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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

福音の道しるべ 131

2013年10月04日 | 日記

 

   福音の道しるべ 131

ここで私たちは、ある重要な質問をする必要がある。神はなぜ、悪魔を滅ぼすことによって、早期に反逆の芽をつみとり、悲劇を未然に防ごうとなさらなかったのか?もしこれがなされていたら、天使たちと他世界の住民らの心は、疑念という疫病に永久に侵されたことだろう。彼らは、ルシファーの処分における神の正義に、疑問を抱いたことだろう。その時から、彼らは恐怖心から神に仕えるようになったかもしれない。そのような事態を、神は望まれなかった。神は、すべての天使と人間に、選択の自由を与えられた。それだから、神と被造物との間の愛の絆は強められるのである。ある時点から、罪と疑いの力が宇宙に存在することが確実になくなるように、神は、皆が反逆の結果をとことんまで見ることを許されたのであった。

 この小さな地球が創造されたのは、ちょうどその頃であった。地球は、全宇宙にとって大争闘の舞台、天使たちの教科書となるのであった。この地上で、サタンの本性が暴かれ、神の律法は守るのは可能であるということを、神は人を通して証明しようとしておられた。ところがじきに、アダムとエバはサタンの誘惑に陥ってしまった。彼らに科せられた試験〔テスト〕は、単純なものであった。第二のアダムであるイエス・キリストが耐えられた試験は、強烈な苦悩と苦痛を伴うものであったが、彼は見事な勝利をおさめられた。最終世代に科せられる試験も、大いに苦しいものとなるであろう。しかし、イエスが勝利なさったように、彼らも必ず勝利をおさめる。なぜなら、もし彼らがイエスに頼りきるなら、どんな誘惑にも耐えることができると、神が約束して下さったからである。

    新生への道 7 弟子としてのテスト ⑤

さてここに、神の子ら、特に神の恵みに頼り始めた者がおちいりやすい誤りが二つあります。これは特別に注意しなければならない事柄です。まず第一に、前にも述べたように、自分の行為をながめ、自分の力に頼って神と調和しようとすることです。自分の行為によっておきてを守り清くなろうとする人は、不可能なことをしようとしているのです。人がキリストなしにすることはすべて利己心と罪に汚れています。信仰によるキリストの恵みだけが私たちを清めるのです。

 それとは反対ですが、同じように危険なことは、キリストを信じれば人は神のおきてを守らなくてもよいという考えです。つまり、ただ信仰によってキリストの恵みにあずかるようになったのだから、行いは私たちの救いと全く関係がないと言うものです。

 けれども服従というのは、単なる外面だけの同意ではなく、むしろ愛によって奉仕することなのです。神のおきては神のご品性そのものを表現したものであり、愛の原則を具体化したものですから、天にあっても地にあっても神のみ国の基礎です。私たちの心が神のみかたちに似て新しくされ、神の愛が心のうちに植えつけられるならば、神のおきては日々の生活に実行されるのではないでしょうか。


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