皆さん、西洋史に登場する重要な人物であるアレキサンダーがダニエル書に預言されています。伝承によれば使徒パウロがマケドニア人の幻を見て、ギリシヤに行きましたが、そのマケドニア人がまさにアレキサンダーだったという説もあります。 それだけ、アレキサンダーが西洋史に占める比重は大きいのです。
ところでダニエル書を見ると、アレキサンダーが死んだ後に国が四つに分裂しますが、そのうちリシマコスとカッサンドロスは途中で滅び、北と南の王朝だけが残りました。 北ではセレウコスという将軍がシリアを建て、南側にはプトレマイオスという将軍がエジプトを掌握して両国が争い始めます
ダニエル書を見ると、両国が戦い、北が勝ちます。北が勝って南エジプトをほぼ滅亡させようとするその時、どんな事が起きたでしょうか?
[ローマとクレオパトラ]
□ダニエル書11:16をみます。
「これに攻めて来る者は、その心のままに事をなし、その前に立ち向かうことのできる者はなく、彼は麗しい地に立ち、その地は全く彼のために荒されます」。
北と南が激しく戦う隙に第3者が現れます。 ギリシヤが二つに分かれてほぼ滅びる頃、地中海を統一したのがローマです。 イタリア半島で起きたラテン民族のローマが介入して、北シリアが南エジプトにこれ以上侵入しないように線を引きました。 そして、自分が国々を征服し始めました。 ローマは紀元前168年にマケドニアを滅亡させ、64年にシリアを滅亡させました。 その次に「麗しい地」に侵入します。「麗しい地」はエルサレムです。 ユダヤを征服しました。 そして南に進軍しエジプトまで行きます。
□ダニエル11:17
「彼は全国の力をもって討ち入ろうと、その顔を向けるが、相手と仲直りをし、その娘を与えて、その国を取ろうとします。しかし、その事は成らず、また彼の利益にはならないでしょう」。
ローマはユリウス・カエサルが大軍を率いてマケドニア、シリア、エルサレムを滅亡させた後、南のエジプトまで攻めていきました。 『ローマ人の物語』を見ると、カエサルはローマ史で最も偉大な王として評価されています。 ローマ皇帝を"カイザル、シーザー"と呼びますが、この言葉はこの人の名前"カエサル"から来ました。 ドイツ語のカイザー(kaiser)、ロシア語のツァーリ(czar)も皇帝を意味する言葉ですが、皆ユリウス・カエサルに由来したものです。
7月はJulyですよね。 それもこの人の名前から由来したものです。 私たちが使用しているカレンダーは1年を365日として4年ごとに1日を加えた閏年が入ったカレンダーですが、それをユリウス暦と言います。 世界の歴史を変え、カレンダーの作成でも画期的な貢献をした王です。 現在はユリウス暦をさらに補完したグレゴリオ暦を使っています。