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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 136

2013年10月09日 | 日記

   


   福音の道しるべ 136

サタンは神に向かって、次のような質問をした。「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。あなたは彼とその家、およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです」(ヨブ記1:9-10)。同様に彼は、神がご自分の民を過保護にしていると言い張る。サタンを永久に沈黙させるために、神は十四万四千をととのえて、降りかかってくるどんな誘惑にも立ち得るようにさせようと計画しておられる。彼らの用意ができたとき、恩恵の扉は閉ざされる。その時、イエスのとりなしの祈りは立ちのぼることがなくなる。もはや、赦しが与えられることはなくなる。サタンがヨブを誘惑し試みるのを神が許されたように、悪魔が最終世代を試みるのもお許しになるであろう。悪魔は私たちに対して、生命を奪うこと以外の、どんな仕打ちをも思いのままに行うであろう。しかし、十四万四千は勝利する。厳しい試練における彼らの愛と忠誠、また神への完全な服従は、告発者を永久に沈黙させることだろう。彼らは、イエスの従順な心をもつようになる。神に対する彼らの愛はあまりに大きいので、神に不名誉をもたらすくらいなら、むしろ死を選ぶのである。

復活の朝、死せる義人らをよみがえらせる権威をイエスに与えるのが、十四万四千であると筆者は考える。これは奇妙な考えだと、あなたは思うかもしれないが、次のような考察をしていただきたい。各々の聖徒が贖いへの道を進んでいくたびに憤る悪魔が、大争闘のドラマのクライマックスにあって、聖徒たちが不死の生命へとよみがえるのを黙って見ているであろうか?主がモーセを死からよみがえらせたとき、サタンは怒り狂ったのではなかったか?

   真正への道 7 弟子としてのテスト ⑩

世にはキリストのゆるしの愛を知り、本当に神の子になりたいと望んでいながら、自分の性格が不完全で、生活にはあやまちが多いために、果たして自分の心が聖霊によって新しくされたかどうかと疑う人がいます。こうした場合に決して失望、落胆してはなりません。私たちは何度となく、欠点やあやまちを悔いてイエスの足もとに泣き伏すことでしょう。けれども、そのために失望してはなりません。たとえ敵に敗れても、神に捨てられ、拒まれたのではありません。キリストは神の右に座し、私たちのために執り成しをしておられます。使徒ヨハネは「わたしの子たちよ、これらのことを書きおくるのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためである。もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのために助け主、すなわち、義なるイエス・キリストがおられる」(Ⅰヨハネ2:1)と言いました。また「父ご自身が、あなたがたを愛しておいでになるからである」(ヨハネ16:27)という、キリストの言葉も忘れてはなりません。神は、あなたを神に立ち返らせ、自らの純潔と聖潔とをあなたのうちに反映しようと望んでおいでになります。ただ神に従いさえすれば、すでにあなたのうちに良いことをはじめられた神は、イエス・キリストの日までその働きを続けてくださるのです。ですから、もっと熱心に祈り、もっと深く信じましょう。自分の力に信頼できなくなったとき、あがない主の力を信じ、自分を助けてくださる主を賛美しましょう。


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