季節に、春を思わせるように花を咲かせるところです。以前私が、信仰が分からず手探りの状態で過ごしていた時、よく、讃美歌291番「しのびて春を待て 雪はとけて花は咲かん」という歌を繰り返し歌っていました。その時のイメージと蝋梅は、ぴったり重なる花だと思いました。家に帰ってそのことを夫に話したら、「裏庭に植えてあるのは、蝋梅じゃないかな」と言いました。それで見に行ってくれたら、「やっぱり蝋梅だったよ。もう何本か咲いていたよ」と言って持ってきてくれました。自分の家に蝋梅があるなんて、とても素敵なことだと幸せな気分になりました。部屋に持ってきただけで、香りが漂い、クリスチャンの品性もこのようでありたいと思いました。息子にこのことを話したら、「蝋梅はお母さんにピッタリの花だね」とうれしいことを言ってくれました。「お母さんは、ろうば(老婆)だから・・・」(写真は家に咲いた蝋梅です)

 10人の乙女のたとえ(デビット・カン講演36)

マタイ25章で、10人の乙女たちが、花婿の到着を待っていましたね。これは、大事なことですから、よく聞いてください。10人が待っていましたが、5人が賢くて、5人は愚かな乙女でした。全員手に明かりを持っていました。手には同じものを持っていたんです。この明りは何を表しているのでしょうか? 神様のみ言葉です。ランプは神様の言葉を表していたんです。愚かな乙女も、賢い乙女も、全員神の言葉を手に持っていたんです。
その明りを用意してくれたのは誰でしょうか。自分で用意したんですか。違います。これは、結婚式の時に、用意されたもので、結婚式の当事者が、彼らに手渡して、花婿を迎えさせようとしたのです。セブンスデー・アドベンチストであれば、誰であれ、聖書を手に持っています。バプテスマを受けています。安息日学校の教課を勉強します。教理を理解しています。全員聖書を手に持っているわけです。賢い人も、愚かな人も。しかし、この召しがやってくるときに、「花婿だ、花婿がやってきた」と言われるときに、その時、全員目を覚まします。ところが、ランプの中に、油が入っていないんです。





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